二律背反(アンビバレント)
初めての記事でこの話題を取り上げた自分に拍手したい。いやむしろこれを書くためにノートを始めたのかもしれない。
ちゃこさんの以下の記事を読んで、書かずにはいられなかったので。https://note.com/ahs345/n/n511ba7eec0dd
ここに迷い込んでしまった方は先にこれをお読み頂き、満足したらブラウザバックをして下さい。
平手友梨奈脱退のニュースを聞いて、それほど驚かなかった、覚悟をしていた。「やっぱりか」という冷めた気持ちと「残念だ」と悲しがる気持ちが混在していた、 (でも安心もしていた。)
平手ちゃんの魅力ってなんだとおもう?その儚さと美しさだと思う。
彼女の魅力を一言で表すなら、「真っ白いキャンパス」ではなくて、むしろ「真っ白な絵の具で塗りつぶした純白」だと感じている。
これは1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』のインスパイアを大いに受けているが、
自分は人格形成の時期に欅坂に出会えたことに感謝しているし、確かに今も心の奥底で息づいていると思う。
何より嬉しいと思い馳せるのは、欅坂46のメッセージ性を真実だと信用して何人もの…いや何人かだけかもしれないけれど。彼女たちが創り出した虚構かも知れないその世界を、日頃の活力とし、嫌なものに対する『No!』という気持ちを伝える対抗心や抵抗する力を育んだ人もいるだろう。それを「信者」と表現するのかはわからないが、私もその一人”だった”
ただ、今となっては自分も罪深いファンだ。消費するだけして、いざとなったら追っかけを止めてしまうのだ。その後の少女らの人生なんて考えもせずに…「これに人生かけてる」なんて言われても、不人気だの存在感がないだの言っていた。でもこれは正直な本音、きっと。
"アイドルってそんなものだよね"という残酷な気持ち
まだ、『Documentary of 欅坂46』を観に行くかは決めかねている。そう、どれもシナリオ通りに創造されたものだという一歩引いた視線が自分の中のどこかにあるからだ。私は"真正面から楽しむことはできないファン"だった。
嘘の中に真実を交えることで人は騙せる、アイドルオタクになりきれない人っている。自分もだ、つくづく「ナマモノ」を応援することの危うさというものを頭の隅で考えながらファンをしている。(これはまたの機会に...)
でも、私は『二人セゾン』が好きだ。
満たされない真夜中、泣き出しそうになりながら
耳を傾けてまっさらな気持ちでそれを見たときに
「あぁ…美しいな。」と感じた、そしてその時の気持ちには嘘がなかったよ。活力が生まれた、これがアイドルの力なんだと思う。
二律背反って、自分の好きな言葉なんだ。人の二面性を表していて、自分はこういった傾向の強い人間だと判断(自覚)している。正解と間違いって裏腹な関係だとおもう、紙一重ともいうか。答えなんてない、決めつけられたくない。
理性的な部分と、感情的な部分を行ったり来たりで往復して。ウソかホントかわからないまま生きている、結局なにが言いたかったんだ?
その一瞬の正直な気持ちに従って欲しい
※これは3/22の下書きに加筆・修正を加えた記事です。