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君と異界の空に落つ2 第50話

 それからも栄次は栄次らしく振る舞った。
 一昨日は飯の後に仕事を言いつけられたんだ。昨日は兄貴の勘が鋭くて逃げられなかった。だから遊びに来られなかった、畜生め、と。
 今日は”逃げて”来たんだな、と、始めから脱力した耀だ。

「忙しいなら畑仕事を手伝った方が良いんじゃない?」
「別にもう忙しくねぇ。田植えも終わったし」

 あとは畑と田んぼの雑草を抜くだけだ。栄次は善持と同じ事を言う。
 そもそも要領が良いタイプの人間なのかも知れない。日々コツコツと労力を垂れ流すより、大事な所だけ見極めて、そこにだけ注力するような。ならば加減を覚えさせるだけで良いだろうかと思ったが、この日も前と同じように、耀の言葉など聞いてくれずに、好き放題する栄次であった。
 勿論、その度に、耀は怒った。
 怒ったと言うよりも、叱るに近い気持ちだろうか。
 栄次はそんな耀の様子に”冷静”や”余裕”を見たようで、大して反省する素振りも見せず口笛を吹く雰囲気だ。どうやら”勘”も良いのである。ある意味、耀とは別方向に、難儀な子供らしかった。
 二度目もボロボロになって帰ってきた養い子。善持はそれを見て、断って良いぞ、と再び言った。耀は優しい養い親に、そこまででは、と平然と返す。至極真面目に冷静に考え込むように返すので、修行か……と呆れた気持ちを浮かべた善持である。そうして考え込んだ先の行動が、”きんとれ”と”受け身”と”素振り”になるので、耀が真面目に栄次からの”攻撃”を、受けて立とうとする様子が見えた。
 ”きんとれ”なるものは聞いた事が無い言葉だったが、よく分からないなりに耀が取る行動を、それだろう、と当たりを付けて見ていた彼である。力が強くなるように、体が丈夫になるように、特定の動きを繰り返すものらしい。耀は仕事の合間に黙々と動作を繰り返し、真剣に強くなろうとしているようだった。
 それだけ日頃から鍛えていても、怪我をしてくるのは専ら耀の方なので、手を上げたりはしないのだな、と感心もしていた善持である。それがまた妙な誇らしさというか、養い親をやっている、善持の鼻が高い部分というか……まぁ、全く思う所が無い訳でも無いけれど。
 今度、栄次と二人きりになった時、俺の方からもそれとなく注意しておこうかな。そう思うくらいには耀の小傷が生々しくて、完全に目を瞑る気にもならなかった善持らしい。
 果たしてそんな機会が来るかは不明だが、苛立つ瑞波を宥めつつ、栄次と向かい合っていた耀だった。筋トレをして数日で結果が出る訳もない。受け身も素振りも、打ち倒す為に重ねている訳ではないのである。
 深層筋かな、と。あたりは付いていた。俺は内側の筋力が足りない。あちらの世界でも付きにくいって言われていたからな。耀はマイペースに考えて、自身の体を鍛えつつ、栄次からの悪戯を、日々少しずつ躱していった。
 耀の躱しが上手くなる程、栄次の気配隠しもまた、同じように上手くなっていくのだが……これはまた別の話で、耀が鍛えられるだけの話である。それ以外は案外と趣味の合う二人であるので、遊ぶ日々が増える程、互いに理解を深めていった。
 栄次には耀が随分と物分かりの良い奴に見え、大人に逆らおうとしない部分が面白くないと思う所がある。寺の爺など自分の親より頼りなさげで駄目そうだ。なのに耀はへこへこしながら「遊びに行ってきます」と語る。帰ってきた時も同様に「只今戻りました」と語る。あんなに駄目そうな爺に対して、丁寧にする意味はあるのか? と。お前がそんなだから爺の態度もでかいんじゃないのか? と。
 善持は別に耀に対して態度をでかくしているつもりは無いが、耀がきっちり頭を下げる様子からそう思う。おう、行ってこい、と好意的に送り出しているにも関わらず、栄次には横柄な態度と映るのだ。
 村の子供は遊ぶ時、親の目を掻い潜る。親は気付いているものだけど、目溢しされているのを知らない。皆で遊ぶとなったなら、こっそり仕事を抜け出して、上手に居なくなるのが大事であるので許可を取るという気持ちが無い。
 一度、あいつの許しがなきゃ遊べないのかよ? と馬鹿にもしたが、耀は淡々と「そうじゃないよ」と返してきたのである。伝えるべき事を伝えているだけ、小難しい事を口にして。耀にとっては普通の事だが、栄次には無い感覚で、そうした違いをどうしても奇妙に思ってしまうのだ。
