いつかあなたと花降る谷で 第1話(6)
「フィーナ! お早う!」
ばさっ、ばさっ、と羽音が響く。
背の高い雑草の群生地を進むうち、木漏れ日が小さくなってきて、大きな大きな木が見えた。まるで巨大なブロッコリーだ。見上げたマァリは人の世界の野菜を思う。
そこから落ちる木漏れ日がところどころ遮られ、羽音と共に生き物の気配が降りてきた。人間の腕の部分に当たる羽を動かし、赤髪をヘアバンドでまとめた女性の姿。地面に足がつく瞬間に、羽がすうっと腕に変わった。
彼女だけじゃなくこの大陸に住まう生き物達は、混ざったものの特徴を上手に使えるように出来ている。知っていれば挑戦しようと思うだろうが、知らなければ意識が向く訳もない。だからマァリも知らないままで生きてきたけど、他人のそれを目の当たりにすると「こんな感じか」と思ったりもする。
変化した手を広げ、フィーナに抱きついたミオーネだ。
フィーナも彼女へと「お早う!」という。
元気そうね、と言い合う二人は、マァリが無くしてしまった親友同士のようだった。同じ種族であるよりも異なる種族である方が、親しくなれる訳だから、と、とんだ皮肉を感じた彼だ。
だけど、一人で居る楽さも知ってしまった後だから、そこまで穿った見方もせずに「良い関係」と眺め遣る。半人半鳥であるハルピュイアのミオーネに比べても、フィーナは小柄な少女に見えた。
暫くして、心地よい枝葉のざわめきを聞き、ミオーネは抱擁に満足したようだ。後ろに控えるマァリを見ると「フィーナ、またお客さん?」と。
それから、あれ? という顔をして。
「なんだ。ボーイフレンドが帰ってきたの?」
と。
フィーナは二人分の視線に気づかなかったようである。
「やだなぁ、ミオーネ。マァリはお友達」
ね? と底抜けに明るい顔で見上げられてしまったら、マァリも笑顔になって「そう」としか言えないけれど。
「男友達がボーイフレンドなら、それでも間違いじゃないかもね」
と、しれっと攻めに出たりして、けれど二人に流された。
ミオーネもフィーナも「そっか」と返したが、マァリの狙いは外れたようである。
「それでね、卵がなくなっちゃったから、分けてもらえたら嬉しいなって」
と。
ミオーネとフィーナの間では、単純に「人が増えたから」で落ち着いてしまうのだ。
「これ、お土産」
「ありがとう」
水菜を渡したフィーナである。
一歩前に出たマァリの方も、耳飾りから何かを出した。
「これ、俺からも。暫くお世話になるかもしれないから」
「あ」
「そう。フィーナのお土産と一緒」
袋に小分けにされたジャムクッキーとフルーツケーキだ。リボンが巻いてあるので、フィーナにあげたものとは別だろう。同じもの、と聞いたフィーナは得意げに「私も貰ったけれど、とっても美味しかったわよ」と。
フィーナも食べたとあればミオーネも安心するもので、「ありがとう、気が利くのね」とニコッとマァリに微笑みかけた。
「でも相変わらずひょろひょろね」
「はははっ。これでも人間の中じゃある方だけどね」
「ふぅん、そうなんだ。そういえば名前、なんだったけ?」
「マァリだよ。またよろしく、ミオーネさん」
「そうだ、マァリだった。こちらこそよろしくね! さん、とか要らないから。ここじゃみんな、名前だけよ」
あっさりとした性格は以前のままのようである。
ミオーネは水菜とクッキーを持ち、腕を翼に変えたなら、地面から勢いよく飛び上がる。とんっ、と軽く蹴るだけなのに、大木の上まで舞い上がるので、マァリは凄まじい脚力だな、と。感心するように上を見上げて、眩しそうに目を細めていた。
ミオーネがハルピュイアの姿になると、腕が翼になるだけじゃなく、脚も羽毛がつくようで、指の先は鋭い鉤爪になる。何の因果か、人の戦争に駆り出されたハルピュイアを見た時に、ミオーネのことを思い出してやりにくかった……訳でもないが、この剛脚の記憶が役立った。
お仲間を……と思うと、マァリは悪いことをした気もするが、自陣の方もそれなりに被害を受けたので、お互い様という場所で事情をつけたいところである。わざわざ言うことでもないしな、と、飛び上がった彼女を見遣る。
