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君と異界の空に落つ2 第45話

 慣れた山道を下っていくと、寺に段々近づく程に、米が炊ける良い匂いが漂った。白米ではなく玄米の時代、香ばしさが先に立つ。山登りに慣れた耀は、一時間も掛けないで、寺と湯を行き来出来るようになったけど、さえに持たせて貰った飯を食べた時間がずれていたので、下って来た時分でも、それ程、腹は減っていなかった。
 けれど、この匂いは反則である。そう思うくらいには美味そうな米の匂いだ。きっと善持さんは二人分、否、それより多く炊いたのだろうな、と。想像出来るくらいには、辺りに漂っている。
 醤油と味噌の匂いもするか。豪華に作ってくれているらしい。まるで戻って来た事を歓迎されているようで、たった数日の事なれど、嬉しく感じた耀だった。
 少し気まずい集落だけど、そこさえ抜けたら善持さんが居る。さえさんも似た気持ちで来るのだろうか、全く違うのだろうか、と。まだまだ拝み屋の心のありかを量りきれない耀である。
 寺に戻れば開いたお堂に沢山並ぶ皿だった。山まで漂う香りの通り、食べきれない程並んで見えた。豪勢、豪華、と驚く耀が、立ち止まっている姿を見つけると、「おぉ、帰ったのか、早かったな」と新たな皿を持ちながら、にこにこと近付いてきた善持である。

「丁度、飯が炊けた所だ。今日は贅沢に食おうじゃねぇか」

 善持は持ってきた皿を置くと、飯を持ってくるのだろうか。踵を返して家の中へ戻っていく。耀は手元の着物と褌を庭の竿に掛けに行くと、運ぶのを手伝う為に後を追った。
 おかずに、飯に、善持は奥から酒を出す。これはお前にはまだ早い、と自分の方に引いたので、お酒かな、と解釈をして耀はねだる事をしなかった。
 なんでぇ、駄目と言われたら、引く男なのかお前は、と。ほんの少しだけ耀の聞き分けの良さを、残念がった善持である。自分も戦いからは逃げるつもりのくせに、耀には多少の”攻め”を求める。多分、善持が隠し持つ、男親の心の一つなのだろう。
 いつか一緒に酒を飲みたい。興味を示してくれたなら。上手い醸成がなされていない”どぶろく”のような酒だけど、酒は酒、共に楽しい気持ちで話が出来たら、と。

「今日は夜まで食い明かすぞ!」
「食べきれますかね?」

 わはは! と笑う善持は本気で飲み食いをするようだ。誰も来ない平和な境内。一種の祭りのようである。
 瑞波はお堂の方にそっと座って、耀と善持は縁側だ。高さがあるので残念ながら耀の足はぶらぶらするが、二人きりとは思えぬ程に楽しい宴席が始まった。食べ慣れたもの、初めて見るもの、善持は腕に縒りを掛け、耀が山へ入っているうち、作ってくれていたらしかった。

「次は肉でも食わせてやろう。何日も居ないんじゃなぁ。俺も暇だし、もう少ししたら、今年生まれた鹿も猪も、食えるくらいには太っているだろうから」
「え……子育てしているところを狙いに行くんですか……?」
「あぁ。まぁ、そうなるな」
「危なくないですか?」
「危ない動物は狙わねぇし、罠使うから。捕りにいく頃にはもう、親は近くには居ねぇんだ」

 親を捕まえたら近くに子が居るし、そういう時は片方だけ貰って帰るんだ。何日か動けないでいると大人しいもんだしな。子が一匹しか居ないんじゃ、親子で山に返してやる。
 それが俺の”約束”だ、と善持は食べながら返してくれた。

「随分、優しいんですね」
「優しいとかじゃねぇだろう? 悪い事してると思っているから、供養塔を建てるんだ」

 行儀は悪いが、善持が箸で示した先には”それ”がある。
 言われてやっと思い出し、あぁ、そういえばそうだっだか、と。

「子供を取られた母親に、恨まれてしまいそうですよね……」

 言ってから口にしたものが、余りに慎重さを要する話題で、一瞬、やってしまったな……と固まった耀である。普段なら気を付ける発言も、気が緩んで不意に出てしまったものだ。
 果たして善持は、耀が思い浮かべたものに、気付いたのか、そうじゃなかったか。沈黙したので耀が考えていた事に気付いたのかも知れないが、気まずいなりに勢いで聞いてしまおうか、と、勇気を振り絞れた耀である。

「お酒の席だと思って、聞いて良いですか?」

 なんでぇ。俺が飲んでいるものが酒だと分かっていたのかよ、と。脱力するような気持ちに晒された善持だが、酒が入っている方が、話し易い事もある。

「なら、呆けた爺の戯言だと思って聞けよ」

 返ってきた言葉の割に、善持はいつも通りの抜けた顔。いいのかな……? と不安になったが、戯言だから良い、という判断か、と。
 それなら……と思った耀は、聞きたい事を聞いていく。

