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大平原を渡る風|赤丸天の「My Canada」

生まれて初めて大平原を見たのはテキサスだった。

大学卒業後、人生計画も持たずにアルバイトで生活し、漠然と「将来は住みたい」と考えていたアメリカを一人旅したときのことだ。

ロスからダラスまで飛び、深夜にダラスのバスデポに着いてグレイハウンド(長距離バス)で目的地のラレードに向かった。

ラレードは、リオグランデ川を挟んでメキシコとの国境にある町で、近くにはテキサス独立戦争中の1836年、アメリカ人義勇兵がメキシコ軍と戦って全滅したアラモの砦がある。「なぜこんな田舎に行ったのか?」と思うだろうが、それはまたの機会に説明することにして話を大平原に戻そう。

グレイハウンドは農民らしきメキシコ人でいっぱいで、みんな人生に疲れ切ったような表情ばかり。

初めてのテキサスだったし、それまでにメキシコ人に囲まれたことなどなかったので緊張感で体がこわばっていたが、長旅で疲れ切っていたため、しばらくすると無防備の状態で眠に落ちていたようだ。

「ゴトン」とバスが揺れて目が覚めると、バスデポを出た時には真っ暗だった空が明るくなっている。

そして窓の外に広がる景色に目を移すと……、

そこは度肝を抜かれるような大平原の真っただ中だった。

右を見ても左を見ても、前も見ても後ろを見ても、景色を遮るものは一切なく、見渡す限り草原が続いている。時折、ポツンと一軒だけ立つ農家が出てくるが、歴史に取り残された遺物のようで荒涼感に包まれている。

以前、地平線を見たくて北海道を旅行したことがあるが、北海道で見たのは広くはあってもどこか優しい景色だった。

それに比べてテキサスの大平原は何倍も大きなだけでなく、人間の感情をおもんばかるような優しさは持ち合わせず、ありのままを「ほら、ここで生きてみな」って放り投げてくる感じだ。

寝ぼけていた頭脳から覚め大平原に囲まれていることが判ったときに自分が感じたことは、理由もない恐怖だった。

カナダで大平原を体験したのは、それから何年も経ったあとだ。

アルバータ州カルガリーの南東にあるメディシンハットから東に数時間ドライブし、国道を離れてさらに田舎道を北上して文字通り見渡す限り続く大平原を見つけ、黄金色に輝く麦畑が続く中を自分の足で歩いた。

おびただしい数のバッタが足元から飛び立っていくのを構わず歩く。あたりの空気に慣れ、興奮をなだめるように気持ちを落ち着かせて気が付いたことは、ここには人工的な音が一切ないことだった。

飛び立つバッタの音……、麦畑をなでる風……。それ以外に聞こえる音は一切ない。

そして「風」といえば、来渡す限り遮蔽物がないここでは、風が何マイルもの遠くからやってくるためか、微風であっても巨大な空気の塊り(かたまり)で、どっしりと重量感があるのだ。

小生の岳父は、メディシンハットで育ったウクライナ系のカナダ人で、大平原が大好きだった。

バンクーバーに来ると山並みを見て、周りを囲まれているようで「圧迫感があって好きではない」と言っていた。

山もいいが岳父の気持ちもよくわかる。「自分の故郷が大平原だったら今とは違った人間になっていただろうな~」、などと思ったりもするのだ。

Ten Akamaru(赤丸天)

1970年代にカナダはトロントの現OCAD Universityに留学し、1980年代にカナダで起業。その後カナダ市民権を取得しバンクーバーに生活拠点を置く赤丸が、枠にとらわれずに現在と過去の出来事や日常を綴るコラム。カナダと日本の比較、カナダの特色および文化、社会や考え方など、長年暮らす❝My Canada❞を描写します。