公園(小説)

会社の裏に公園がある。かなり大きな公園だ。

公園の隣には、ほぼ同じくらいの大きさのグラウンドがある。高い金網に囲まれている。公園の向こう側には中学校があり、時々グラウンドで野球やソフトボールをしている。平日の昼間なのに、どこかの会社のチームが試合をしていることもある。

公園の方は、いろいろな人が来る。保育所の保母さんたちが、大きな乳母車のようなものに、何人もの赤ちゃんを乗せて、日光浴に来ることもある。

仕事が暇だと、僕らはこの公園に暇つぶしに行った。

きれいなトイレがある。何年か前から、このあたりの公園はみんなきれいなトイレになった。自動で水は流れるし、トイレットペーパーも備え付けられている。洋式で身障者も使えるように配慮されている。

築山がある。山の上から、ローラー式の滑り台が延びている。山には滑車の付いた綱が張られていて、子供がぶら下がって移動することができる。

山には、緑が豊富に生えている。大きな木もある。時計台もある。

園内には、象やかえるの姿をした遊戯施設や、いくつかのベンチがある。

僕はちょっと時間が空くと、トイレにいって、向こう側から山に登り、こちら側へ降りてきた。

それだけでも少し爽快な気分になる。視線が高くなると、それだけでも気持ちがいいものだ。仕事中に山に登るということが、全く関係の無い取り合わせで、

気分を変えてくれるのだ。

冬の天気のいい日の昼休みなどは、グラウンドの中のベンチで寝る。ベンチに横になってしまう。AFNなどを聴いている。青い空が広がっている穏やかな昼下がりに、例えばパールジャムなどが流れるのもいい。古いポップス、例えばゾンビーズの「二人のシーズン」あたりが流れるのもいい。NHK-FMの昼の歌謡曲で弘田三枝子が流れたときもよかった。

目にはタオルをかぶせて、寝ている。光が入って来ないように。

いきなりナイフで刺されても、防ぎようはない。

遠くから飛行機の音がかすかに聞こえ、それがだんだん大きくなり、自分の真上で最大になり、また小さくなっていく。それを耳だけで感じているのもいい。

太ってきた。食事制限をするのももちろんだが、運動もしなければ。

昼休みに歩くことにした。

会社から5分くらい歩くと、また公園があり、そのまた向こうに公園があり、そのまた向こうに、といった具合に、いくつもの公園が続いている。公園だけを通って、かなり遠くまで行けるのだ。

このあたりは、元はどんな土地だったのだろう。この区にこんなに公園が多いとは知らなかった。これだけでも充分に、この区の誇りだろう。大抵の大人は、

公園などに関心は無いのかもしれないが。

同じ道のりを、行って帰って30分。食事の後の運動はいけないそうだが、他にウオーキングができるような現実的な時間もない。

買ったばかりのニルヴァーナの「ネバーマインド」をCDウオークマンで聴きながら歩く。これが歩くのにぴったりだった。歩いているとどんどん気持ちが盛り上がっていく。幼稚園を過ぎたあたりで引き返さないと一時までに帰れなかったのだが、毎日歩いているうちに少しずつ距離が伸びていった。

幼稚園は行きの道だと左側にある。その手前にコンクリートで作った坂道があり(公園の施設だ)、その上から幼稚園の中が良く見える。みんな上半身裸なのだ。そういう教育方針なのだろうが、冬なのに寒くないのだろうか。みんな元気そうだが。

昼は会社の食堂で食べるが、仕出し弁当だ。食事よりも、そのあとで歩くことの方が楽しみになった。

ニルヴァーナがそうさせるのか、歩くことがそうさせるのか、体が熱く、気持ちがハイになった状態で会社に戻ってくる。だけどその情熱をぶつけるような仕事ではない。午後、僕は急速に冷めていく。夕方までなんとかやる気を保って、とにかく終わらせる。そして、週に一度か二度、仲の良い同僚と一緒に飲みに行き、ストレスを解消した気になる。

