きゃんの変わった生い立ち
きゃんの生まれた時
簡単な自己紹介はしましたが、私の生い立ちをお話していなかったので、ご紹介したいと思います!
(※今回の内容は、下記インタビュー記事をさらに詳細に書いた内容となります。)
1986年、台湾の高雄生まれ。母が台湾人、父が日本人の異文化な二人の元で生まれました。さらに変わったお話をすると、父は去年まで兄弟で産業廃棄物の事業を経営しており、母も元々若い時に飲食事業を経営していました。台湾と日本の親族も事業主として、経営をするという不思議な家系で育ちました。
育ったのは、長野県。都会と自然のバランスの良い街で、伸び伸びと育ちました。
チャレンジ精神旺盛で活発に育った幼少期
今振り返ると、ここから私の好奇心旺盛な性格は形成されたのだと言っても過言ではないなと思います。常にやりたいことがあると、すぐに何でもチャレンジさせてくれる環境で、今も私のチャレンジしたいことに全力で応援してくれる一番の応援者は両親でもあります。
常に求められるプレゼンテーション機会
海外の考えを持つ母と、経営者として日頃から立ち振る舞う父の元で育った私は、常日頃から、両親から何かやりたいことがあると必ずそれを行う”目的”と”ベネフィット”をプレゼンする機会を求められていました。
それは今でも両親にプレゼンをする機会は変わらないです。今思うと、幼少期からそんな機会があれば、そりゃ営業力も付くなと思います(笑)
チャレンジできる機会を与えてくれる一方で、常に結果がセットで求められる環境でもありました。今流行のグリット力(やりきる力)と結果が常に求められます(笑)今思うと、合理的かつ投資的な考え方で、さすが経営的視点で物事を判断されているんだなと感じます。実際に、何か説明をするときは、今もなお私に言う口癖は、『いつ、どのタイミングで、どうやって回収ができるの?』と私に問いかけてくるぐらいです。
家族から学ぶ事業作りで得たこと
そんな特殊な家系に育った私ですが、会社や事業を継続させるということの難しさを常に直面して育ってきました。親族が事業に失敗をし、生活環境が一変してしまった姿を見ることで、事業を作ることの大変さを目の当たりにしました。そこで私は無力だった自分に実力を付けたいと幼いながらも決意したのを今でも覚えています。
特殊な環境から出来上がったきゃんという人物
このような環境だからこそ、今の私のベースが出来上がったんだなと思います。よく周りから私は、向上心が高すぎる、好奇心旺盛、鈍感力と言われるのですが、それは両親が私を自由かつシビアに育ててくれたおかげです。
(上記写真は、私が育った長野の名所の善光寺です)