国宝 秋篠寺本堂
奈良市内の喧騒から、一歩離れた森に佇む秋篠寺の本堂を
宮大工の目線でご紹介します。
秋篠寺から、歩いて20分程度のところには近鉄の大和西大寺駅が在り、ここや奈良駅からもバスが出ていますので、
アクセスはご不便ないかと思います。
< 建物の大きさと屋根の形 >
まず、上の写真が本堂を正面から写した写真ですが、屋根の部分をご覧ください。
屋根の形が台形になっています。
こういう形の屋根を、寄棟造り(よせむねづくり)と呼びます。
もう少し下に目線を向けてみましょう。
屋根の下に丸い柱が6本建っているのがお判りでしょうか?
柱と柱の間を数えてみると、5つあることがお判りでしょうか?
柱と柱の間のことを柱間(はしらま)と呼び、古建築の世界では、柱間1つを一間(いっけん)と表現します。
柱間を数えて5つあったので、この建物は五間堂(ごけんどう)という言葉でおよその大きさを表します。
今度は、もっと下に目をやってみましょう!
地面と柱の間に石造りの壇が、いやいや、石造りの壇の上に建物が建っていることがお判りでしょうか?
この石造りの壇を基壇(きだん)と呼び、古代からある建物の基礎です。
後ほどもう少し説明いたしますので、太字の言葉を覚えておいて下さいね。
< その他の特徴 >
左の写真は正面に向かって右の隅から写したものです。
建築では、「建物の角」とは言わずに、「建物の隅」と呼びます。
「部屋の隅」とか「隅っこ」のすみです。
何かお気付きになりませんか?
そうです! お住まいの近くのお寺や神社でよく見かける、縁がないんです!
これはお約束事ですが、縁が付かない建物には床もないんです。
建物内部は基壇の表面がそのままの土間になっているんです。
ということは、お坊さんが執り行う祭祀儀礼は、建物の中には入らずに外で行なっていたということが推測されます。
本堂と呼ばれる以前のお寺の最重要建物は「金堂」(こんどう)と呼ばれていました。
(法隆寺の金堂や、唐招提寺の金堂が有名ですよね。)
「金堂」とは、御仏を安置するお堂であって、儀式を行なう場ではありませんでした。
この時代には、特別な祭祀儀礼を行なうとき以外は、扉を開けることがなく、僧侶は建物外部でお勤めをしていたそうです。
また、特別な祭祀儀礼を行なうときも、建物内に入れるのは特別な高僧のみであったそうです。
ですので、床は必要なかったのです!
寺院の間口は広いので、扉を開けるだけでも中の仏様の様子は窺い知ることができますし、扉を開けずとも、情報も娯楽も
少なかった昔の人々は、建物内の御仏(みほとけ)の世界を想像し、篤い思いで信仰することができたのではないでしょうか。
< 結 び >
少し話がそれましたが、上に書いたことは「構造形式」という建物のおよその規模と形式を表すのに必要な事柄になります。
正式には、「桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺」
(けたゆきごけん、はりまよんけん、いちじゅう、よせむねづくり、ほんかわらぶき)となり、
一息で言うと舌を噛みそうで、堅苦しい表現になります。
ここでは堅苦しいことは抜きにして!!
「基壇の上に建って、縁が付かない寄棟造で本葺の五間堂」
この4つのキーワードで建物の形を説明すれば、宮大工が聞いても「良くご存知だな」と、感心することでしょう。
そしてもう一つ、
こういう建物の形態は、奈良の古建築の特徴のひとつと覚えておいて下さいね!
本堂の正面に灯篭が一基建っていますが、これも含めて奈良に多い古い形式なんです。
ついでにもう一つ。
奈良時代の建物は、奈良にしか現存していませんので、お知り於き下さいね。
他にも目を向けて見て頂きたいところがありますが、
続きは秋篠寺本堂の続編でご紹介いたします。
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