キャンプに行かない vol.2(12月下旬)
「いっしーはどうしてそう、自分をしっかり持って、安定していられるんだろう」
大さんがそう訊いてきたので答えに迷ってしまった。
場所は三軒茶屋のCampの事務所。新田さんと三人で話しているうちにそんな話になった。僕が訪れる前に社内のミーティングがあったらしく、大さんはそこでの自分の振る舞い方に違和感があったことを自省していた。
「ニッシンは僕といっしーが似てるっていうけど、けっこう違うように思うんだよね。僕はもっと、自分に対して迷ってしまうというか、考えてしまうというか」
「自分をネガティブに捉えることは、自覚的にしないようにしているかもしれません。自分のいちばんの味方でいられるのは、結局自分自身だと僕は思ってて」
慎重に言葉を選んだつもりだったけれど、話しながらピントがずれていくような焦りがあった。
自分のあり方に関しては、「そうするのがあたかも正解なように」他人に聞こえるべきではない。
僕が自分を認めようと思う大元には「自分は結局自分以外の何者かになれるわけではないんだし」という意識がわりと昔からあるけど、これはある意味で虚しい考え方でもあるとも言えるわけで。
「あとは......これは悲観して言ってるわけじゃないんですが、他人にあまり期待をしないというのもある、かも」
新田さんが隣で「わかる、俺もそう」と反応する。
「僕は人に期待しちゃうからなあ。それで変わる部分もある、とも思ってるし」
「いいじゃないですか、大さんはそれで」
本心のつもりだったが、大さんはいまいち納得していなさそうだった。
「"好きに生きればいいと思いますよ"」と、最初の質問に本当に直球で、かつ自分に誠実に答えるとしたら僕に言えるのはこれしかない。
自分をしっかり持っていなくても、不安定でも、あるいはそう思ってしまう自分でもいいと思う。人の存在意義はそんな小さな項目には影響されない。もちろんこれも、僕の回答であって誰かにとっての正解ではないわけだけど。
「大さんは情の人ですよね」と僕は隣の新田さんに話を振り、新田さんはうんうんと頷いた。
*
知ったような口を利いてはみたが、僕はどうやって大さんと仲良くなっていったんだったか。
最初に新田さんに連れられて西荻のワンデルングに行ってから、次に大さんと会ったのは一年後だった。僕たちのやっている店に来てくれたのだ。
「行くね、と言いながらこんなにかかってしまった」
大さんはバツが悪そうにそう言いながら登場し、「初対面の口約束をそんなに申し訳なく思わなくても大丈夫ですよ...!」と心の中で思ったのを覚えている。
新田さん抜きで大さんと話すのは初めてだったけれど、それが不思議と盛り上がったからか、間が空いたのはその最初の一年ぐらいで、それからはちょくちょく顔を合わせるようになった。
とはいえ、予定を合わせてどこかに飲みに行くというのはあまりなくて、ライブ会場で会ったり、僕がワンデルングに遊びに行ったりというのがほとんどだった。
「石崎くんとは友達になりたいと思ってるんだよね」
珍しく示し合わせて飲みに行ったときだったかに、大さんが何気なくそう言って、その「友達になりたいと思ってる」とわざわざそんなふうに口に出してくれる感じにちょっとだけ驚いたことがある。しかも、年下の僕に対してである。
僕は日頃から、「互いの立場など関係なしに、自分の言葉で話せるような自然さで接することができる、友達のような関係性」を人と築いていけるといいなと思っているところがあり、以前大さんにもそう話したことがあった。
けれど、大さんがここで言った「友達」はもっと本来の意味のような気がして僕はちょっと恐縮してしまったのだった。正直、少々こっ恥ずかしかったというのもある。
「そりゃあ僕もそう思いますよ!」
結果、お酒が入っていたこともあり、僕はおどけた感じで返した。大さんも「ははは」と笑ってくれたけど、発言の意図は結局うやむやになってしまった。
大人になってから改めて「友達」という存在について考えるのはなかなか難しい。
「この人とは友達ってことでいいんだろうか、向こうはそう思ってないかもしれないし……」みたいに考える時間は無駄とも野暮とも言えるし、そんなことをいちいち決めなくても関係は十分に成り立つということを、大人はわかっている。
大さんだって、友達か友達じゃないかなんて定義せずに、自然と仲良くなって遊ぶようになったり、いつの間にかなんとなく疎遠になってしまったりしながら、それが短いか長いかだけの刹那的な関係が続いていくのが常でしょう、なんてことは当然分かっていると思う。
それなのに敢えて、大さんが僕に対して「友達」という言葉を使って接してくれたのは素直に嬉しかった。
このときの僕の反応はそんな大さんに失礼だったかもしれないけれど、年上の大さんに対して、他の仲のいい先輩たちと違って、本当の意味で友人と呼んでしまっても良さそうな気がするのは、このとき大さんが友達と呼んでくれたことに起因しているような気がする。