こんな夢を見た。

公園の夢だ。冬なのに木々には、葉がうっそうと茂っている。しかしよく見るとそれは、何千羽というふくろうだ(たぶんマグリットの絵の影響だ)。

風も無いのに、ブランコは気ままに動いている。滑り台には階段がない。

鉄棒は曲がっていて使えない。

ベンチで恋人たちが楽しそうに語らっているようだが、話しているのは一方だけで、もう一方は表情さえ変えない。

砂場では子供が山やトンネルを作っているのだが、完成しそうになると母親たちが足で踏み潰している。

コンクリートのかばの上に座って、髪の長い美しい女性が、ギターを弾きながら歌っている。それは懐かしい歌だった。若いころよく聴いた歌だった。心が震える歌だった。僕は一緒に歌った。涙を流して歌った。

彼女の唇にキスをした。すると彼女は砂になり、さらさらと崩れてしまった。

そこで目が覚めた。涙がぼろぼろと溢れていた。

以前、ロックバンドをやっていた。下手なのはわかっていたが、楽しかった。いろんな曲をつくって、新しい世界を作っていった。そのために、大学を出てからの何年かを無駄にしてしまったけど、悔いはない。そのときが一番楽しかった。今の会社に入って、忙しい時期に仕事漬けになってから、音楽のことなど考えなくなった。全てはただ流れていく。だけどそれも悪くない。こんな毎日でも楽しいことはいくらでもある。楽しいと思いさえすれば。

バンドをやっていたころ「絶対的な自由」という観念に、囚われていたことがあった。僕らは、金もなく、力もなく、とにかく仕事やら家族やら学校やら規制やらに縛られて生きていかなければならない。若い僕らは、自由だ、と言われるけど、それは「鎖の届くまでの自由」だ。ある程度以上のことをしようとすると、鎖が伸びきってしまい、そこから先へは行けない。「絶対的な自由」を手にしなければ、目指す場所へは行けない。そう思った。

だけど、そうじゃない。どんなに恵まれた人でも鎖はある。それが今はわかる。与えられた条件の中で、やっていくしかないんだ。

そして大抵は人は自分で鎖を作っている。ここから先はやめておこうと思っている。それは知恵だ。悪くない考え方だ。つまらないといわれても。

失敗もしないけれど、成功もしない。地味で堅実な暮らし。

鎖はあると同時に無い。本気でやろうとすれば、それは無いのと同じになる。

「絶対的な自由」は、だから「精神的な自由」だ。鎖に囚われない、自由な心だ。

居酒屋で飲んでから、キャバクラで安い時間帯で一時間だけ飲む。これが僕らのいつものコースだ。女と話す為に、金を払う。昔なら、そんな行為を軽蔑しただろう。カラオケだって、僕の学生時代は一般的じゃなかった。部屋でギターで歌っていた。その方が、かっこいいに決まっている。

それでも今日三曲目の歌を、僕は女の子と歌っている。手をつないでいる。おそらくニヤニヤと笑いながら。

かなり飲んだ翌朝、やっとの思いで会社に行った。裏の公園で老人の自殺があったそうだ。

朝早く子供たちが見つけ、コンビニの親父に知らせた。警察が来たときは、銀杏の木に紐を掛けて首を吊った老人の足は、すでに地面に着いていたという。枝がたわんだわけだ。スーツをきちんと着ていたという。

公園に見に行ったが、もう何も無かった。

しかし首を吊ったという銀杏の木の下で、カラスがぴょんぴょんと跳ねていた。

僕には、それがまるでワルツを踊っているように見えた。優雅に軽やかに。

こんなことがあっても、カラスはお構いなしだ。

カラスは踊る。楽しくなくても踊る。

世間がどう動こうとも、踊ることが生きることと同義だ。

いかなる悲しみも喜びも憎しみも哀れみも、この黒い舞踏を止めさせることはできない。

僕は想像してみた。僕が首を吊ろうとする瞬間を。

すると想像の中で、カラスがその醜悪な姿を現した。

鋭いクチバシで僕の肉をついばみ、僕がすでに腐敗していることを教えてくれるのだ。


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