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国宝 元興寺極楽坊


奈良市の名所、奈良町にある世界遺産であり南都七大寺のひとつ
元興寺( がんごうじ )の極楽ををご紹介します。
 奈良町の中にひっそりとたたずむ目立たないお寺ですが、実は「 日本初 」が多い、すごいお寺なんです!!

< 奈良町と平城町 >

まずは豆知識から・・・・。  
奈良県以外の方々は 「 平城 」 と書くと 「 へいじょう 」 と読まれると思います。

「 平城京 」 の遺跡や、歴史の奈良時代の都で有名ですよね。
古くは 「 平城 」 と書いて 「 なら 」 と読みました。
今でも JRの関西本線、奈良駅から木津方面に向かって1駅目に 「平城山 」(ならやま)という駅があります。
 元々、奈良市の名所 「 ならまち 」 の大半は、元興寺の伽藍( がらん )だったんです。

室町時代中期に起きた土一揆の放火により、伽藍内の主要建物を失って以後、織田・豊臣政権の奈良進駐を契機に古い権威が奪われてゆき、
江戸幕府成立でそれが決定的となって、現在の 「 ならまち 」の成立となったようです。

< 伽藍って何? >

 伽藍とは、「 塔・金堂 」、「 講堂・経蔵 」、「 僧坊・食堂 」などの建築施設を備えた寺院で、回廊で囲まれた部分または、お寺のお堂の建つ敷地内の呼称で、現代では「お寺の境内(けいだい)」とも呼ばれ、七堂伽藍や伽藍配置などの言葉が遺されています。
 古代寺院は現代の大学やキリスト教の修道院にあたります。
 
 かぎカッコで結んである建築物は、「 仏像 」、「 経典 」、「 教団 」を具体化したものです。
 
 そしてこの3つは三宝を象徴したもので、三宝とは、「 歴史的・奇跡的な仏様の存在( 佛 )」、「仏様が解き明かされた真理( 法 )」、「 仏法を学び伝える集団( 僧 )」のことです。
 
 古代の寺院は現代の大学に当たる施設でしたので、上の6つの宗教施設が最低限備わっていました。
< お堂を東向きに建てる理由 >

 トップにある写真をご覧ください。
 この建物は東を向いて建っています。
 ということは、参拝者は西を向いて仏様を拝む形になりますよね。
 
これはお約束事ですが、東を向いて建っている仏堂は浄土宗浄土真宗のような阿弥陀様をご本尊にしている宗派の本堂や、宗派は違っても阿弥陀如来を始めとする極楽浄土の仏様をお奉りしているお堂が多いんです。
(敷地の都合で浄土に関係なくても東向きに建っているお堂もあります。)

何で東向きが極楽浄土と関係あるの?
西方浄土
ですので、東から西に向かって極楽浄土の阿弥陀様を拝めるように仏堂を建てるのです。
阿弥陀様以外の仏様をお奉りする場合は東向きとは限らず、平安時代の中期以前のお寺の最重要建物は原則南向きが基本となります。

理由については別の機会にお伝えします!

もう一度上の写真をご覧になって、柱間を数えてみてください!

< 珍しい六間堂 >

柱間(はしらま)を数えると6つあることが解ります。
ということは六間堂(ろっけんどう)ということになりますが、
柱間についてはこちらをご覧ください
宮大工にとって六間堂は不思議に感じます。

なぜか?

柱間が偶数であれば建物の中央に柱が建つことになります。
仏様や神様は建物の真ん中に居られますので、真ん中に柱があると邪魔になって拝めませんよね。
神仏に対して目の前に柱を立てることは失礼にもなります。

ですから社寺建築は柱間が
1/3/5/7・・・・・・・33と、
必ず奇数になるように建てられます。 ( 正面の柱間に限りますが )

一間堂
三間堂
五間堂
七間堂

* 出雲大社でおなじみの 大社造(おおやしろづくり/たいしゃづくり)と呼ばれる建物は、 神様の御鎮座の位置が他の神社とは違うのでこれには該当しません。異例になります。

< 日本初の仏教寺院 法興寺 >

 飛鳥時代の崇峻( すしゅん )天皇元年( 588年 )、有力豪族の蘇我馬子により、日本初の整備された仏教伽藍法興寺がヤマトの国の飛鳥の地に建立されました。
 今から~1430年前のことです。( 平成30年現在 )
時を経て、飛鳥~藤原京から平城京に都が移り、法興寺は養老二年( 718年 )に飛鳥の地から現在地に移建され寺名を法興寺から元興寺に改めました。
 
法興寺が在った飛鳥の地には、日本最古の金銅仏で有名な「 飛鳥大仏 」をご本尊とする飛鳥寺が現存しています。
建立当初の仏様が飛鳥の地に現存しているので、ご本尊をお奉りする「 金堂」などの主要な建物以外の建物を奈良の都に移築されたと
考えられています。
 
このときに移築された僧坊( 僧侶が生活をするための建物 )を鎌倉時代に改築したものが、現在の国宝 極楽坊と、
隣接する国宝 禅室です。

< 日本最初の浄土教研究 >

法興寺が平城京に移建された当初、智光法師( ちこうほうし、709~? )と言う学僧がおられました。
この方は「 日本最初の浄土教の本格的研究家 」として世に知られています。

上の写真をご覧ください。
極楽坊西側に隣接する国宝 禅室です。
奥に見えるのが極楽坊です。
今は4室の僧坊ですが、6室でもっと横長でありました。
移建当初は、6室の僧坊が極楽坊の方向にもう1棟直列して並んでいました。
 
この2棟の僧坊が伽藍の中心軸から左右対称にもう2棟直列して建っていたそうですから、すごい規模のお寺だったことが想像できます。
 東側僧坊の1室に智光法師が住んでおられました。

智光法師が生前ご自分のお部屋の中に日本三大曼荼羅のひとつと呼ばれる「 智光曼荼羅 」(ちこうまんだら)
お作りになりお祀りしていましたが、後世になって智光曼荼羅信仰が盛んになり、曼荼羅を祀っていた1室を改築して、
現在の極楽坊になりました。

下の写真をご覧ください

禅室の西側面から撮った写真です。
ご覧のように柱間は四間ですよね。
禅室東側僧坊の横長に並んだ6室の内3室を切り離し、残った3室の南北に一間づつ増築して六間になったのが、

現在の極楽坊の姿なんです。だから真ん中に柱が立っているんです!

ご安心ください。
ご本尊をお祀りしている内陣は中央でお参りできるように、ちゃんと真ん中の柱を抜いてありますよ。


このお寺には日本初がまだあります。
建築のことと併せて続編でご紹介したいと思います。

前回ご紹介した国宝浄瑠璃寺本堂
阿弥陀堂ですので
東向きに建っています


国宝 浄瑠璃寺本堂

東向きに建っている阿弥陀堂の顕著な例として、
国宝 浄土寺浄土堂が在ります。


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