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国宝 浄瑠璃寺本堂

京都府木津川市加茂町の別名
九体寺こと浄瑠璃寺のご本堂をご紹介します。
 京都府といっても京都の市街地よりも
奈良市の東大寺などが建ち並ぶ市街地のほうが近い地域にある古刹で
ご本堂は平安時代後期の建物です。



< 名前の由来~その1 >

 一番上の概要でも書きましたが、お寺の別名として「九体寺(くたいじ)」。
 ご本堂のことは「九体寺 阿弥陀堂(くたいじ あみだどう)」と呼ばれています。
 
 「阿弥陀堂」といえば、「阿弥陀様がご本尊のお堂だなぁ!」ということはすぐに分かりますが、九体寺の「九体」とは、
 
九体の阿弥陀如来を安置している
 
と、いう意味です。

阿弥陀様は、衆生(=しゅじょう 悟りを開いていない苦しみの中にある人々のこと)の苦しみを九つに分ける方法で、
人々を救済されています。
 堂内には九つに姿を変えた阿弥陀様が、それぞれの苦しみから人々を救おうと静かに佇んでおられます。
これが「九体寺 阿弥陀堂」と呼ばれる由縁です。


< 浄土式庭園 >
 

浄瑠璃寺は「浄土式庭園」のお寺です。
 「浄土式庭園」(または浄土庭園)とは、阿弥陀堂の前面に蓮池を配置して、極楽浄土を模した庭園のことを言います。

“庭園”というと京都によくある寺院の裏庭の「枯山水」や、庭一面に苔の生えているお庭など、仏堂の付帯設備としているものを連想しそうですが「浄土式庭園」の場合、
 
寺内全域を極楽浄土として表現し、極楽浄土を模して仏堂を配置している
 
という方が正しいのかもしれません。

「浄土式庭園」で有名な寺院には、宇治の平等院があります。
  拝観されたことのある方は思い出してみてください。
平等院HP

本寺と同じように、阿弥陀堂(鳳凰堂)の前面には大きな池があり、池の対岸から阿弥陀様を拝む形式になってはいなかったでしょうか?


出典:平等院HP

< 後付けの向拝 >

この建物には一見して後世の改造と判る部分があります。下の写真 をご覧ください。


写真1


写真2

写真 1の中央黄色丸印内の部分を「向拝」(ごはい)と呼びます。
 近くから見ると、写真 2の黄色↓部分です。
 
 この向拝という部分は必ず建物正面の中央に配置されます。

建物正面の中央には、縁や内部に入るための木階段が配置されますが、向拝の屋根はこの階段を雨から守るための「雨覆い」の役目を果たします。
 
 木階段の下にお賽銭箱を設置しているお寺や神社も多くありますよね。
 皆さんはお賽銭箱の前に立ち、鉦や鈴を鳴らして参拝をされることと思いますが、その参拝される方を雨から守る役目もあります。


参照: 国宝 長久寺本堂の向拝( 奈良県 )

浄瑠璃寺本堂の向拝が一見して後世の増築であることが判る理由は2つあります。

一つは、向拝部分の意匠と彫刻に江戸時代の特徴が顕著に現れていること。
 
 もう一つは、この建物が建立( けんりつではなく、こんりゅうと読みます。寺院の建物を建てること。)された
平安時代に向拝はありませんでした。
 
 向拝がないと書くと語弊がありますが、現在見るような、屋根の中央部をそのまま葺き降ろして、階段部分を覆う形ではなく、
屋根本体とは別に階段を覆うための廂( ひさし )を本体の屋根の下に別に取り付けたと推測されています。
 寝殿造りの絵図や、一部の神社などにその工法が踏襲されています。
 
 要するに、階段の部分だけ屋根が二重になっていたと考えてください。 
 あるいは、正面に階段はなく、別のところから内部に出入りしていたかもしれません。


屋根が二重になっていた階段の「雨覆い」は「階隠し」(はしかくし)と呼びます。
 お寺や神社の階段の多くは、お家に見るような板を組み立てたものではなく、1本の木を積み重ねてできています。
 
 この階段のための1本の木の事を、現代では「段木」(だんぎ)と呼びますが、古くは「」(きざはし)と呼びました。
 
」を雨から隠すものを「階隠し」(はしかくし)と呼び、
」を段状に積み上げたものが「階段」(かいだん)というわけです。


今回はここまでにして続編で
~ 平安時代の建物のこと、阿弥陀堂建築のこと ~
などを書いてみたいと思います。


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