 仕事をさぼって遊びに出ても怒られない所が変であり、遊び相手が俺だと知っても止めない所が変である、とも。寺の爺は横柄だけど、少しは良い奴だと思う。よく知らないから分からないけど、仲良くする予定も無い。同じく耀も変な奴だが、遊び相手は貴重なものだ。同じ程度で遊べるという点を思えばもっと貴重で、だから栄次の天秤は、遊ばない、より、遊ぶ、に傾く。実際、兄を含めた集落の仲間達よりも、口煩くないので楽という事にも気付いてしまう。
 耀はきっちり注意をするが、注意の仕方が大人であるので、子供同士の理不尽や意味不明が無いだけ楽なのだ。そうした事には気付いていないが、栄次の知性がそう思わせる。
 耀が佇む姿勢に少しばかり嫉妬するのも、ものによっては自分より上手く成すのも悔しいが。苛立たせる態度も取らぬし、避け方も上手くなるしとくれば、自分より”下”の見方が変わり、段々、本当の意味での”対等”になってくる。
 栄次の中で耀への気持ちが好転するのを知るように、耀の中でも栄次への気持ちが良い方へ変化する。随分”子供”な遊び相手だが、一緒に遊んでいると、童心に帰るようで楽しいのである。
 栄次が提案する遊びは大抵危ないが、ギリギリを攻めるスリルが楽しい事に気が付いて、クリアする毎に自信がつくし、自分の能力では無理という、線引きが分かってくるのである。
 おかげで耀の運動スキルは面白い程伸びていき、増えていた小さな怪我は逆に減っていく事になる。山の遊び場も二人ならどんどん開拓出来て、次第に栄次の背中へと信用も置けるようになってきた。
 栄次が醸す怪しい気配を読むのにも慣れていくが、忘れた頃に出される悪戯は、耀の危機管理能力も同時に上げていったようである。友を信じて良い時と、信じてはいけない時、の事。視えるが故に少し歪んだ浄提寺の小坊主達だったけど、栄次の性格はそれとは別で、これはこれで人間らしくて勉強になるものだ。”普通の子供”はこういう感性なんだな、と。耀に大事な気付きを齎した。
 春の終わりから梅雨に向かって、遊べない日々も過ごしたか。水が豊富になる季節、蛙の声が増えていくのを耳で聞いて感じ入る。善持が開けずとも良いと言ったので、その時期はお堂を開ける事をしなかった。偶の晴れ間には雨戸を開けて、風を通したがその程度。雨が静かに降る日々を、家でしとやかに過ごした耀だ。風邪をひいては堪らないので、習い事も遠慮した。
 勉学には役立った。雨の日は仕事もしないので、曇り空でも明るい時間がたっぷりあった。家の縁側で筋トレをやりながら、知識を仕入れる事に使ったか。朝晩の祝詞は銀杏の木の方を向いて唱えた。相変わらず耀の体には腹の奥から穢れが滲む。それでも少しずつ良くなっていると、瑞波はそれらを祓い除けながら、耀に優しく囁いた。
 水が豊富な季節は玖珠玻璃(くすはり)も忙しいらしく、訪ねて来る事は無いようだ。元は清水の竜神なので、力を蓄えているのだろう、と。思わず冬眠する生き物を思い出した耀だけど、水の季節に塒(ねぐら)に籠る彼を思うと癒された。そのうち雨を扱う資質を発現させて来ないかな、と。竜神伝説と言えばそれなので、何気なく願った耀だった。
 野菜が根腐れを起こさないかと心配もした時期だけど、この年は例年通りの雨量であった様。次第に陽が照りつけるようになると、水が地下へ動くのを追って、野菜も草木も力強く根を伸ばしたようである。
 そうして梅雨が明けると初夏から真夏は直ぐだった。国の中でも緯度の低い位置にある邦(くに)なので、浄提寺があった場所よりも一足飛びで暑くなっていく。夜は蛙で昼は蝉、唱和の音は増すばかり。山の涼しい陰からは蜩(かなかな)の声が降りてきて、一つ所に居る耀を異界に誘(いざな)うようだった。
 天気予報など無い時代、夏の晴れ間が暫く続き、善持がぽつりと「雨季が過ぎたな」と呟いた。それで梅雨が終わったのだと知った耀の心の中は、そろそろ習い事に向かおうかというものだった。善持にそれを告げ旅の準備をしていると、寺の門からずれた場所、垣根の奥の手前側、見かけた頭が飛び出した。
 久しぶりに顔を見せた栄次を見つけると、耀は待ち侘びた子供のように走って近付いた。長く遊んだ相手が暫く顔を見せないと、人並みに寂しさを感じるようである。晴れ間が増えてから暫く経ったので、栄次にもようやく遊べる時間が出来たのだろう。
 ヨウ! と小声ながら通る声で笑う相手に、久しぶりだな、と声を掛けた耀である。

