いつかあなたと花降る谷で 第1話(11)
マァリが外へ出てから意気込んだ様子のフィーナである。彼が頑張るなら自分も、という意気を感じたポッサンだ。ただ、いくら愛する妻でも亡霊の姿は恐ろしい。友人だった彼女へと、そんな姿を見せるのも躊躇った。
フィーナを何とか言いくるめ、マーメーナの部屋へ押し込んだ。もし亡霊じゃなかったら危ないから、とか、何とか言ったような気がする。あれだけハッキリ見える姿だ、死霊じゃないかもしれないと思う。マァリの意志が強かったから、ポッサンもつられて強気になった。
向き合おう、とも思えたようだ。今日は「彼女」から逃げない、と。
逃げずに向き合っている様子だったが、それは彼の本質からすると「逃げ腰」だったようである。
だって怖かったのだ。始終、自分を見つめる「彼女」が。見つめるだけで何も言ってこない、彼女の無言も怖かった。マーメーナはドワーフにしては明るい性格で、無言でいることの方が少なかったと思うから。
ソファーに腰掛けて、読書をしている風で、色々と妻のことなどを思い出していたポッサンだ。
だから窓を叩かれた時、見慣れた怖い姿を見ても、冷静に受け止められて、足を進める勇気を持てた。
君は何を伝えたいんだ?
どうして今頃、来たのか、と。
ソファーから立ち上がり、彼女が立つ窓辺へ向かう。マァリはこのポッサンの気配を読んで、一気に屋根から降りたのだ。
「ぐふっ!?」
くぐもった声。
不意に潰された亡霊だ。
「マァリ!?」
はっとしたポッサンが駆け足で窓辺へ向かう。
勢いよく窓を開け、マァリが屈む壁の下を見た。
マァリはきりっとした顔で、亡霊を押さえつけていたようだ。
「ぼ、亡霊……?」
と、混乱するポッサンだけど、マァリは「死霊ではありませんよ」と、押さえつけた生き物を立ち上がらせる。しっかりと両手を後ろ手に捕まえて、首の後ろにも手を回し、命を預かる様相だ。
「きゅう……」
と鳴き声のような呻きをあげた生き物は、どうして妻だと思っていたのか分からないような姿であった。人間のマァリが片手で両手を掴める姿。フィーナよりも幼い子供に見えた。
「誰……?」
「分かりませんが、バンシーかと」
と。
「バンシー?」
「泣き妖精です。死霊の真似をする」
「あぁ、それは聞いたことがある。あぁ……あぁ、なるほど」
と。
口では冷静に返すものの、さっぱり状況が掴めないポッサンだった。
「じゃあ、妻の亡霊は……その……」
「タチの悪い悪戯ですが、そういうことだと思います」
「はぁ。うん。なるほど……それじゃあ、マーメーナがこの世で彷徨っているわけじゃないんだね?」
「それはないと思います。綺麗な場所でしたから」
散歩の時に、フィーナにお墓まで連れて行ってもらったんですよ、と。マァリは捕まえた子供の顔を覗き込むようにして、既にお灸を据える気満々のようだった。
何が起きたのか分からなかったらしい子供も、マァリの顔を見て怒られることだけは分かったらしい。ばさっと闇色の翅を広げて、彼の腕から逃げ出そうとして見えた。
「マァリ! ポッサン!」
大丈夫!? どうなった!? 慌てて部屋から出てきたフィーナである。
この様子を見ると、マーメーナの部屋に押し込まれても、彼女は言われた通りにはしていなかったようである。
犯人はフィーナより小さい妖精だったし、せっかく翅を出したのに、まるでマァリに敵わないので、二人は彼女が近づくことを許した風だ。
うん……と、何とも言えない顔をしたポッサンを見上げると、マァリに首根っこを掴まれた女の子に目が行った。
「この子……」
「知ってる子?」
「ううん。知らないわ」
「ミオーネに聞けば分かるかな?」
「そうね、ミオーネなら何か知っているかもしれないわ」
増えた「敵」の存在を見て、震えた様子の子供である。震えると同時に頑なになる気配があった。でも、フィーナは同じ妖精だから、背中の翅を見て、怖がることなく声をかける。
