感想文|落語『幽霊の辻』〜今は悲しみの果てより感想文の果てを知りたい
こんばんは。
エレカシも落語も好きなイラストレーターの林です。
ということで、ピロン♪
この数ヶ月、ヘビーローテーションで聴いているお耳のおとも、落語家・桂二葉(かつらによう)さんの『幽霊の辻』は、ここでいっ時、静寂。シンと時が止まる。茶店(ちゃみせ)のおばあさんが先のセリフを言いながら、暮れていく日に手を合わせるだけの場面で、話の本筋とはさほど関係ない。概ね関係ない。ないのだけれど二葉さんの『幽霊の辻』は、この場面が印象的に丁寧で、会場のお客さんごとシンと静かになるのも相まって、ここから、ぐいんと二葉さんの語る世界に引き込まれる。
わたしはこの場面が大好きで、あー、このおばあさんは毎日こうして一日の仕事を終えてるんやろなとか、きっと翌朝もこうしておばあさんの一日が始まるんやろなとか考える。誰が見ているわけでもない彼女の繰り返しの日常を想像して、いとおしいような尊いような、そこらへんの気持ちになって、(実在しない)彼女のことを、今日もふと考えてしまった。
で、茶店のおばあさんに思いを馳せていたら、高校時代「月曜日、教室に髪を切った子がいると、クラスの人全員に学校じゃない場所の生活が確実にあるって実感するねん」と興奮気味に話してきた同級生・ヨッちゃんのことを思い出した。
その時のヨッちゃんのワクワクした声と感極まった表情を思い出しながら、髪を切った子をみて、唯の一度も、そんなことを考えたことがなかったわたしには、ヨッちゃんの視点がスコブル極上で眩しかったなと、当時の記憶にプカプカひたっていたら、20年ほど前「おばあちゃんはさ、わたしの母親ってだけじゃなかったんやなって、今さらながらに気がついたわ」と、わが母・マチコが言ったことを思い出した。祖母(マチコの母)の葬儀の準備もひと段落したところで
「うどんが食べたい熱いうどんが」
と唱えるように訴えるマチコにつき合い、斎場近くの食堂をみつけて二人で入った。通夜の夜、わたし含めた祖母の孫たちが「そういえば、おばあちゃんてさ」と話す様子に、そんなことを思ったらしい。ずるずるとうどんをすすりながら「ま、あたりまえのことやけどな」と話すマチコの表情は、あの時のヨッちゃんにほんのり似ていた気もする。
……うん?
これ、もはや『感想文』じゃなくねえ?
うん、ねぇな……ということで、きょうはこれにてー!
とりとめのない回想におつき合いいただき、ありがとうございました。スンッ。