医は家庭に入らず
先日、ご近所の地域包括支援センターにて、地域の方にお話しする機会を頂きました。
テーマは「認知症」で、自分や身近な人が認知症になった時できることを中心にお話ししました。
当院が訪問診療をメインとした形式をとっている理由の1つは、認知症の患者様、ご家族様の生活支援を行いたいという目標があるからです。お家に行くことで、外来の診察室では見られない、患者様の生活様式やこだわり、その人らしさが見つけられる、それが治療介入のきっかけとなったり、家族の負担を減らすことに繋がったりする、といった内容をお話しさせて頂きました。
お話しをしながら、自分が医学部に入る時の面接を思い出しました。
受験者が10名程度ずつ班に分けられ、班ごとに課題が与えられ、制限時間内に班メンバーで協力して課題を解決する、というものでした。
私の班は「児童虐待防止につながる案を作成し、プレゼンテーションせよ」という課題を出されました。(おそらく医療者に必要なチームワークやコミュニケーションなどをみる試験)
プレゼンテーション終了後、試験監督の先生方と面接があり、私は「実際、医師になった時、児童虐待を疑うことがあったら、どのように対応しますか?」と聞かれました。私は「児童の保護は第一として、虐待をした家庭、保護者へも何らかの医療とケアが必要かもしれない。そこにも介入していきたい」という様なことを述べました。その際、試験管の先生から「家庭の問題は法が解決せず、自治的解決に委ねるべきという「法は家庭に入らず」という言葉がある。虐待など家庭の問題に介入するとき、この原則を越える必要がある。医療も同様に、「医は家庭に入らず」が原則だと私は思う。家庭に介入する医療者になるつもりなら、この原則をどこで越えるべきか考えた方がいい」とコメントをもらいました。
訪問診療医として様々な家庭を訪問することになり、その先生がおっしゃった「医は家庭に入らず」という言葉を思い出します。家庭には治療やケアにつながるヒントが沢山ある。でも、その中の守られてきたルールを壊す方向に進めてはいけない。家庭の中で独自のルールで解決する手助けをする、それが原則だと思います。
認知症疾患は特に生活に関わることが大きいため、少なからず患者様やご家族が、これまでの生活様式を変えなくてはならない時があります。変化が受け入れられず、家族の関係性がいびつになったり、一人の負担が増すこともあります。そのような中に部外者が突然現れ、医療という一側面でどれくらいサポートができるのか。
医師を目指す試験で問われたことは、医師になった後もずっと続く私の課題になっている様です。