ミオーネの「家」は、この巨木の上にあるけれど、今日はマァリが一緒にいるので、フィーナは下で待つことにした。上がって行きなさいよ、とも言われなかったから、ミオーネはまだマァリのことを招待する気がないらしい。あぁ見えて警戒心が強い女性であるのを知るので、フィーナは「頑張れマァリ」なんて思った。
二人が今よりも仲良くなれますように、なんて。
マァリの内心を知らないフィーナは、平和なことを考える。
暫くして太い枝の上から舞い降りてきたミオーネは、腕に掛けた籠をフィーナに差し出して、「足りなくなったらまた来てね」と、まとまった量を渡してくれた。
「こんなに? いいの?」
「丁度、産み時期が重なったみたいだし、マァリは沢山食べるでしょう?」
いや、俺はもうそんなには、と言いかけた彼だけど、割って入るのも悪いので黙ったままだ。
「それに、ちょっとお願いしたいこともあるのよ」
と、ミオーネが二人を見比べて語るので、そちらの方に意識が向いた。
フィーナは、あげた水菜の量より多い卵を貰った訳だから、お願い、と聞いて気持ちを入れ替えたようである。
あのね、と語った彼女は、同じ山の反対側に住む、サイクロプスの友人が気になるらしい。
「近いうちに様子を見にいってくれない?」
すっかり二人のことをあてにした雰囲気だ。
フィーナは「任せて」と意気込んだ様子を見せたが、マァリは腑に落ちない顔をした。気になるなら自分が行けばいいのに、という、彼の心の声を聞いたようにして、ミオーネはもう少し情報をくれたのだ。
「ちょっと前に遊びにいったら、落ち込んでいるようだったから。彼、少し前に奥さんを亡くしているから……それでまだ元気が出ないのかしら、って」
だから私じゃなくて、フィーナ達に行って欲しいのよ、と。
「戻ってきたマァリがいるなら、またよろしく、って言えるでしょう?」
聞いたマァリは目を瞬いて、ミオーネが存外「話ができるハルピュイア」だと気づいたようだ。なるほど、と呟いて、早いうちに叶えてあげよう、と。フィーナと顔を合わせて意欲的に頷いた。
よろしくね、と語る彼女へ別れの挨拶を済ませると、密花を集めるために群生地へ向かう二人だ。籠を返すついでに様子を教えてあげようね、と、フィーナはマァリの少し前を歩いて語る。
籠をフィーナから受け取ったマァリは、大きな葉をつける草の所で立ち止まり、花を集めるための包みを拵える彼女へと「サイクロプスの友達って、どんな感じ?」と聞いていく。
「穏やかな方よ。この山で二番目くらいの古株さん」
「ここに住んで長いんだ?」
「そう」
「じゃあ奥さんは寿命かな?」
マァリは本人には聞けないだろうことを質問し、「そうね。奥さんの方が年上だったから」という、フィーナの答えに安堵した。根掘り葉掘り知りたい訳ではないが、踏み抜いたらいけないことだけ知っておきたかったから。
人間に比べると、幻獣族は、軒並み寿命が長めである。
フィーナのような妖精は数百年は生きるというし、ハルピュイアのミオーネだって三百年が「普通」である。竜族も数百年、サイクロプスも確か二、三百年は生きると読んだ気がする。
それで彼女達よりも「ここに住んで長い」というなら、彼女達は幻獣族の中でも「まだまだ若い方」になり、この山に住むのも「短い方」になる訳だ。
ふぅん、という体(てい)で容れ物を作るフィーナを見ながら、のどかな様相の山を眺め遣る。マァリは楽にしながら辺りを警戒し、ここは変わらないなと思って、鳥の声を聞いていた。
日が登り始めた山の中は、段々明るくなっていく。
朝靄も消えていき、静謐だけれど暖かい。
マァリは座り込むフィーナの後ろ姿を見下ろして、ここが一番明るい、と、人知れず微笑んだ。この生活を手に入れるため、彼は色々と頑張ったのだ。
出来るだけ長く続きますように、と、柄になく神頼みをするように。密花の群生地に赴き、楽しげにそれを集める彼女を見ながら、互いに甘酸っぱい匂いになるのを微笑みながら過ごすのだ。
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