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食べ物と人は同じ
子供のころには大っ嫌い。でも、今は大好き。
食べ物でこんな経験はありませんか?
いわゆる、食わず嫌い
私はこんな経験がいくつもあります。
例えば、がすえび(甘えび)。
私の父の実家が石川県なので、海産物は何をとってもおいしい。
のどぐろ、香箱がに、寒ブリ
どれをとってもおいしい。
石川に帰郷した際には、食卓にどれも並んでいました。
私の幼少期はバブル期を迎える成長期で一社員であった父も経費がかなり使えて、土日の外食が当たり前。
まだまだ、今ほどの食のレパートリーはなく、肉といえばぜいたく品という時代でした。
なので、親や祖母はとにかく肉を進めてくれて、100歳を過ぎてなくなった祖母は
『嫌いなものは体に悪い』
と、私をてなづけ、好きなものばかり食べさせていてくれたことを覚えています。
そんなこんなで偏食になっていた私は、がすえびの卵が非常に気持ちが悪く手を付けられませんでした。
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食わず嫌いが続きそれから3年、記憶にないがふとした時に一口食べた。
芳醇な香りとともに口を包む甘みが病みつきとなり、以降好んで食べるようになりました。
食わず嫌いってある意味機会損失だと思うんです。
私は3年間もの間、おいしいものが目の前にあるにもかかわらず自ら好んで放棄していた非常に残念な話。
3度食べて初めて分かる
大ブームとなったつけ麺。
東池袋 大勝軒、すごく有名ですよね?
そののれん分け店が取引先の近くにできた時に行ってみた時の話。
何年前だかわかりませんが、大勝軒が有名になってからすぐぐらいだった気がします。
ずぅーと前からつけ麺はありました。
でも、カツオ粉が入ったタイプではなく、冷やし中華の親戚みたいなものでした。
一番最初に大勝軒のつけ麺を食べた時、
『なんだこれ、こんなにまずいものは食べたことがない』
と思ったんです。
でも、多くの人が何時間も並んで食べているものなので、これはこののれん分け店がおかしいのではと、ほかののれん分け店を回りました。
『えっ、よくわからないけど食べられないことはない』
しばらく時間が空いたのですが、取引先に最初ののれん分け店に連れて行かれたんです。
心は不味いに決まっていると思っています。
結果は『絶品』と思えたんです。
当時の私の味覚は、ラーメンといえば醤油に始まり、とんこつが大好きでした。
そこにカツオや煮干しといった和風のものが訪れてきた。
これを私は不快に感じたんです。
人間の感覚は不思議なもので、保護機能みたいなものがあるようで、自身に経験がないものを嫌う傾向にあるようです。
おいしい、不味いという判断よりも斬新すぎて体が否定したようです。
これ以降、つけ麺のとりこに。ラーメン屋でもつけ麺を頼んでしまいます。
自分が変わったこと
シイタケが嫌いでした。
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特に干しシイタケ。
あの独特な苦みが子供のころと不快に感じていました。
ビールについても同じことが言えるようですが、子供のころは苦みをうまみにとらえられる準備ができていないようです。
それをおいしいととらえる準備がまだない。
かつ、苦みに耐えられる耐性もない。
また、子供のシイタケ嫌いは、最初に干しシイタケを食べることで苦みを覚えてしまい、シイタケそのものも嫌いに思えてしまうようです。
しかし、最初に生のおいしいシイタケを食べた子供は干しシイタケもおいしく食べられるとのこと。
先ほどの保護機能のようなものですね。
まとめ
食べ物を嫌いだった人に当てはめてみてください。
なんか、同じじゃありませんか?
私も食わず嫌いに気を付けてみようと思います。
梅干しはまだ苦手です(笑)