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君と異界の空に落つ2 第51話
耀は集落の中の一本道を歩く中、目が合ってしまった人達へ、頭を下げて挨拶をした。返ってくる挨拶は殆ど無かったけれど、嫌な言葉を掛けられないだけ、石を投げられないだけマシだと思う。受け入れたとは違うのだけど、受け入れざるを得ないという。村人の複雑な感情が伝わってくる距離感だ。
ただ、この日はいつもと違い、集落を抜ける頃、嫌悪とも忌避とも違う視線が混じっているのに気付く。ふっとそちらを向いた時、相手は驚いたようである。固まった後、顔を隠して家の方へと逃げて行った。
何だ、好奇心か、と思う。相手は小さな子供であった。まぁ、そうだよな。大人と違って、子供は未だ分からないからな、と。いつか自分か自分の友か、自分の子供を取られる童女だ。恨まれる前の綺麗な瞳を向けて貰えただけ良かったか、と。
耀は玖珠玻璃の棲家から流れ落ちてくる水を辿って、沢蟹が獲れる沢を目指して登り始めた。こちらの山も豊かな山だが玖珠玻璃が鎮座するように、動というより静を感じる、落ち着いた様子の山だった。心なしか気温も低くて、暑さを去なすに丁度良い。今日も暑くなるだろうから、と、木々の合間から陽(ひ)を仰ぐ。
麓から頂上へは二刻ばかり掛かろうが、清水の場所までならば一刻程で済むだろうか。山遊びに慣れた耀の足は、軽やかに歩を刻む。
『玖珠! 久しぶり! 元気だったか?』
男児らしい声を聞き、うん? と思った玖珠玻璃は人の成長を見たようだ。長い黒髪を一つに結って、岩の上でぼんやりと。くっきりとした目鼻立ち、この国古来の美貌を持った、未だ幼い竜神だ。
雨季が終わって体が伸びて、扱える水の量が増えていた。此の所の彼の日課は、それらを扱う術(すべ)を覚える事だ。耀が言う修行とは似て非なるものだけど、それはそれで彼の修行、強い竜神に成る為のものである。
岩の上からひょいと降り、玖珠玻璃は二人の側まで寄ってきた。
『耀か。瑞波様も。どうしたのだ? 蟹獲りか?』
『そう。集落の子供とな。煩くするだろうから、先に謝っておく』
『なんだそれは。変な奴だな』
『いや、本当に。少し前に遊ぶようになったんだけど、言う事きかねぇし、やる事、なす事、いちいち危なっかしい奴なんだ』
俺も注意するけれど、荒らしてしまったら悪いと思って。正直に語る相手を見ると、ふむ、と黙した玖珠玻璃だった。
『あんまり酷いようならば俺に声を掛けてきて。引っ張って連れていくから』
『それはあそこに居る奴か?』
『ん?』
言われた方を振り向いて、木の後ろに隠れた奴を見る。
『……気付きませんでした』
瑞波も驚いた顔をした。
『このまま俺と話していてはまずかろう。酷い時は声を掛けるから、それまでは気にせず遊べば良い』
『あ、うん。有り難う。あいつ……凄いな』
俺も全然気付かなかった。瑞波より驚いた耀である。
「おーい、栄次! そんな所に居ないで出て来いよ!」
声を掛けた耀の後ろで玖珠玻璃は、あっさり元の岩の上に戻ったような気配があった。まぁ、どうせ視えないだろう。善持の時は瑞波に挨拶する為に、敢えて姿を見せたような雰囲気だったから、と。
はっきり”出て来い”、ばれているぞ、と言われたからか、栄次は悔しそうに「くそ〜」と言いつつ現れた。
「”みつ”がよ〜、ヨウが蟹獲りに行くみたいだって言うからよ〜」
早いじゃねぇか。先に取り尽くそうって算段かよ、と。栄次は全く見当違いな事を口にして、「そうはさせねぇぞ!」と耀に突っ掛かってくる雰囲気だ。まさか、お前の居る集落の空気が……と、言える訳も無い耀は、無難に「暑くなりそうだから先に出た」と返したが。栄次がぶつぶつ呟く素振りを見せたので、「みつって誰?」と話を逸らしに掛かった耀だった。
