『”つくる人”が生きやすい社会』 をつくることに、生涯を賭けたくなった経緯と理由
会社を設立して1年が経過した。Campの共同創業者の 新田です。
しかし、いろいろ早すぎです。
何がって、日々さまざまな人と会い、熱めに会話し(暑苦しいとも言う)それら熱量を仕事として変換していたら1年が経過してしまったのです。
2018年はそんな感じで、新たな出会いが本当にたくさんありました。
すべての出会いが今後の自分たちにとって血肉になると確信しています。マジで人に活かされている。
今年は自分たちも起点となって、より多くの出会いを繋いで行きたいですし、もっと色々な人と出会いたいと思っています。
そんなこんなで自己紹介として、流れ的に会社の理念なんかはお話しする機会も多いのですが……
私個人が「どうしてそう考えるようになったのか?」ということについてはあまり話をする機会がありませんでした(一部の方には呑みの席でダラダラと話ししてますが)。
なので、この場を借りてその辺りのお話をまとめておこうかと思い、noteに書き留めておくことにしました。
”つくり手“の存在を意識するようになったきっかけ
僕は高校を卒業し、ファッションの専門学校でひと通り遊び呆けたあと、いつかは自分の店を持ちたいという夢を抱きつつ、セレクトショップに就職。
そこで所謂ショップスタッフとして、順調にファッション消費を謳歌します。
当時は、”デザイナーズブランドの服と良質なヴィンテージ服以外は無価値“ぐらい思い込んでましたし、ディテールや素材についてのウンチクを諸先輩方から聞いては、受け売りを垂れ流すように人に勧めまくりました。
しかもめちゃくちゃ上から目線で……(はい、イタい店員す)
そんな、ひねくれクソガキが行き着いたのは、まだ黎明期にあったファッションECの現場です。さまざまなクラスターに向けて発行されていた某人気ファッション誌に関連するEC事業に携わることになりました。
当時、22歳のひねくれクソガキであった私は、まあ完全にイキってましたので、たくさんの人に迷惑をかけましたが、多くの愛ある方々の助言によってなんとか体裁は保ちつつ、およそ7年その会社にお世話になることになります。
で、20代後半になり、ようやくわりと落ち着いて世の中と向き合えるようになったかと思いきや、さまざまな媒体で多種多様なクラスターの分析をして、売れるモノが分かってきたような気になって、大人風に振舞いつつも、やはりそれはそれでイキってました。
そんなとき、「yohaku」の創業者である渡辺さん に出会います。
当時、ファクトリーブランドという存在が少しづつ世に出始めていましたが、彼らは意識せず自然と“作って”“売る”を重ねており、2009年くらいから今で言う DtoC を直感だけで立ち上げるという、ちょっと変態的な感性を纏っていました。
その変態性がなんともおもしろく、当時浅草のお店にお邪魔しては、彼の思想を覗き見るのが趣味のようになっていきます。
そんな渡辺さんから、アパレル業界のものづくりにおいて重要な川下の現状を教えてもらうことができ、自分の中で多くのモヤモヤが生まれていきます。
渡辺さんの話によると、川下側の事情で次々と製造拠点が海外に移っていくなか、年々日本国内の縫製業などアパレル関連の製造業は衰退を続け、アパレル製造業に就く若者は減少し、担い手を育てられないどころか事業が続けられずに廃業を余儀なくされる工場が相次ぐ、という悪循環が続いていました。
それらの内情を聞いているうちに、売ることばかりを考え、ものを作ってくれていた方々のことを、ほとんど考えてこなかった自分が恥ずかしくなってきました……。
同時に、この状況になるまで放置してきたアパレル産業全体への怒りにも似た感情などが沸々と湧いてきます。
