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いつかあなたと花降る谷で 第1話(8)

 翌日、出来た密花のジャムを鞄に詰めたフィーナである。
 服装は山を歩くため、昨日と同じズボンを選ぶ。
 マァリも地味な出で立ちだけど、二人ともどこか華やかだ。一人一人ならそこまで目立たないかもしれないけれど、二人で並ぶから「明るく」見える。
 朝食をとった後、家を出た二人である。
 沢とミオーネの家がある方とは逆の、斜面の方へ降りていく。
 少しずつ飛び出した岩場は間隔が広いため、魔法も使って器用に降りるマァリであった。フィーナはそれを見ながら、人族の男性は器用ね、と。そうそう出来る芸当じゃないのを、知らないままに過ぎていく。

 タタンの丘の反対側も、春真っ盛りの様相だ。

 進めばあちらこちらから良い香りが漂うし、動物の声はどれも賑やかで楽しげだ。若葉も瑞々しくて一面が明るいし、間伐されているような整った森の中へ、落ちてくる日の光の筋は神秘的。

「綺麗な森だね」

 何気なく口にしたマァリである。

「誰か管理でもしてくれている?」

 フィーナは「あぁ」と思い出した顔をして、ノームが多いのよ、と教えてくれた。

「へぇ、それで」
「きっとそう」

 ノームは土の精霊の仲間で、実態を持つ方である。他の生き物の気配がすると、すぐに隠れてしまうという恥ずかしがり屋さんだけど。
 だからフィーナも詳しい姿は分からない訳だけど、活発な気配から察するに「豊かな森」であるのがよくわかる。彼らは朽ちた木々を土に返し、新しい木々が枝葉を広げられるよう、剪定のようなこともしてくれているらしい。
 道理で歩きやすい森だ、とマァリは考えた。
 人が移住してこないのが不思議なほどである。
 ただ、王都から見たときに、ここに辿り着くまでの、山と森が深過ぎるので興味は向かないだろうな、と。
 そもそも人と幻獣族は、棲み分けをそのようにしているところもある。人が住みやすい土地は人へと譲り、幻獣族が住みやすい土地は彼らへと譲るように。国境線を引くのは人だけど、人の街で暮らす幻獣族以外には、あまりそうしたものの効力はなく、不介入のような態度を取っている。
 異種族間での恋や愛は素晴らしいと思うけど、見た目も生きる年数も異なるし、体力差や能力差も割とあってしまうから、自然と距離が出来てしまうようである。フィーナが聞いた友達の経験談が、あながち遠からず、ということなのだろう。
 マァリは大陸中央の大国で、異種族同士の婚姻を何度か目にしたことがある。フィーナと出会ってからは、それまでよりも目についた。友人達にだろう、祝福される当人達を見たときに、ぼんやり、そこに、フィーナと自分の姿を重ねてみたりもしたのである。
 腕輪の交換だったり、指輪の交換だったりするが、書類や形の上だけだとしても「婚姻を結べる」というのは羨ましいような気持ちになった。フィーナが自分と同じ気持ちになるのを少しは望んでしまうけど、望んではいけないような気もするマァリである。
 契約を交わしたときに、自分こそが「混ざりもの」だと聞いて愕然ともしたけれど、半分だから足りないよ、と助言を受けて持ち直していたのだ。
 時間はたっぷりあるけれど、資格があるのか分からない。
 だから、今はただ「二人暮らし」を楽しめるだけでも、と、謙虚に思うマァリである。良い仲になりたい気持ちと遠慮する気持ちがあって、彼の中で、それらがひっそりせめぎ合う。
 マァリの内心を知らないフィーナだけ、森の管理についての話を追加で零すのだ。

「ポッサンも他の動物が住みやすいように、巣箱を作ったり、自分の家の周りだけじゃなく、綺麗にしてくれているからね」

 なるほど、と返したマァリは、随分人が出来ているようだ、と。
 サイクロプスと言えば一つ目の異形の姿で、人間の御伽噺には悪役として出てくるのが常である。人攫いとか、頭から丸呑み、だとか。人間の子供には人気がない。
 人間の大人にも恐れられている風で、気性は穏やか、と聞いたとしても、一つ目の巨人に見下ろされると思ったら、恐ろしいと思うのが普通なのではないのだろうか。
 そういえば戦場では見たことがない、と、思った彼だ。部下として「使う」のも、何やらやりにくい印象を受ける。
 ぱっと思考を切り替えて、また森の中を見る事にした。
 なだらかな下り坂を、二人で降りていく。降りたと思ったら低い壁が現れて、翅を出して飛び越えるフィーナを見上げつつ、楽々と同じ壁を飛び越えた彼だった。

「あっ、ごめんなさい! つい癖で」
「え?」
「で、でも、マァリ、飛び越えられたのね?」
「あぁ」

 これくらい平気、と「しれっ」と返した彼だけど、フィーナは少しだけ「あれ?」と思った。彼女はまだ気づいていないけど、沢に降りられる飛び出た岩の高さより高かったのだ。

