君と異界の空に落つ2 第37話
「こちら、以前お伝えしていた”さえ”さんからの文になります」
来る途中で迷ってしまってハタナカ様にお世話になりました。本日、ハタナカ様のご厚意で、お屋敷にお邪魔出来る事になったので、もし返事が御座いましたら明日の朝に取りに参ります。
「今、目を通すだけで構いませんので、内容を確認して頂けたら助かります」
はきはきとそれらしい事を言う、童子に目を剥いた人達だ。
桜媛(おうひめ)と彼女の家の女房だけが”くすり”と笑い、ね? この子、凄いでしょう? と、それぞれに滲ませる。
「父が大層気に入りまして、今日は耀殿と語り合いたい、と」
「畠中様が……」
「はい。あ、そうでした。こちら、父から豊輝(とよあきら)様への文になります。耀殿と話をしていたら、豊輝様に相談したい事が出来たそうでして」
私の方は急いでおりませんので、お時間のある時に。
ふんわりと語る桜媛を見て、幸せそうに頷いた男である。頷いてから暫しの間、彼女を見つめたままなので、九坂家の女房が「ん゛ん゛ん゛」と喉を鳴らして見せた。
慌てた豊輝は慌てた素振りを極力見せず、さえからの文の方だけ開いて目を通す。元々、内容の無い手紙だと伝えていたので、予定通り「特に返事は無い」と弟子に返した。
「あの日、少しばかりとはいえ情を向けた狸であるから、無事にあの世に行けたと聞けて私も安心した」
「若……まだあの狸に執心しておられたのですか……」
九坂家の女房は、彼と親しい雰囲気だ。年齢を鑑みて、乳母に相当しそうな人物である。彼を稚児の頃から見てきたらしい雰囲気で、全く……大人になっても何も変わらない……と。頭を抱えていそうな表情(かお)で、呆れ返った人だった。
それを見た畠中家の女房も、盗み見た文の手前である。あぁ、この人は本当に優しい人なのだな、と。
殿の”滲ませ”で女房達が、持ち回り協力しながら”不幸”を演出していた。畠中の家の中には実際に祀る神が居て、神職のような事をしながら古武道と卜占を引き継いでいく。卜占の真髄は家を継ぐ直系にしか教えられないが、それら思想を会得するのは血縁、一族、皆同じ。大切なものだから、とても他所には出せないし、お嬢様の婚姻については皆が婿殿を望んでいたのだ。
ただ、相手が悪いというか……けちの付けようのない男。まさか、家格が上である上、評判も良い家の男などに、声を掛けて貰えるとは、と皆が思った。お嬢様は目に見えて恋する乙女に変わったし、お茶に誘われ、遠出に誘われ、休日を共に過ごすうち、益々相手に惚れ込むようで誰も「駄目」とは言えなくなった。相手も共に惚れ込むようで、早く婚姻の日取りを決めよう、と。あちらから打診を頂いたなら、断れる筈もない状況だ。
ならばお嬢様の方から断るように仕向けてしまう事、それが一番穏便で、最もあちらが諦め易い。目に見えぬものの所為にしてしまうなら、誰の所為にもならないからだ。
だのに豊輝は謎の行動力を発揮して、自分は呪われているかも知れないと落ち込んでいるお嬢様を、元気付けるために連れ出した。まさか拝み屋などという怪しい人間を頼るとは……彼がそういうものを頼るとは思えなかっただけ、驚いたものだが、まぁ良い、という事になる。まぁ良い、どうせ”呪い”は続く。家長はそう判断し、付き添う女房に匂わせをして”一度は好きにさせなさい”と。
つまり家長も親類も、世話をする女房達も、拝み屋なんぞ信じていない。
古くより一柱の大神を祀ってきたとして。
特殊な古武道を繋ぎ、卜占を繋いできたとして。
そんな職業に就く者は、嘘つきか頭のおかしい者で、とても信用に足るような人間では無いからだ。
だから”解決はしない”のだ。
それどころか、この行動は、二人の大きな溝になる。
自分達が他に何もせずとも、潰れていく筈の関係だった。勉強の為、弟子にも視せたい、場所を変える、と言われても。試しに行って来なさいと、何の心配も持たずして、優しい顔で背中を押してやれる類のものだった。
誰が予想出来ただろうか。
此処まで上手く纏まるなんて。