そこで僕は、仕事の中で解決できることはないのか? なんとか変化のきっかけをつくれないだろうか? と考えるようになり、「いま自分ができることは、日本製の良さを紹介して売ることだ」という極めてシンプルな結論に行き着きました。
しかしながら、そうコトが順調に運ぶ訳ではないんですね、残念ながら。
どうしようもない無力感と、ふとした気づき
それから、多くの国産ブランドの方々との商談を繰り返しました。
いち会社員としての責務を果たしながら思想を叶えるためには、自分が担当する売り場の売上を一定に伸ばしつつ、国産のブランドからヒットを生み出す必要があります。
スタート初期は雑誌でも「国内で職人さんが丁寧に作っている」という打ち出しができ、結果も好評が続きます。
時代背景もあって、当時担当していた「ナチュラルで丁寧なライフスタイル」を感じさせるファッションは、本当によく売れていました。ただ売場が拡大していくと同時に、難しさにも直面しました。
国産のこだわりを持ったブランドさんのすばらしい商品を扱ったとしても、半額近い海外生産の商品がヒットすれば、会社から見れば「売上的に爆発力に欠ける商材」という評価になってしまいます。
商品やブランドのストーリーを伝えるコンテンツも組みますが、とにかく当時は商品“量”を確保できることのほうが優先度が高く、商品を選んでくる僕自身も会社員として 「“売れそうなもの“をたくさん揃えること」がどうしても優先になってしまう……というようなことが続きました。
気付けば、全体の売上で見ると80%以上を海外生産の商品が占めていました。(念のため補足しますが、当然ながら海外製品が悪いわけではありませんよ! 「良いものを作る!」という気概を持って取り組む多くのメーカーさんと取引させていただくことができ、本当に多くのことを勉強させていただきましたし、実際とても良い製品が多かった!)
そんなこんなでお取引先さまの多大な協力があって、会社員としてはやりがいも感じていましたし、充実した成果もありましたが、僕はどうしてもモヤモヤを消すことが出来ませんでした。
「こんな小さな市場でもこの状態になるんだから 日本国内でものづくりをする人も企業も増えようがないよな……」
「もっと価値観がひっくり返るような、社会的にインパクトのあることが起こらない限りはこのまま変わらないかも……」
そんなモヤモヤを例のごとく浅草で渡辺さんに吐露している最中、たぶん昔話でもしていたんだと思いますが、ふと唐突に気づいたことがあったのです。
自分の出発点を思い出すと、雑誌の中やショップにいるバイヤーやプレス、デザイナーたちがめちゃくちゃカッコ良く思えたから、ファッションの仕事をしたくなった、ということがあったなあと。
ただ、今思えば 彼らはみんな川下の人間です。
煌びやかに見え、憧れの存在のように見えていたのは、川下の人間だけでした。
「そうか。世の中的に “ものをつくる人”が憧れのカッコ良い職業だと感じてもらえれば、つくる仕事を目指す人は増え、その尊さにも気付いてもらえるのでは!?」
もちろん、これまで取り組んできたような方法で背景を伝えたり、ビジュアル的に魅せる工夫も必要ですが、なによりも重要なのは、ものをつくる仕事が「生きやすく」「自由に」「稼げる」という事実や可能性を、広く知ってもらい、実践してもらうことだと思ったのです。
そして、そんなことを考えていたときに偶然(本当にそう思い立った数日の間に)見つけたサイトが、当時立ち上がったばかりの iichi でした。
iichiの説明にはこんなようなことが書いてありました。
「手仕事でものをつくる人」が「手仕事でつくられたものを使いたい人」と直接繋がって、それらを売買することができるプラットフォーム
…んんっ? それってすごい課題解決になるんじゃない??
