子どもも息をのむ「耳なし芳一」の英語劇
0才から22才まで同じ英語絵本で表現をする英語教室
息子(小1)が通う英語教室ラボパーティでは、
0才から大学生までが一緒に活動しています。
あまり知られていないので簡単に説明すると、
ふだんは数人~10数人のグループで、
英語の歌や踊り、テーマ活動という英語絵本を使って英語と母語の両方で劇活動を行ないます。
英語絵本の朗読を毎日のように聴く習慣がつくと、
がんばって覚えようとしなくても英語の台詞が自然に口をついて出てきたりしています。
使う英語絵本(一応教材にあたる)は0才から22才まで同じです。
これってすごいことです。
年齢差22才でも、更にその親である大人世代もが毎日聴いても飽きない、
毎日でも聴きたくなるように、音源が工夫されているのです。
音楽はオーケストラ、声の吹込みは一流の声優・俳優さん(ドラえもんの大山のぶ代さんの声で機関車の話が語られていたりします)を採用し、
英文和訳の表現にも心配りがされています。
音源については地道な企業努力のため幅広い理解が得られていない印象がありますが、つまり「表現の仕方」そして「表現の引き出し方」を徹底しているということです。
大学生による表現活動「耳なし芳一」
ラボパパーティでは、
・おうちの中で音や想像を育む「個の活動」
・週に1回程度(厳密には年48回)の複数人での「グループ活動」
に加えて、
・年に数回、希望者は自然の中でのキャンプでの表現活動
・不定期のパーティや支部単位などでのイベント的な活動
・国際交流活動
などに参加することができます。
先日、大学生による表現活動「耳なし芳一」を鑑賞する機会がありました。
ふだんは別々のパーティで活動する大学生年代のメンバーが40名以上が練習を重ねて、一つの英日劇の表現活動を創り上げていきます。
「耳なし芳一」は、700年あまり昔のおはなし。
よく知られたおはなしですが、あらすじをざっくり紹介すると、
ーーー
目の見えない琵琶の名手、芳一は平家物語の弾き語り、特に壇ノ浦の合戦の段に定評がありました。
ある夜、寺に住む芳一のもとへ武者がやってきます。
琵琶の弾き語りを所望され、連れていかれたのは「高貴なお方」の御殿。
ところが実際は御殿ではなく、平家一門の墓地の中で無数の鬼火に囲まれ狂ったように琵琶を弾き続ける芳一。
寺の住職は芳一の体全体に般若心経を写経して怨霊の目に映らないようにするが耳への写経を失念してしまい…
ーーー
というお話です。
過去の投稿でも「こわい」本と子どもの関係について書きましたが、
このお話、とくに最後に芳一が写経を忘れられた耳を怨霊に持っていかれるシーンは、子どもにとって怖ろしい話の一つではないかと思います。
https://note.com/canamaru/n/nd21698127208
幼年代を含む観客の反応は、静寂
会場には、小さいお子さんで幼稚園くらいから大人まで、多くの方が耳なし芳一の表現活動を見るために集まっていました。
私も小1の息子と一緒に、1時間の英日劇を息をのむように見続けました。
幼年代や小学生低学年の子どもにとっては、笑うことのない劇を1時間集中して真剣に見るのは大変なことです。
それでも、劇が終わるまで、会場は静寂が続きました。
40人の大学生の表現者たちは、それぞれの役割を持って、
劇中の英日の長い台詞を暗唱して語り、
小道具を一切使わず(全員が白いTシャツにジーパン)に琵琶を弾く姿、
その音色、合戦の情景、恐ろしい鬼火の数々、怨霊と芳一の耳、これらを身体だけで創り続けていくのです。
全ての表現に心ゆさぶられるものがにじみでていました。
小1の息子は
「おもしろかった。シュッシュッでみんなで動くのがかっこよかった。」
と感想を教えてくれました。
このような一見難しい劇を幼いころから身近に感じている子どもたちは、
感動した気持ちや、あこがれる経験を重ねて、
10数年後に同じ大学生年代になったころに自分の表現をしていくのだろうと思います。
子どもだけでなく、大人になっても心の安定や成長につながる表現との出会いでした。
まとめ
「耳なし芳一」のお話は大人でもこわいので、
私自身でも、積極的にお話に触れることに抵抗がありました。
ただ、「こわい」というのは一部のシーンを切り取ったものであり、
そのお話が意味するところ、表したいところ、そして表現者たちの取り組みに触れる意義のほうが圧倒的に大きいです。
違う機会に同じお話に触れたとしても、その時々で感じ方は同じではありません。そうした気持ちの変化、受け取る自分の変化に気づくことが、いくつになっても人間の成長につながるのではないかと思います。