カフェオレ、シロップ、ビスケット。
東京の三鷹というところにある、点滴堂という古本カフェが好きで、もう何年も通っている。
ここは古本屋ながら、蔵書がある一定の法則で傾いていて。
少女だとか少年だとか浪漫だとかサブカルチャーにリボンをかけて、砂糖をまぶした毒林檎と並べて真っ白な部屋の窓際に吊るしたような具合になっている。
萩尾望都だとか三原順だとか山岸涼子とか諸星大二郎に類する漫画が豊富で、小説はといえばドグラ・マグラや宮沢賢治や竹久夢二が本棚に綺麗に収まっている。
他にも『乙女』と言う年齢や性別を超えたところにある心持ちを待っている人にはおそらく、居心地が良いんじゃないだろうか。
私はここへくると余程の心変わりが無い限り、カフェ・オ・レを注文してまず部屋を3周くらいする。
決して広くない部屋の窓際の小さな椅子とテーブルは飲み物を頼んだ人にだけ開放されていて、大きめに流れるBGMが大体の些細な音は掻き消してくれる。
だから私はここへ、この空間に浸かるために足を伸ばしてやってくる。
来れば何かしら企画展をやっていて、個人作家の可愛らしい品々が一角に展示販売されているので、まず気になるものを手に取ってテーブルにつく。
カフェ・オ・レを飲みながら付け合わせの小さなお菓子(今日は小さなビスケットだった)を味わいつつ、集めてきた『たからもの』を吟味する。
大抵はポストカードが何枚かと、ブローチなど小さなアクセサリーが多い。
好きなイラストレーターさんのポストカードは積極的に手にするものの、いつも迷って何度も戻したり取り替えてみたり繰り返す。
アクセサリーはまず、何度も何度もテーブルの上で眺めてみる。
時々、本棚や机の上の本を手に取って、おもむろに読み出したりもする。
そうしているうちにその本も欲しくなり、ますます悩むのが常になっている。
中原淳二の画集だとか、楠本まきの選集だとか、長野まゆみのハードカバーだとか。
初めて見つけた妖精の絵本、東京の雑貨屋をまとめた本、旅行記、十二ヶ月のクロゼット、テディベアーの作り方、どれも乙女心に準じた本しか無いものだから、ここにいると自分もここの色に染まるような気分になって忘れていたものをぽつりぽつりと思い出す。
ちいさなころ、好きだったものだとか。
大人になって、諦めたものだとか。
だからここへ来ると、自分の真ん中が開くような気がする。
外聞だとか見栄だとかとっぱらって、子ども心と大人の心がどちらも深呼吸して部屋の中を転げて回る。
そんなだから、大抵ここには長く滞在することになる。
そのために、必要なのがカフェ・オ・レなのだ。
二層になった珈琲とミルクを、シロップを入れて掻き混ぜる。
そうすると、私の心の散らばっていたものがゆっくり溶けていく。
ここには甘いシロップみたいな空気が充満していて、きっと私の中身を溶かすのだと思う。
それにしても、私はいつも帰り際に想う。
次来たときにはきっと、あの猫と月の本棚から一冊選んで買って行こう。
次こそはあの綺羅星の印刷紙を買おう。
楠本まきの愛蔵版は、まだ残っているだろうか。
毎回そんなことを思っては、今日も雲の詩集を発見して頭を抱えている。
虹の物語や、空の色と光の図鑑を手に取っては本棚に戻す。
そうやっていつもいつも、ここに忘れ物をして帰る。
ビスケットは苺の味がして、口の中でカフェ・オ・レと溶けた。綿の国星を開いて、家のねこを思い出す。
ここはいつもこんな具合で、何かを思い出しては忘れてゆく。
その忘れ物をとりに、またやって来る。
……結局のところ、それもこれも私の瞼の内側で見た風景に過ぎないので、ここに立ち入った誰かが同じ風景を目にするかは分からない。
同じ本棚を見つけるかさえ。
なのであくまでこれは私の主観で、ここで見た私の夢のようなものを書き留めたものなのであまりあてにはしないで欲しい。
カフェ・オ・レの氷は溶けてしまったし、ビスケットもあと一枚しかない。
今日の夢が醒める前に、私はここから持ち出す『たからもの』を何度もひっくり返してはため息をついている。
三鷹の点滴堂は小さなお店だけど、もし思い出の中にシロツメクサの花冠があの日の草の匂いとあるようなら、行ってみると良いかもしれない。
きっとたぶん、何かを思い出したり忘れたりできるから。