「山の神様の事なんですが」
「おう」

 返した善持は緩い声。

「いつから生贄を出しているんです?」
「知らん。俺の親父の、親父の親父……そのまた親父の、親父の親父……兎に角、昔からって聞いている」
「えっ、善持さんの家、そんなに昔から住んでるんですか……!?」
「おう」

 別に驚く事じゃねぇよ。集落の奴らも似たようなもんだから。

「えらい昔に、ちょっとした役人だったらしい。いつの間にか落ちぶれてな〜、此処に流れてきたって聞いてるぞ。その時に姓(かばね)は捨てた。名残と言っちゃなんだが、文字だけは読めるから。親父の爺さんの代くらいで坊主役を引き受けて、此処の土地を貰ったと聞いたかな」

 だもんで、此処に住んでは浅いけど、昔から居るってのは確かな事よ。
 坊主するのも、山の神さんに生贄に出す、子供の供養をする為だ。墓地は”ついで”な。まぁ色々、都合が良かった。仏道が入ってきて、広めたい坊主達の思惑もあったりしてな。此の地方の名主は、んな得体の知れんもん、遠くに置いて様子を見たい。俺等は俺等で死人を埋めた土地の土地守りが欲しかった。名主には言えないが、生贄の子供の事がある。なーんにも無くてもな、祟られるのは、皆、怖いから。
 そんなこんなで俺は今でも名主の家には良くして貰ってる。こうして立派な寺まで建てて貰った。仏像なんかも彫って貰って。経文を貰って、読み方とか作法とかな。一応、簡単には身に付けて、寺仲間で何かあったら頼れる伝手みたいなものもある。
 善持は一思いに話をすると、一旦、息を整えた。

「昔からな……そう、昔から。この集落では山神に生贄を出している。生贄になるのは子供。集落の中で順番に回してな。三年か四年に一度、知らせが来るんだよ」
「知らせ?」
「うん。山の神さんからのお知らせだ。そろそろ生贄を寄越せ、というやつだ」

 善持が山神の居る山を見たから、同じように視線を辿った耀だった。何かを言おうとしたけれど、言葉に出来ずに口を閉じる。

「夏の夜、社の場所に火が灯る」
「え?」
「生贄を連れていくまで、ずっと火が灯り続ける」
「そっ……そんなにはっきりと、知らせが現れるんですか?」

 うん、と頷く善持は「連れて行くのが坊主の役目」と。

「俺が連れていく。日が沈む前くらいにな。怖かったらこれを飲め、って、酒も置いてきてやるが。”おとと”と”おかか”に言い含められて来るんだろう。怖いだろうに、逃げようとする子供は居ねぇ。俺は夜になる前に山を降りるが、夜になると前の日まで灯っていた火の気配がな、ふっと消えて、無くなるんだ。それで儀式は終わりになる」
「…………」
「さえとも一度、話をした事がある。さえにもよく分からねぇらしいんだがな、社に入ると神さんの印が付いた事になるんだろう、って。そうすると迷うんだろう。降りたくてもあの山を、降りられなくなるんだろうな、と」
「降りられない……」
「そう、社を潜った時点で供物になっちまってる訳だから。きっと山の神さんが離してくれねぇのさ。だから一度も、一人たりとも、戻ってきた子供は居ねぇ」
「戻ってきた子供は居ない……」

 うん、と頷く善持は小さく、気分の良い仕事じゃねぇからよ、と。

「そういうのもあるんでな、此処の坊主は嫌われる。死んだら埋めてもやるからな、大っぴらに除け者にはされねぇけどよ。まぁ、なんだ。ちったぁ早いが、いつかはヨウにも言わなきゃならなかった事だから。俺が死んだらその役目はお前の役目になるからよ。今のうちから心構えだけしといてくれると助かるな」

 言って、かかっと笑った善持は、笑った顔の割に寂しげだった。
 嫌な事を言わせてしまった。耀の心にも反省の色が浮かぶ。
 察した善持は酒を飲み「ただ、悪いことだけじゃ無ぇからよ」と、景気良く声を高くしたようだ。