「あなたは誰? どうしてこんなことをしていたの?」
視線を同じ高さに合わせたフィーナである。
黒髪の「泣き妖精」は、きっ、と彼女を睨んだようで、そうした姿勢に納得をしたフィーナは立ち上がる。すっと姿勢を正して後ろを向いたなら、背中を震わせるようにして、光り輝く翅を出した。
月下美人のような花翅(はなばね)である。バランスを取る為に伸びた尾翅(おばね)は、海月(くらげ)の口腕(こうわん)のように華やかだ。まるで大輪の花から伸びたフリルレースのようであり、翅を開いた少女の姿は大変美しい。昼間は陽の光に隠されてしまうけど、夜半に見るそれは幻想的な美しさ。見惚れるようにマァリが無言になったのを、ポッサンだけが静かに盗み見た。
どうやら見惚れたのは、マァリだけではなかったようである。黒髪の小さな妖精も、目を見開いて彼女を見遣る。口も開いたままであり、自分も似たような翅を持つのに、随分、驚いているように見えていた。
ふんわりと翅を羽ばたかせ、向き直ったフィーナである。
「どう? 少しは安心した? 私も同じ妖精よ。困っているなら話を聞くわ。あなたのことを教えてよ。私はフィーナ」
「ポッサンだ」
「マァリだよ」
「あなたの名前は? 妖精さん」
ぽかんとしてから、うぅ……と皺を寄せた少女である。
じっと三人に見つめられ、項垂れて。
その時、気味の良い音が辺りに響き渡った。
ぐうぅ、という、分かりやすい少女の状況の音である。
「もしかして、お腹空いてるの?」
「……っ」
「何? ご飯が欲しかっただけ?」
ポッサンが呆気に取られて屈んで聞くと、「違うです!」と睨みを効かせた泣き妖精だ。
「お前のような木偶(でく)の坊(ぼう)がこんなに素敵なお家に住んでいるのがおかしいのです! 可愛い私に譲り渡してさっさとどっかに行けば良いです!」
しん……とした「その場」だった。
「え? な、何だって?」
動揺したポッサンが聞いていく。
「だからぁ! お前のような、ぐえっ」
「図々しいよ?」
にこ、と笑ったマァリはいつもと違う雰囲気で、ちょっと怖い顔をしながら子供の顔を覗いたようだ。
幼い妖精は首根っこを締め上げられて、息が吸えないという様相だ。足をバタバタさせながら、マァリが掴んだ首を掴んだ。
「ちょ、ちょっとマァリ……!」
案外、容赦がない彼である。
子供だろうが大人だろうが老人だろうが、という意気だ。悪意があるものに対して優しくしてやろうなど、微塵も思っていないタイプなのである。
だけどフィーナが慌てて少女を救おうと動くので、一旦、首元を緩めてやって、息を吸わせた彼である。
「ぐっ、けほっ、けほっ、けほっ」
「もう、怖い。マァリ、やりすぎ」
「そう? ごめん。気を付ける」
気を付ける、と言いながら、首の後ろを掴む手の圧が、そのままなのを知るのは少女だけ。流石の彼女もこの場において、絶対に逆らってはいけないのは、この男だ、と悟るのだ。
「それで、何だって?」
追求する声も、隙がなくて怖い感じだ。言い直させてやるから、次は正しいことを言え。そんな圧力が滲む声である。
フィーナにもポッサンにも優しい声に聞こえたが、少女だけは「正しく」彼の狂気を察知した。この場で一番怖いのは、間違いなくこの男である。
この男……身長と、外見の特徴から察するに。
「え……人間……?」
「うん?」
「に、人間? なんで……?」
え……?
急に混乱の体を見せた少女に有無を言わさずに。
「それより君の名前は?」
と、問い詰めたマァリである。
「え?」
「名前。言えるでしょ?」
「う、うん。チャールカーシュ」
「チャールカーシュ。チャールカか。君はバンシーだね?」
「そう。そうだけど……あなたは何……?」
人間だよ、と。
にっこり微笑むマァリを見上げ、チャールカは急速に大人しくなったのだ。
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