「この仕組みがスタンダードになったら、従来のものづくりと流通のシステムを根幹から揺るがすくらいインパクトあるし、今のインターネット・スマホの進化を考えれば、その流れが加速するやんけ!」
「そうなれば、”ものをつくり出せる人”が 自由で・カッコよくて・稼げる ということが浸透するかもしれん!」
…と、当時の僕は、勝手にアツくなって、勝手に確信していました。
インターネットは個人の趣味として好きだったものの、Etsyをはじめとする「C to C」マーケットプレイスというものについて無知だった僕は、とても衝撃受けたと同時に、あまりにもタイムリーな出会いに武者震いしていました。
勝手に未来を確信してブチ上がっていた僕は、AM2時をまわってましたがお構いなしに、そのまま夜中の危険な熱量をメールにブチ込んで、iichiの関係者アドレスへ送信していました。
多様な“つくる人”と出会い、経験したうえで考えたこと
謎のメールを送ってきた輩を招き入れてくれたiichiの方々。
それからボランティアとして彼らの仕事に関わり始めてしばらくしてから、iichi株式会社化と同時にお声かけをいただき、転職することになります。
iichiで過ごした時間は、とにかく濃密でした。
本当の意味で間近に”つくる人”がいる環境で、想いを発信し意見をもらえる... このリアリティのある環境を求めていたんです。
それは、ものづくりをする方々とのことだけではなく、iichiのサイトを構築し支えていたエンジニアの方々にも”つくる人”の精神を感じることができたことも、刺激的ですばらしい経験でした。
そんな濃密な日々のなかでも、毎年長野県松本市で開催されている「クラフトフェアまつもと」との出会いは、本当に衝撃的だったのを覚えてます。
こんなにも自由で気持ち良い空間で、つくる人と会話をし、作られたものを手に取り、”人となり”を味わいながら、ものを選ぶことができる場所があるなんて……。なぜ、今まで知らなかったんだろう、と。
改めてものをつくる人の凄さ、すばらしさに心が躍り、同時に前職から考えていたことの一つの答えを見つけたような気がしてなりませんでした。
この手と心の交流が、まさに”ものをつくり出せる人”が 自由で・カッコよくて・稼げるということを感じる瞬間ではなかろうかと思い、そして、その一助にインターネットが果たせる役割はまだ無限にあると思えました。
iichiがネット上のサービスであるが故に、内部で「もののリアルな手触りや制作工程はもちろんつくる人の実働や生活、流通の実態などを、より深く肌感で理解する必要がある」と考え、お店を展開したりイベントを開催したり作家さんを取材したり……ということを自分の活動の中心としました。
民藝や手工芸産業のことなども、自分なりにひもといて考察してきました。
iichiでのさまざまな仕事を通じて、多くの人と繋がり多くの意見をいただいたことで、より深いところで、”つくって暮らす” ということに向き合うことができました。でもここでも、その厳しさやそういった暮らしを広げていくことの難しさにも直面することになります。
ものをつくって、売って、それで暮らす。
ともすれば、シンプルでストレスのない心地よい生き方のように感じられる言葉ですが、たいへん厳しく苦しい側面も多々あります。
当然ですが、買ってくれる人が居なくては成り立ちません。
しかもこの飽和の時代に、わざわざほかよりも高いものを手にとってもらうには、やはり「ものごとに理解ある顧客」と繋がる必要があります。
では、理解あるお客さんを増やすにはどうしたら良いか?
僕は クラフトフェアまつもと の空気感を思い出していました。
もちろんクラフトに興味のある人が会場に来るわけですから、あの場所はすでに理解ある顧客で溢れています。しかし「無知だけど想いはある……」という状態の自分が、初めてそこに訪れたとき、そこにあるものや人への関心はMAXに跳ね上がりました。
自分と同じような体験をもっと多くの人に感じてもらえないだろうか?
多くの人が”つくり続けたい気持ち”を表現でき、それを目の当たりにして、あらたな”つくる人”が増えるきっかけを、もっとあらゆる角度からつくれるんじゃないか?
そして、それはもっと多様なジャンルで同じことが言えるんじゃないか?
