社交不安障害と、私
「心の鐘を鳴らすアクセサリー」をお届けする、ハンドメイドアクセサリー作家のyumiです。
私は、社交不安障害という心の病を、かれこれ20数年もの間抱えています。
今回は、私とこの社会不安障害について、そして最近、自分の中で思い込みが変わったことについてお話したいと思います。
社交不安障害は、ある日突然始まった
社交不安障害について、以下にお借りした記事を貼ります。
初めてそういった症状を意識したのは、中学の頃。
当時ソフトボール部に入部していたのですが、ある日突然、ボールを投げられなくなりました。
厳密に言うと、「人前で投げられなくなった」というのが正しいです。
誰も見ていないところでは投げられるのに、キャッチボールで相手がいる時になると
「あれ?ボールってどうやって投げるんだっけ?」
ということに意識がいってしまい、また
「見られている」
ということが異常に気になり、ボールを地面に叩きつけてしまう。
最初は、自分に何が起こっているのかわかりませんでした。
けれど、なんにせよボールが投げられなければ、ソフトボールはできません。
中学の部活はだましだまし何とか乗り切ったのですが、高校でソフトボールを続けることは諦め、帰宅部になりました。
小学校の頃から頑張ってきたソフトボール。
大好きなソフトボールでしたが、わけのわからない「ボールを投げる恐怖」が原因で、やめざるをえませんでした。
ある日、全てが白紙状態に
高校では、部活を諦めたことで「ボールを投げる恐怖」からは逃げることができました。
ところが、三年生の終わりに差し掛かった頃に、今度は突然人が怖くなりました。
「人とどうやって接するんだっけ?」
これが全くわからなくなってしまったのです。
家族も、これまで仲良くしてきた友達との関係性も、そしてこれまで十数年過ごしてきた「私」すらも・・・
全てが真っ白の白紙状態になってしまった。
そんな風に感じました。
その状態で生活を続けるのは、私にとって、恐怖以外の何ものでもありませんでした。
誰にも話せなかった
当時18歳の私は、誰にも相談できませんでした。
仲の良かった友達にも、そして、家族にも。
話したら、変な人だと思われるかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
居場所がなくなるかもしれない。
そんな恐怖が頭を支配して、本当は全てが怖くてたまらないのに、泣きたくてたまらないのに、「普通のフリ」をし続けました。
「これまでの私」を演じ続けて、誰にも打ち明けることができないまま、時を過ごしました。
心療内科へ
唯一行動できたのは、「大学受験勉強でノイローゼ気味になったから、心療内科に行きたい」と母に伝えたこと。
母は心配して、私が自分で探した心療内科へ一緒に付き添ってくれました。
私は、診察室へは一人で入り、そこで心療内科の先生に初めて全てを話しました。
女性の先生でしたが、しどろもどろに話す私の話を穏やかに聞いてくださり、最後に「読んでみたらいい」と一冊の本を手渡してくれました。
それは、森田正馬という人が書いた、対人恐怖症について書かれた本。
私は、むさぼるようにその本を読みました。
そして、今までわけがわからなかったことが、少しずつわかってきたのです。
この症状の正体は、不安神経症、または対人恐怖症。
今で言う社交不安障害だったのだということが。
孤独で、長く苦しい闘い
せめて、母に話せていれば。
こんなにも長い間苦しまずに済んだのかもしれません。
けれど、私は言えなかった。
身近で大切な存在だからこそ、見放されるのが怖くて言えなかったんですね。
そして、本当は怖くて怖くて仕方がなかったけれど、その後も大学、社会人になってからも、誰にも本当のことは打ち明けずに、「普通のフリ」「大丈夫なフリ」をし続けました。
いつも人と対面するのが怖い、人と会食するのが怖い、人前に立つのが怖いという恐怖を抱えながら。
克服のために、あえて海外でホームステイをしたり、人前で立つ仕事をしたり、恐怖に突入していくようなことをしました。
カウンセリングスクールや、心理系の講座などへ通ったりもしました。
でも、どこに所属していても、本当のことは話せないまま。
いつも、どこか「本当の自分」ではない、違和感を感じていました。
本当の私は、怖くてぶるぶる震えていたのに。
私は、その「弱い私」を、ずっと見て見ぬフリをし続けていたのです。
あがり症サロンとの出会い
今年に入って、あるオンラインサロンを偶然見つけました。
それは、あがり症など社交不安障害の人たちがオンラインで繋がり、勉強会をしたり、おしゃべり会やスピーチ練習をしたりするというサロンでした。
私はすぐに入会しました。
18歳で初めて心療内科へ行った時に、そのクリニックでも、同じ症状を抱えた人たちのための集会がありました。
でも当時の私は、怖くてその集まりには参加できませんでした。
「どうせ傷の舐め合い、馴れ合いなんでしょ」
そんな最もらしい理由をつけて。
本当は、
参加している人たちに不快な思いをさせたらどうしよう、自分の症状が悪化したらどうしよう・・・
こういったことが怖かったんですね。
思い込みが変わった
意を決して参加したオンラインサロンでは、驚くような出来事がたくさんありました。
サロンメンバーは、私と同じように、それぞれがあがり症や対人恐怖症など、社交不安障害であることの悩みを抱えた人たち。
でも、おしゃべり会などでお話を聞いていると、みんなとてもそんな悩みを抱えているようには見えないのです。
私はこれまで、社交不安障害である自分を
こんな風に思ってきました。
でも、目の前にいる人たちは、私が思っていたそれとはまるで違った。
そんな、とてもカッコいい人たちばかりだったんです。
また、私が社交不安障害であることを「拒絶される恐怖」から、両親や夫など、家族に言えないということを話すと、
という方がいたり、
そんなアドバイスをくれる方もいて。
20数年間の私のネガティブな思い込みが、同じ症状を持った人たちと関わることで、少しずつ変わっていきました。
社交不安障害は、私の大切な一部
あれほど嫌っていて、絶対に克服しなくてはならない人生の汚点、何が何でも隠したい、なんなら隠したまま墓場まで持って行こうとまで思っていた「社交不安障害」。
長い長い時間を経て、ようやく、夫や私と関わってくれる大切な人たちに、恐る恐る打ち明け始めました。
すると、不思議なことに拒絶されるどころか、力になってくれる人たちが現れ出したのです。
もちろん、夫もその一人。
「今まで一人で抱えてきて辛かったね。伝えてくれたことで、これからは、力になれることもあるから」
と受けとめてくれました。
私が恐れていたことは、何一つ起こらなかった。
そして、私の中での症状に対する思いも変わりつつあります。
時間はかかるかもしれませんが、社交不安障害であることを受けとめていくことで、
「この私で大丈夫」
を、ひとつひとつ、積み重ねていきたい。
今ではそんな風に思っています。
両親にも、いつか機を見て打ち明けようと思います。
18歳の私へ
こうやってnoteに綴ることは、私にとって大きなチャレンジです。
怖くないと言えば、嘘になる。
それじゃあ、どうしてそれをやるのか。
それは、「18歳の私」に。
そして、あの頃の私のような人に、この声を届けたいから。
あなたは、決して一人じゃないよ。
ただただ、それを伝えたい。
この声が、必要な人のもとへ届きますように。