「明日、蟹獲りな! あっちの山で待ってるぜ!」
「あっちの山?」

 栄次は玖珠玻璃の山を指差して耀に言う。

「じゃあな! 田んぼの草取りから逃げてきたんだよ! 早く戻らねぇと飯抜かれるし。今日の所は帰るから!」
「え、あぁ、うん。分かったよ」

 じゃあまたな、と、言おうとした耀を待たずに、栄次は坂を駆け降りた。
 流石、自分と同じだけ足の速い男である。いつの間にか背が高くなった雑草に身を隠し、田畑へ戻った栄次は兄弟の中へ紛れたようだ。集落の様子を見下ろせる寺の端、習い事に行くのは明後日だなと決めていく。
 善持は相変わらずの様相で、お前が決めたならそうすりゃ良い、とあっさりだ。蟹獲りと聞いた後、蟹用の籠を直していたので、どちらかというと成果の方に期待していたらしい。竹を上手に使った手作りで、返しが付いているから獲ったものを逃がしにくい。手先が器用な善持が織り成すものを見て学び、この日は簡単な笊を編んだ耀だった。
 浄提寺でも少し見た。先輩方が直していたか。自分の手から形あるものが作られていく様を見て、満足感を覚えた耀だった。当たり前に作り慣れた人物が作った方が、出来が良いし綺麗だが。糸や竹で物を編む、その過程で現れる、隠された幾何学模様を見出すのも面白い。
 師匠の雪久に持たせて貰った、魔除けの札にも図形があった。陰陽師系が良く使う。彼らは方角を大事にするし、方位を決めるのは”線”だから。お師匠様は全てを学んだ。神も仏も他の事象も。自分の才能を基本とし、使えるものは全て使った。亮凱(りょうがい)様も物知りだった。あの人はもっと上位の……もっと広い事を知る。この国に”悪魔”が渡ってきていて、蔵にある小さな壺に封じられていた事も知っていた。
 異言(いげん)の才もあったか。お師匠様が知る限り、天に最も近い人。自分が知るのは界が”幾つも”ある事だけだが、与えられた異言を思うと、才とは須く、他力であるような気がした耀だ。
 仏道における”他力”の事、大僧正様や先輩方が一心に祈って繋げた想い、神仏への”道”の先、座します如来や菩薩の力、数多の”天”の力だ。神と成ろうと考えている自分とは違う道だろう。違う道だがそれだけの事。どちらが上でも下でもなくて、共に”在る”世界の話だ。
 受け継がれるこの邦の昔話を読みながら、耀は”ふぅん”と考えた。この地方にもそれなりに神や妖怪が居るらしい。裏山の神については何も書かれていないけど、狐を祀る話が多いように感じられた。獣が神という事は余り無く、神使(しんし)として参じた者を神として祀るのが多い印象だ。狐を使いとする有名な大神を思い出し、狐の姿を垂迹(すいじゃく)とする天を思った耀だった。
 その一方で”床を叩く妖怪”に和んだ耀だ。音を聞いたらそれなりに気味が悪いと思うだろうが、圧倒的な無害さに思わず笑みが浮かんだ。山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)が出てくる話にあるように、彼らの総大将はライバル同士、いかに人を驚かせるかで競っている部分があるのだろう。そう思わせる気味の悪さと無害さに、成程なぁ、と膝を打った耀だった。異界とはいえ、この時代から、彼らは仕事に励んでいると思うと癒される。
 風雅(ふうが)が言うように狡猾な奴等も居るのだろうが、人と神と妖怪が近くで生きたこの時代、中々に味がある、とも思えた耀だった。
 翌日も良く晴れた。栄次と約束をした蟹獲りの日だ。善持は朝飯の残りを握り飯にしてくれて、栄次の分も持たせてくれた。
 集落の人達が仕事で出てくる時間より、少し早めに寺を出ようと思った耀だ。あの居た堪れない視線に晒されるのは矢張り苦手で、蟹の為の籠も目立つので、人が少ないうちに歩き抜けてしまいたい気持ちが強い。善持も似た気持ちに晒された事があるからだろう、今はもう何も感じぬだろうが、耀の気持ちを汲んでくれた。

「戻る時、くれろと言われたら、減って良いからくれてこい」
「分かりました、そうします」
「うん。気をつけて行ってこいよ」

 既に田畑に出ている村人は居るものの、昼間の時間より確実に少ない数だ。この間に歩き抜けてしまおうと、寺の坂を降りながら、耀は玖珠玻璃の居る山を眺め見た。

『暫く会っていないけど、元気かな?』
『そうですね。先に行って、挨拶をしておきましょう』

 そうだね、それが良いね、と後ろの瑞波に耀が言う。
 耀の背はまたぐんと伸び、瑞波の肩に届く所だ。また貴方は大きくなって……と瑞波の目が和らぐが、段々と柔らかく、優しく変わる瑞波を知るのは、案外と玖珠玻璃だったのかも知れない。

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