「ねぇ、もしかしてマァリって、体を動かすのが得意な人なの?」

 得意か苦手かと言われたら、確かに得意な方である。

「そうかもしれない」
「やっぱりね」

 マァリくらい動ける人、あまり見たことないもの、と。
 そりゃ戦争もしていない国の、一般人と比べたら。
 くすくす、と笑いが込み上げた彼である。

「人間相手だったら、フィーナのこと、守れるよ?」

 人間どころか大抵のものから守れるだろうけど、数で押された場合だけ無理だと思うから、マァリは謙虚にものを言った。
 今日もちょっとだけ「攻め」に転じた彼である。
 フィーナは予想通りきょとんとしたようで、ふわっと目を緩めてから「頼もしい!」と笑顔になった。
 途端に、本当に、射抜かれた彼である。
 頼もしいって何? と、笑いが止まらなくなるのである。

「うん、うん、大丈夫。フィーナのことは守るからね」
「はい! よろしくお願いします!」
「うん。ふっ……ふふふふふ」

 なんて素直で純真で、可愛らしい妖精だろう。
 マァリはそんな彼女に惚れたことが、誇らしいような気持ちになった。自分が得意なことで貢献できるのは嬉しいし、それを受け入れてくれるというのは、頼りにされているように思えて嬉しい。
 大丈夫、必要ない、と言われる方が悲しいし、ちゃんとフィーナの意識の中にいると思える安心感だ。
 近くはないけど、遠くもない。それが知れて良かった、と。
 その後もたわいもない話を続け、だいぶ山を降りた頃だ。
 通ってきた森以上に整えられた区画に入り、マァリはすぐにその人の縄張りだ、と気がついた。やたら花を付ける木や草が多いように見えたので、随分、童話的な庭だな、と思ったが。奥方がいたというし、多分、奥方のためなのだろう。そんなところであたりをつけて、その人の「優しさ」を見出(みいだ)した。
 これほどまでに綺麗な「庭」を、作り出せる者なのだ。
 対するフィーナはあちらこちらを見渡して、その人の姿を探しているように見えていた。

「変ねぇ……やっぱり、ミオーネの言う通りなのかしら……」

 不安げな声がマァリの耳へ届いた。

「いつもならこの辺にいる?」
「そう。いつもなら土いじりをしてると思う」
「そっか……心配だね」
「うん。心配。マァリ、ポッサンの家はこっちよ」

 と、フィーナは足を早めていく。
 花々が咲き乱れる庭も深くなっていき、丘を削って作ったような、おしゃれな家が見えた頃だ。
 マァリは「?」と思って、あたりの気配をそれとなく探る。
 到着したと思うや否や、フィーナはドアをコンコンと叩く。

「ポッサン! フィーナよ! 遊びに来たの!」

 努めて明るい声で伝えたようだ。
 マァリは彼女の後ろで、その人が出てくるのを待っていた。
 しん……としてから、足音が少し響いた。いた! という顔で、見上げてきたフィーナである。庭から覗ける窓のどこにも、その人の姿が見えなかったから、マァリは逆に「留守」という場合も考えていた。
 ドアの向こうにやっと気配が感じられた時である。
 ぎぃ、と蝶番の音が鳴り、暗い室内に目玉が光る。

「やぁ、フィーナ。遠いところをいらっしゃい」

 若干息を飲んだマァリの事も見下ろして、その人は疲れた顔に小さな笑みを浮かべてみえた。

「やぁ、初めましてかな? フィーナのお友達?」

 穏やかな声は聞いていた通りの老齢を思わせる。
 人の良さも滲んだ声に、落ち着きを取り戻したマァリである。

「初めまして、マァリといいます」

 握手のための手を差し出した。
 ポッサンはにこっと微笑み、「ポッサンだ」と。
 それから大きな手を重ね、潰さないように握手をしてくれる。

「せっかくきてくれたんだ、寄っていくよね?」
「はい! お邪魔します!」
「君もどう?」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えまして。失礼します」
「おぉ、すごい、まじめな子だね。フィーナ、どこで出会ったの?」

 さあさあ、と家に手招きしながら、サイクロプスのポッサンはフィーナに尋ねていった。
 庭に落ちてきたのよ、という、返事に片眉を上げた人だ。

「落ちてきた……?」
「そうなの。それで、一度人の国に帰っちゃったんだけど、またこうして戻ってきてくれて、しばらく一緒に暮らすから」

 へぇ、なんて返事をしながら、まじまじとマァリを見下ろしたポッサンである。彼の言いたいことや、聞きたいことはすぐにわかった。
 二人は意味深な視線を交わし、マァリが苦笑して折れることにする。それを見たポッサンは大体の事情を察したようだ。
 さすが、この山一番の年長者、ということか。
 鞄から蜜花のジャムを取り出したフィーナへと、ありがとう、と返しながらカウンターキッチンへ入った彼は、すぐに二人へと温かいお茶を出してくれた。

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