拝み屋は”本物”で、神から言伝がある、と言う。視たという姿は口伝の通り、卜占は全てが”真”である。
殿に”下がれ”と言われた後に、彼女も”こそり”と占いをした。こそりと占いをする彼女を見ると、他の女房も事情を聞いて、”試しに”と別の占いを各々やってみる。卜占(ぼくせん)とは様々な占いの総称のようなところがあって、星読みをするに限らずに、数字や記号の組み合わせ、その時、目に入るものを啓示と定め、そこから意図を手繰り寄せるもの、花占いや、降りてくる葉のひとひらにも意味を見て、万物に宿る託宣に耳を傾けるものである。
拝み屋よりもシャーマン、つまり、巫顕(ふげき)に近いだろうか。脱魂や憑依といった派手な力を持たずとも、流れを読める能力があり、穏やかに生きる類型である。神に生かされている節もあろうが、好かれる、とはそういう事だ。陰日向を生きるからといって、運が無い訳ではないし、神やこの世に愛されていない訳でもない。
矢面に立たずとも、守られて生かされる。それが彼女達の系譜であり、それが彼女達の”仕事”である。
庭では思い思いの占術を以て、神の声を聞いたという拝み屋の、弟子の言葉を検証する為、女房達が動いていた。道場には少しの道具があるので、そちらで殿は占うのだろう。お嬢様は視線に乗せて別の仕事を頼まれたようである。それらを理解しながら、殿の力になる為に、次々と占いの結果を見ていった。一つでも齟齬があるのなら、嘘、と証明出来るから。
鳥肌が立つ────と言うのは、あのような事を示すのだ。
拝み屋の弟子の言う事が、嘘か真か占った。
二度、同じ質問をしないのが”約束”だ。万物の言葉を信じぬ者が信じて貰える筈もない。
だから初めの一問の、答えのみを採用する。
答えは”是”であった。
女房、皆が引いた答えがそれだ。
ぞっとして固まるよりも、神威を感じた畏れに近い。彼等が籠る道場を見て、立ち尽くす女達を見た桜媛だ。もうこの時点で、彼女は察しただろうと思う。
皆が同じ答えを引いた奇異は奇跡と同義である。奇跡は人には為せぬもの。弟子の言葉は”真”と取る。
生きているうちにあのような奇跡に触れられた事、喜ばしく思えると共に、神の言葉を信じて良いと感じた女房だ。こんなに好き合っているのであるから、引き離す方が残酷か、と。漸く人の心が戻り、好ましく見守った。
「では用件も済みましたから、私達はこれで。忙しい時間に失礼しました。どうぞ、お怪我などされませんように」
「桜媛殿も。畠中様からの文を届けて頂き有り難う御座います」
最後だけ威厳を込めて鷹揚に頷いた男である。
ただ、視線は縋っていたので、随分残念そうだった。男の家の女房だけが呆れた空気を浮かべたが、対面の三人は和ませて貰ったものだ。
腰を浮かせようとした桜媛と女房を見て、ちら、と視線を男に向けた耀だった。
「どうされた?」
抜群の反応力である。
耀の心には喜色が広がり、ご迷惑でなければ、と頭を下げた。
「邪魔は致しませんので、鍛錬の様子を見せて頂きたくて……」
「あぁ。何だ、そんな事か」
「まぁ。興味があるのですか?」
有ります、有ります、と幼児のように頷く耀だ。
「自分の身を守れるようになりたいのです。それに、クサカ様のお弟子様とそこの通りですれ違った時、礼儀正しい方ばかりで驚きました。きっと良い稽古をされているのだと思いまして、見学させて頂くだけでも少しは身に付くのではないのか、と」
「そのように遠慮されずとも、交ざっていけば良いではないか」
「良いんですか!?」
上げた顔は、年相応に輝いて見えたから。
「まぁまぁ。耀殿も男児(おのこ)なのですねぇ」
「桜媛殿、帰りは申三刻で宜しいか?」
「はい。父に伝えておきます」
「そちらの方向の者に送らせるので、ご安心召されよ、と」
こうして桜媛と女房だけが帰宅して、耀は豊輝に九坂家の道場へ連れられた。畠中家で女房達に囲まれた経緯から一転し、その場は熱気が立ちこめるむさ苦しい空間だった。
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