嗚呼、私は八流人生
忘れもしない、中学生時代の話。
中学校に入学して、すぐに入部式という集会があった。何かしらの部活に入部する生徒は必ず参加しなければならないもので一時間くらいの集会だったと思う。
大体の内容は忘れてしまったが、ひとつだけ鮮明に覚えている言葉がある。
お前らは、八流選手だ。スポーツで食っていけるほど、世の中そんなに甘くない。
「文武両道を目指しましょう」とか「体だけでなく心もしっかり鍛えましょう」などとありふれた、聞き慣れたことを言われると思っていたのに、体育を教えるその先生は唐突に声を荒げてその言葉をぶつけてきた。それよりもなぜ八流なのだろう。シンプルにそう思った。
二流でもなく三流でもなく、飛ばして八流。
この先生には中学校卒業まで授業でも部活でもお世話になったのだが、八流の話をしたのは後にも先にもこのときだけだった。
今でも、そしてこれまでも、ふとした瞬間に思い出すこの「八流」の意味。
結局のところその言葉の真意を先生には理由を尋ねなかった。いや、聞かなかったのだと思う。
その先生は生徒に対して基本的に何も言わない。
「自分で考えろ」の指導法だったように思える。
八流だからスポーツで食ってはいけないから、勉強に現を抜かすなよ。
二流、三流ではない八流だからこそ仕事にするなら必死にやる覚悟をあるか。
いろいろと解釈はできると思うけれど、この「八流思考」にたびたび助けられてきた。
うまく事が進まなくても、所詮「八流」だから仕方ないとガンガン割り切っていけるし、うまくいったとしても「八流」の分際で頑張りが報われて嬉しいなんて思ったりする。
一流を目指していくことも確かに必要でとても大切なことと思う。でも一流ばかり目指していると疲れるし、八流だからこそ捉えられる視点もある。
頂いた「八流」をそんな解釈でしばらく過ごしてきた。
でもやっぱり、言葉の真意を知りたいと思うことがある。
先生に尋ねたとしても「記憶にない」なんてバッサリ切られてしまいそうだけれども。