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SNS見てたら心が弱っちゃって

精神がへんな感じになってきた

あっ、まずいな。直感的にそう思った。自分の心がしだいに弱ってくるのを察知して、「あー、嫌だなー嫌だなー」って、怪談の得意な芸能人がお化けに遭遇した話をするときの導入部分みたいな気持ちになっていた。ここしばらく私は、精神がへんな感じになっていて、あきらかに不調であり、みずからのメンタルがマイナス方面へ変化していく危険信号を読み取っていたのであった。心が衰弱していたのである。これはよくないと思った。一応断っておくと、「精神がへんな感じ」といっても決して、錯乱して渋谷スクランブル交差点の真ん中で逆立ちしながら、福島民謡「会津磐梯山」を大いに熱唱する、みたいな本格的にヤバい感じにはなっていなくて、気分が塞ぐといった程度のシンプル落ち込みではあった。しかし、できれば毎日心晴ればれと暮らしたいのが人情であって、なぜ気分がすぐれないのかと困っていました。

さてどうしたものか。心が落ち込んだら、まずは部屋の掃除、というのはよく言われることである。部屋がキレイなだけで、心は明るくなり、表情がいきいきとするらしいからね。この指摘には理解できる部分があり、たしかに部屋の清潔さ、乱雑さと精神状態の安定、不安定は一定程度シンクロしていると思う。私の部屋は少し前から乱雑になっており、見るからにごちゃごちゃとしていたし、部屋には余計なものが積み上がっているような状態であった。掃除をする精神的余裕もなくなっていたのである。確かにこれはよくない、と思ってまずは掃除をすることにした。部屋を整理し、なるべく快適な状態にしてみたところ、多少は心も回復したものの、まだ充分ではなかった。心はどうすれば安定するのだろうか。

剥き出しの情報や映像

他には何があるか。思い当たるのは、日々の習慣であるSNSと、ショート動画に費やす時間であった。どっちも、よく見ていた。正直、見すぎかなと思うほどに見ていたと思う。これらのメディアは特徴として、何の編集もなく、公平な第三者に事前チェックもされていないような、剥き出しの情報や映像がそのまま飛び出してくるため、いまの私のような状態の人間には刺激が強すぎて、耐えきれないのではないかと思った。生焼けの肉をそのまま口に入れてしまうのにも似た怖さがある。SNSもショート動画も、とにかくしんどいのに、その苦痛に麻痺してしまい、ずっと見続けていた。これが私の憂鬱の原因にはなっていないだろうか。SNSの場合、政治等のニュースにしても、時事的な話題にしても、扱われ方や広がり方がやや極端になる傾向があると思う。何かを激しく非難する投稿が読まれやすく、もちろん世の中には非難しなければいけない問題や事象はたくさんあるんだけれども、いまの私のような精神状態だと、何だかぐったりするばかりでついていけない。短い動画がランダムで出てくるショート動画はもっと酷くて、カワイイ猫ちゃんやら赤ちゃんが出てきているうちはいいんだけれど、急に自動車の事故や、酔った人物が別の誰かを殴る場面、飲食店の店員さんを暴力的に恫喝する客など、冷や汗が出るような映像が無検閲で飛び込んできてしまう。マジで怖すぎるのよ。誰が投稿したんだ、これ。こんな映像を見ていたら、具合が悪くなるに決まっている。

私は、このままでは精神がおかしくなってしまうと思いました。そこで、SNSは自分のお知らせ(著書の宣伝、ブログやポッドキャストの更新情報、日常的なこと)の投稿にとどめて、流れてくる情報はほぼ読まないようにしたのであった。あわせて、YouTubeやインスタのショート動画は完全に禁止にした。特にショート動画は何というか異様な世界で、暴力や攻撃性が全開の投稿ばかりだから(それがウケている要因だと思う)、見続けたらそのうち心が壊れてしまうと考えたのだった。もう、おかしくなっちゃうよ。その代わり、何かを見たいと思うなら、読書、NetflixやAmazon Primeなどの有料配信、テレビゲームに時間を使おうと決めた。つまりは、制作に複数の人が関わって、伝達する内容にチェックや編集、審査が入っているものに限る、という決まりを作ったのだ。こうした表現は私の心を蝕まない可能性が高いと、ようやく気づいたのである。どうしてこれまでわからなかったのだろうか。特にテレビゲームは精神によかった。すぐれたゲームには、人の心を落ち着かせたり、リラックスさせたりするプラスの効能があると思うな。こんなことなら、もっとゲームを遊べばよかったと後悔している。

つかれちゃった〜

弱った心を回復だ

私は、有料の映像配信サービスを複数契約しているのだが、なぜかそうしてわざわざお金を払った映像をあまり見ずに、品性下劣な無料動画ばかりを見てしまう傾向があった。これ、どうしてだったのだろうか。時間もお金ももったいなかった。その結果、ヤバいショート動画の見すぎで心が弱っていたのだから、本当にばかみたいだと思った。ひとつもいいことがない。だから、もうしない。ニュースは新聞で読むことにしている。SNS経由で知るニュースは、同じ事件でも、感じる恐怖感や不安感の度合いが違う。何か無性に怖いし、不正確な憶測なんかもついてまわる。こういうとき、新聞はありがたい。ここに書いてあることは、複数の人が妥当性を調査した上で伝えているものだという信頼感があるのだ。そこが何よりありがたかった。たしかに新聞は情報が1日遅れるが、そのくらい情報が遅れたって、別にいいじゃないかと思った。

こうして、弱った心を回復させるために、自分のなかに推奨事項や禁止事項をあれこれ作って試している状態だ。上記の方法がうまく行くかどうかはわからないが、メンタルがどうにかなってしまわないよう、工夫しているところである。いま、試しにSNSを開いてみると、あんまりにも煽情的なワードがどんどん飛び出してきて怖くなり、4秒くらいで閉じてしまうようになった。習慣的に毎日SNSをチェックしている方も多いと思うが、あれは結構激辛なメディアだと思うので、気づかないうちに麻痺しているのであれば、しばらく見ないようにするのもひとつの手だと思う。アグレッシブな内容や、攻撃的で怖い投稿、人を動揺させるような映像がたくさんあるので、元気がなければ別に見なくてもいいと本当に思う。SNSには、妙なことを言い出す変わった人もたくさんいるしね。もう歳なのかもしれないけど、正直、私はかなり厳しくなってしまった。別にSNSを見なくても、元気に生きていけるので、ムリをしないでほしい。人生、他にも楽しいことはある。私からのメッセージでした。

【そんな私ですが、今年の2月にスキンケアの本を出したので、読んでみてください】

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