そんな自問自答のなか、自分自身の働き方も見つめ直したいと考えていた矢先、旧知の友人でありカルチャー師匠である横田大氏が「イベント企画ユニットをつくりたい」と声をかけてきました。
僕が稚拙な脳みそで考えていたモヤモヤや仮説を、そのまま言語化したような企画書だったため、話を聞いた瞬間に参加の意向を表明します。
そのまま十数秒で、フリーランスになる決心を固めました。
そして、耕すべき領域が視えてきた
それぞれフリーランスとして忙しい日々を過ごしながらも、Anonymous Camp と銘打ち、ボロボロになりながらvol.0としてのイベントをひとつ仕切り終えました。
その後、活動に理解ある恩人の力添えのおかげで、イベント制作のお仕事を東急電鉄さんとご一緒させていただくに至りました。
実績の乏しい自分たちにとって、これ以上の有難い仕事はありませんでした……。
(東急さんとのお取組みのひとつ SHIBUYA DESIGNERS MARKETの模様↓)
そんなこんなで、忙しいながらも充実した活動を続けていくなか、このユニットを、しっかり会社にしなければという話になりました。
会社をつくると、企業をひとつの人格として根を張るにはしっかりとした理念が必要だという話になります。
で、また改めて考えました。もう何度そうやって考えてきたことか。
ただ、いつもと大きく違うのは 、ひとりじゃないということでした。
同じ考えをもつ仲間とともに考えアクションを起こせる。
…ならば、いよいよ変化を起こす側の中心を目指すときじゃないか。
「”つくる人”が生きやすい社会をつくる」そのために、何を武器に何を芯にやるべきなのか。これまでのことを振り返りながら、考えました。
そして、僕らがやるべきは、もっと企業や社会の仕組みにアプローチすることだと思い至りました。
前段で記述した経緯も含め、インターネットは新しい流通経路として確率しており、実際に多くのつくり手が利用し、サービスも増え進化しながら広がり続けています。iichiが提携し、僕も関わらせていただいたPinkoiでは海外への流通も個々で行えるようになってきています。
インターネットの業界は、多くの有能なプレイヤーのおかげで進化が続いています。
一方、iichiの社員として働いていた当時のことを思い出すと、百貨店などの既存流通と取引をしていたのですが、既存の流通は必ずしも”つくり手”に良い条件とは言えない状況でした。
いくらその門を広げようとしたところで出来ることは限られていたし、大手流通の場合、現場レベルではそう簡単に商習慣は変えられません。相方が昔から関わっていた音楽業界にも同じようなことが言えました。
しかしながら、衰退しつつもまだまだ巨大なパイを持っているという点では、既存流通は大きな存在です。
ならば、企業や団体など仕組み側の方々に、”つくる人”を理解してもらうことで根幹の考え方から変えることができれば、商流が変化し、新たな市場ができ、仕事が生まれ、”つくる人”が生きやすく かつ、つくり続けられる社会に近づけるかもしれない。
それなりに社会経験を積んできて、それなりに頭も堅くなってきたオジサン2人には、”仕組み側の人の苦悩や想い”に共感する部分もあります。そんな想いある組織の方々と一緒になって、新しい仕組みを目指すことができたら、それめっちゃエモい……と思いましたし、きっと僕らだから出来ることだと確信しました。
そうして、株式会社Campは、
「偏愛で世の中に寛容をつくる」クリエイティブ・エージェンシー
としてさまざまなお仕事をさせていただくに至っております。
幸運なことに、同じ想いで参加してくれる仲間も増えました。
これまで、いろいろ紆余曲折あり、本当に多くの方々に助けていただき、勉強させていただき、経験を積ませていただきましたし、それはいまも絶賛続いております。
おそらくこれからも問いを続けると思うし、ゴールが視えている訳でもないですが、今後もいろいろなお仕事を通じて関わるみなさんと一緒に答えを探していきたいと思います。
ということで、今後ともみなさんよろしくお願いします!
長すぎる自己紹介、失礼しましたw
文:新田 晋也