*
「それに大くんはなんていうんだろう、人のことを考える人だよね。きっとこうなったほうがいいとか、もっとこうしたらいいんじゃない?とかさ。自分の気持ちをそのまま人に向けられる」
僕の話を受けて、新田さんが会話に加わった。「それはそうかもしれないね」と大さんが新田さんの発言に応じる。
「世話好きというか、仕事に置き換えると、例えばキャリアをちゃんと考えてあげられるというか。それを重く感じる人もいるかもしれないし、失敗したら自分にも跳ね返ってきて落ち込むけど」
大さんは新田さんが立て続けに言うのを、少しだけ気恥ずかしそうに、小さく首を縦に振りながら聞いていた。
「そのあたり、新田さんはどうなんですか?」
「俺は人の成長に関してはあんまり関わりたくない……と言ったら語弊があるけど、自由に育ったらいいと思うかな。だから逆に『なんでちゃんと見てくれないんですか』って言われたりもする」
「あなたは、自分自身も決められたくない人だもんね」
新田さんは「余白が好きなんだよね」と言って頷いた。さっきの会話もそうだけれど、この二人がお互いについて話すとき、相手が言ったことを否定をするようなところをほとんど見たことがない。そういえばこの二人こそ、正真正銘の友達同士なのだった。
「なんていうんだろう、大さんは本音で生きてる人だなあと思います」
そのまままた、ぽつりぽつり話す中で僕がそう言うと、「どういうこと?」と言いたそうな表情で大さんがこちらを見た。
「建前で根回しをして、器用にうまいところだけ吸い取ろうっていう気持ちがないというか、人だけじゃなくて自分自身に対しても『かっこ悪い』とか『恥ずかしい』とかそういう気持ちに対してちゃんと向き合うつもりでいるというか……これ合ってますか?」
「ああ……うん、それは、そういう生き方しかできないんですよ」
大さんは苦笑しながら答えた。
考えてみれば、自分の振る舞いに違和感を覚えるというのも、自分に正直な人ならではのストレスだよなと思い当たる。そういうのは、見ないふりをしたほうが圧倒的に楽だから。
大さんは自分を強く見せることはせず、虚栄に逃げたくなる気持ちの方を捉えたり、強くあろうと思う心持ちだけを取り出したりする。
落語で言う「業の肯定」じゃないけど、人情味に基づいた強さや慈しみがあるように思う。
「うーん、やっぱり大さんはそれがいいと思うんです」
「えっ、なんで」
「ですよね、新田さん」
「うんうん」
僕と新田さんはもうあとは何も言わず、「そういえば自分が自分の味方って、古くは藤原基央に教え込まれている可能性が……」「わはは、それはあるね」などと言いながら冷蔵庫の缶ビールを開けて飲んだ。
大さんはまだ腑に落ちないような感じだったけれど、僕と新田さんがあまりに「大さんは大丈夫ですよ」「大くんはそれがいいよ」と言うのでそのまま徐々に肩の力を抜いて僕らのムードに合わせてくれた。
「大くんは別に苦手なことやる必要ないよ、そのために会社つくったんでしょう」
新田さんが途中そんなふうに言っていたのも印象的だった。身構えることなく、適切な言葉をくれる存在が近くにいるというのはそれだけで大きな財産だと思う。
「友達とは会社をするな」の発言は至る所で聞く。僕自身、自分たちの会社を立ち上げるまでに散々言われてきた。それも、ほとんどは友達と仕事をしたことがないであろう人たちに。
言わんとしていることは分かる。それなりの難しさもあると思う。けれど、友達だからこそ乗り越えられる局面だって多くある。
大さんと新田さんの関係が今後どう変化していくのかは僕の想像しきれることではないが、友達と始めてしまったからには、しばらくこの関係でやっていくしかないだろう。
だったら、この間柄でしかできないような仕事が世に生み出されていくと信じる方が、僕は気持ちの良いやり方だと思う。
「二人の友達関係、いいですよね」
二人の様子を見ながらそう発言したのだが、大さんと新田さんにとっては特別な言葉ではなかったからか、特に拾い上げられることもなくただその場の空気に溶け込んだ。
文・石崎嵩人
石崎嵩人(いしざき・たかひと)
株式会社Backpackers' Japan取締役。1985年栃木県生まれ。大学卒業後は出版取次会社に就職。その後、大学の同級生ら友人三人に誘われ、2010年にBackpackers' Japanを創業。Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(蔵前)、CITAN(東日本橋)など、現在東京と京都で4軒のゲストハウスを運営している。 twitter: @takahito1101
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