「妹だよ。見ただろ? 隠れてたのに見つかったって、帰ってきた時、言ってたぞ」
「え? あ、あの子か……」
「多分な。お前、女共に人気があるらしい」
「?」
「ま、坊主になるんじゃその人気も今だけだろうがな」
「?」
かっかと笑う栄次はそれで気が済んだようであり、お前も可哀想な奴だよな、と、一発、背中を叩いて終わる。
分かっていなさそうな顔を浮かべていたものの、耀の内心はまともなもので、女の子に人気って言われてもなぁ……と。後ろの瑞波が怒るのかどうなのか。振り向いてみたいような、振り向いちゃいけないような、と思う。
取り敢えず栄次の気が済んだようなので、深く掘り下げもせず蟹獲りを始めた耀だ。あちらこちらから滲む湧き水の、浸る浅瀬で石を返した。きっと栄次もすぐ屈み、どちらが先に捕まえるかや、どれだけ捕まえたかで競うと思ったからだ。
「って。おいおいおいおい、無いだろお前。何でそうなんの?」
「?」
「ヨウの友達なんだろ? 俺は会った事ねぇけどよ。一緒に遊べば良いじゃん。俺、全然そういうの気にしねぇし」
「?」
仲間外れとか性格悪りぃ。そんな勢いで言うのである。
思わず「何のこと?」と耀は返した。栄次は「いや、こいつ」と玖珠玻璃の方を指差した。
玖珠玻璃の方を指差して、紹介しろよ、と言うのである。
「……え? ……は?」
「よぉ! 初めて見る顔だな! 俺、栄次ってんだよ! ヨウと仲良いのか? 俺もそこの集落に住んでんだ!」
今日はよろしく! みたいな顔で、にかっと笑いかける栄次である。
岩の上でのほほんと……顔はきりりとしているものの、その気配からのんびりと自分達を見るだけだろうと思っていた玖珠玻璃が、耀が受けた衝撃と同じだけ受けた顔をして、きりりとした顔のまま、ぎょっと見下ろしていたのである。
「栄次……視えるのか?」
「あ?」
「玖珠の事……え、じゃあこっちは?」
と。
耀は指先を後ろの瑞波に合わせたが、栄次は「あん?」とオラついた顔をする。そういうくだらない事言うなよ、と苛立ちを見せてきて、瑞波を幽霊か何かと勘違いしたようだ。
お前が今視ているものは神様だよ、と言いたいが、玖珠玻璃の事は視えているのに瑞波は視えていないとなると、さてどうした事だろう? という疑問が浮かぶ。耀は瑞波と視線を合わせ、玖珠玻璃と目を合わせ、互いに不思議な顔をしたけど栄次の方に向き合った。
「栄次、玖珠と一緒に遊ぶか?」
「遊ぶだろ? 面白そうじゃん」
「そうか。じゃあ、こっちは玖珠な。玖珠、こっちは栄次だぞ」
玖珠玻璃がきりりとした顔のまま、呆気に取られていたと誰が知ろうか。
『遊ぶ……のか?』
「うん、遊ぼう」
『しかし……蟹獲りではな……』
「じゃあ最初は様子を見てて」
玖珠は俺よりも年上だから、蟹獲りは休憩な。
耀がそう説明すると、栄次は「分かった」と返事を返す。随分と物分かりが良い事だけど、新しい友達は耀より大きく見えたのだ。俺の兄貴もそうだしな、と栄次は特に気にならない。栄次が気にならないならば、そのまま遊ぶだけである。
二人は僅かに困惑している二柱を横に置き、互いの草履を濡らしながら蟹獲りに勤しんだ。
人間の子供の声が、静かな沢に小さく響く。
はしゃぎながら競って遊ぶ人の子を見ていた二柱の目には、段々その光景が平和なものに見えてきた。
腹を立てながらも暫く二人を見守ってきた瑞波である。栄次の気性の荒さだったり、見てきた意地の悪さを思えば、大分ましになった気がして落ち着く気持ちになったらしい。
白い佳人が大樹の袂に腰を下ろした様子を見遣り、玖珠玻璃も気を緩めて二人を眺める気持ちになった。偶に人の子や老人が恵みを求めに来る時がある。静かに獲って、静かに帰るが、今日の二人はそれじゃない。
