母逝く【50代在り来りな私が思うあれこれ】
先月母が旅立った。
最期の時もせっかちな性格の母らしく、私たちの病院到着を待たずに逝ってしまった。
人は生まれたら必ず死ぬ。
当たり前ではあるが普段は意識する事はない。
核家族化が進み、死は日常から遠いところにある物になってしまったが、
母はその死に向かう姿を通して、私たちに生きている時間の有限性を教えてくれていた。
葬儀も終わり少し時間が経ったが、ふと悲しみがおとずれて涙が溢れてしまう。
その悲しみは唐突にやってくる。
テレビを観てクスッと笑った後や
洗濯物を畳んでいる時、
ストレッチをしている最中に。
電車の中で小さな男の子と母親が話している微笑ましい様子を見かけた時に。
何の前触れもなくやってくる。
思いがけない自分の感情の振れ幅に驚いている。
自分の家族がいても父母が逝ってしまい、自分が独りになってしまったような心細さが胸のあたりに常にある。
コロナ禍でほとんど会えなかったが、それでもこの世に存在してくれているのと、もうどこにもいないのは全く違う。
淋しい。
ただただ淋しい。
母の日の贈り物の広告メールが来ても、もう今年から選ぶ必要もなくなったのだと、様々な場面で母の不在を実感している。