見出し画像

母の介護でつくづく今思うこと【50代在り来りな私が思うあれこれ】

母の容体が思わしくない。

ホームより母が食事も取らなくなり熱があるので病院へ搬送したいとの連絡があったので、母に付き添って介護タクシーに乗り病院へ向かう。

約半年振りに会った母は一段と小さくなり細い小枝のようだ。

私の呼びかけには反応がありホームの看護師さんも
「娘さんの事はわかるみたいですね、私たちと反応が違います」
と言っていた。

このような機会がなければ会う事も出来なかったので搬送の間は貴重な時間だった。

何年振りの外出になるのか。 
母に外の様子を教えたくて
「今日は天気が良くて青空だよ、あそこのお宅には椿が咲いてるよ」
と私が伝えると母は指で三を示し
「家」と言った。

自宅にも椿の木があり、そこに花が三輪咲いていたという意味だろうか。

何年も帰れない自宅の事を思い出しているのかと思うと切なさと申し訳なさでいっぱいになる。

検査の結果、腸閉塞になってる事がわかり入院する事になった。 

もうお世話になったホームに戻る事もない。

点滴で栄養補給をする事になり付き添う。
特に注意もされないので母の身体をさすっていた。

母と目が合う。
「ホッとした」
と母が言う。

知らない人たちに囲まれていろいろ検査されて母なりに不安だったのだろう。
私に会えて安心したという事なのか。
身体は衰えて会話する事もしんどくなっていても意識はしっかりしているのかもしれない。

衰えていく身体の中で母は何を思っているのか。
誰もが迎える最期の時に私たちは何を思うのだろう。  

あれから数週間経つがその後、母には会えない日々が続いている。

母の事もあり私自身の終わりの事も考えるようになりエンディングノートを書こうと思った。

メルカリ断捨離も継続中である。
なぜ若い時はあんなに物が欲しかったのか?
ブランド品には興味が無かったがそれでも流行りの服、CD
、本などを大量購入して所有したかった。

まさに物欲だ。
自分が価値があると思えばそれらは宝物だが他人からみればゴミである。
最近は所有する意味を考える事が多い。
時代の流れなのか。

人間だけが凄まじい物欲によって発展してきたが、食べきれない食料や自分たちが暮らすための必要以上のエネルギーや土地の為に争っている。

息子に遺してあげられる物は全く無いが、せめて後片付けが楽になるようにはしておこうと思っている。



いいなと思ったら応援しよう!