藍色の着物の両袖に両腕を入れて眺めるが、二人の様子は楽し気で混じりたい気分になってくる。蟹など食べない玖珠玻璃だから、獲っても仕方ない話であるが。人の子の遊びとは見ているだけでも楽しいな、と。およそ感じた事の無いものを感じ取っていたようだ。
『相性でありましょうかね』
瑞波が玖珠玻璃に声を掛ける。
『貴方とその子の相性が良いのでしょう。未だ子供でありますし、視え易いのもあるのでしょうね』
『そういうものですか?』
『そういうものと聞きました。神々の目が届き易いように、特に子供に繋がる”縁”は、大人のそれより太いのだ、と』
私は知り合いが少ないので、遠くから聞こえてきた話で申し訳ないですが。自信が無いというよりも、瑞波の謙虚な姿勢を見遣り、矢張り此の方は美しい……と暫し見惚れた玖珠玻璃だ。少なくとも彼と付き合いのある神々には無い姿勢だし、女神のそれに至っても控え目な方は珍しい。
どうして女神では無いのだろう……残念がった彼である。
そんな彼の内心を、知る由も無く瑞波は続けた。
『土地神というものですね。地の神という意味ではなく。貴方の近くに生まれた子なので、貴方との縁が太いのでしょう。烏様とも知り合っておいでのようなので、もしかすると貴方の事は、既に伝わっているのかも知れません』
『ど……何処へです……?』
瑞波は、すい、と上を指す。
『此の地を鎮守する竜神として。雲州には未だ呼ばれていないようなので、正式なものでは無いのでしょうが……それでも、貴方が此処に居る事、知った上の神々が、守護の力を強くして、見守ってくれているのかも知れません』
『それは……』
『それだけ”縁”が太くなるという事ですよ』
蟹獲りをしながらも、耳を傾けていた耀だ。
『雲州には十の月、国中から神々が集まります。神議りでは畑仕事から、国の男女の縁結び、鎮守が危うくなっている場所……様々な事を話し合いますが、そこで新しく生まれた神の話が、話題に上る事があります』
今は天照様を筆頭に纏められておりますが、天照様の治世の前は素戔嗚様、更にその前は久那戸(くなと)様がお治めになっていた土地であります。今は蟠りなく過ごされておいでですけど、久那戸様が治めていた時間が長い為、龍蛇の神の地位というのは低くないので御座います。
『永く居(お)られる神々は温和である故、あれもこれも見守りたい気持ちが強い。玖珠玻璃はきっと久方ぶりの竜神でしょう。ふふ……貴方の知らぬ間に、そちらの方々に、いつの間にか守護されていたりして』
それは玖珠玻璃が見てきた中で、一番綺麗な瑞波の微笑。この方は男神だと思っていても、惹かれる気持ちが芽生える程の。耀は蟹を獲っていたので詳しく見ていなかったけど、後から思えばこれが玖珠玻璃の、許容を広げた分岐点だったのかも知れない。
『ん゛ん゛っ……えぇと、それで、その、瑞波様は……』
『はい?』
『余り親しい方々はいらっしゃらないと、以前、おっしゃっていたような気がするのですけど』
『はい』
『雲州と呼ばれる土地にお集まりになる神々とは、それなりに仲が良ろしいので御座いますか?』
この瞬間の瑞波の顔も、耀は見ていなかったけど。
すん……と真顔になった後、うっすら笑う瑞波を見たのは、ある意味、玖珠玻璃だけで済んで良かったのかも知れない。
『────仲は、良くありませんね』
ひやりとするものが上る背中に。
『そう、なのですね……』
返せた玖珠玻璃は。
ふわりと視線を逸らせたものの、瑞波という祓えの神の、決して優しさだけでは無い場所を、初めて感じ取ったような気になったのだ。
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