「おかげでこの集落は、他所の実りが悪くても、実るものは実るんだ。食いっぱぐれる事は無ぇから、口減しはした事が無い」

 必要な犠牲だな。それも、最小の。
 言われたら何も知らない耀も、成る程、と思う程。天候に左右される不安定な時代の事だ、産んだは良いが育てられない……それも、食べるものが無いという、どうにもならない状況なんて、そこらじゅうにあるのだろうと思うから。
 考えてはいけない事かも知れない。犠牲なんて無い方が良い。けれど、餓えは人を鬼に変えるのだ。仏の声が届かない、鬼という存在に。餓鬼道は修羅道の下になる。それだけ”人”から離れてしまう。飢饉は飢餓を生み餓鬼を生み、登れない存在を増やしてしまう。
 飢えたくないという我欲もあろう。だから年端もいかないような子供を殺すのだ。子供なら”分かっていない”から、辛くないだろうと考える。それは”違う”のだけれども、分かる者などそうそう居ない。因果を背負う覚悟も無かろう。だから、飢えさせた上で子を殺す、という、倍々の業を生むのである。
 耀は悩んだ。考えずに済むのなら、あるいは良い話なのである。むしろ善自は分かった上で、良い話にしておけ、と示しているようにも聞こえてしまう。
 神を使った自己犠牲。死ぬのは怖いと思うけど、贄に出された子供が得られる徳は大きいようにも思うのだ。誰にも子殺しをさせる事なく、自分も皆も、餓鬼道に落ちずに済むのである。そこにあるのは自分一人の、生きたい、と願う執着だけ。生きたい気持ちを捨てられなければ、親を集落を呪う事にもなろう。そうして怨霊や悪霊の類になるが、もし自分の願いが執着を上回るなら……それは高僧にも匹敵し得る、高位なる魂なのでは無かろうか、と。
 ふと、人魂の徘徊が無い”綺麗な山”を見上げた耀だ。
 火が灯るなら”何か”は”居る”のだろうと思うに至る。
 妖怪に土地の豊かさは齎せない筈であり、この地方、つまり一帯が不作に見舞われる年でさえ、此処の集落だけは作物が実を結ぶというのなら。

「あの山の神様は、凄い方なのかも知れませんね……」

 ぽつりと呟いた耀である。
 善持は”うん”と頷くようだ。

「凄い神様なんだろうな。誰も名前を知らないが」
「名前……?」
「聞いた事が無いからな」
「そうか。名前か……!」

 善持が呟いた言葉を聞いて、顔を明るくした耀だった。
 善持の家にある書物の他に、畠中の家に降りていらした男神様、付き合いが長いという名主の家、玖珠玻璃の知り合いの神様、と。探せる候補がぽつぽつ浮かんで、取っ掛かりを得られた印象だ。

「善持さん、俺……山の神様について調べてみたいんですけれど」

 煮物を口に運ぶ途中の彼は、お? どうした? と目を丸くする。

「山神様への生贄は、集落にとったら、必要な犠牲なのかも知れないですが、聞いていて矢張り心が苦しいものがありますし、祭りだったり、料理だったり、着物だったり、つまり他の供物で、恵みを分けて頂けるようにお願い出来るかも知れません」
「…………」
「それで、どのような神様がお住まいなのかが分かれば、と。少し調べてみても良いでしょうか? あ、勿論、集落の人には内緒で行います。神様だと思っていても違うやも知れませんし、無理な場合はまた別の方法を考えようと思いますので」

 兎に角、出来る事があれば……言いかけた耀を制すようにして、分かった、分かった、と手で”落ち着け”と表した善持だった。

「本当にお前という奴は……集落のもんに黙ってやるなら、そこから先は好きにしろ。俺は手伝えないと思うが、それで良いならやってみろ」

 ただ、本当に話題にも出しちゃならねぇ話だからな? と。そこだけ釘を刺すように、念入りに注意を促す男だった。耀は確(しか)と心に定め、真面目な顔で頷き返す。
 どうにかしてやりたいと思った。神と話が出来る自分なら。集落の女達が無言で自分を見つめる瞳の、理由を知ってしまったからには、どうにか……と。
 自分の中で決着がついたら、心は元の”楽”に戻る。善持に駄目と言われずに済んで良かった、という微笑みも。
 善持は耀の雰囲気を見て、話が変わると察したようだ。

「そういえば、さえさんに、お店でご飯を食べさせて貰ったり、畠中様のお屋敷で食事を出して貰ったんですが」
「おう。そりゃ良かったな。美味かったか?」
「はい、美味しかったです。でも、善持さんのご飯もやっぱり美味しいな、って思って」
「そうか? そうか、そうか。そりゃ良かった、沢山食べろ」

 これから夏になって秋になるまで、食べるものは沢山取れるから。善持は養い子に食べ物を与えてやれる事を、此の上なく嬉しそうにして見えた。
 一人、集落の外れで生きるには、味気ない人生だったと思う。数日、耀が居ないだけで、静かで寂しい日々だったのだ。戻ってきてくれて良かったと浮かんだ気持ちは本当で、便利だろう町の生活よりも、こちらを選んでくれて嬉しい、と。
 調子を戻した二人は、まだまだ残るおかずを啄み、昼間からの宴会を引き続き楽しんだ。


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ちかい
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