君と異界の空に落つ2 第24話
「善持ー! 来たわよ! ヨウは何処!?」
勝手知ったる知り合いは、適当に開けてくる寺の門。其処から叫び声が届いていたので、心の準備が出来た二人だ。男二人が声を聞き、ぎくり、と体を震わせる。耀の後ろで先に瑞波が黙って動きを止めていたが、二人が震える様を見て共感を覚えたようだ。良かった、怖いのは私だけではなかった、と。楚々と銀杏の木に逃げて、様子を窺う瑞波である。
「ヨウ!」
さえは耀を見つけて嬉しそうに近付いた。
お前ぇ、後ろの男は何だ? という善持の視線を無視しつつ。
否、この場合は”さえ”の頭が、耀で一杯になっていて、善持の胡乱な視線に気付かない方である。後ろの男も窶れた顔で所在無さ気に立っているので、先に善持とそれぞれに視線を交わして挨拶をした。
「さえさん、こんにちは。後ろの方は?」
「うん! ヨウの為に連れてきた! あ、善持、お堂を借りるよ?」
「構やぁしねぇけど、汚すなよ?」
「はいはい」
こっちさね、と”さえ”は二人を連れていく雰囲気で、やれやれという気分に浸った善持である。二人には悪いだろうが、おかげで自分は解放だ。終わるまで適当に畑をやって、飯だけ準備すれば良いだろう、と。
滅多に使われる事のない寺のお堂は、耀の日々の掃除のおかげで、何処もかしこも綺麗なものだ。前に来た時は埃があったが……と、さえも目敏く気付いたが、埃があろうとなかろうと気にならない性格なので、客人と耀を招いて仏像の前に座らせる。
「戸を開けてきてくれるかい?」
頼まれた耀が素早く動き、お堂の左右の雨戸が開いて解放的な雰囲気だ。仏像、さえ、客人ときて、耀が座ろうとしたのだが、「あんたはこっちさね」と、さえの横に招かれる。
初めてお客の顔を見れば、髭の生えた中年の男性だ。座ると同時に腰の剣を横に置いて見えたので、偉い人なのだろうか、と緊張を僅かに思う。窶れては見えるものの、目の光の強い人だ。そんな人が拝み屋に大人しく従っているのだから、余程困っているのだろう、と耀は思った。
さえは先ず客人に耀を紹介するようだった。
「やっとあたしも弟子を持てたんだ。これから鍛えていくから、何かあったらヨウの事、頼りにしておくれ」
「え?」
気の早い話である。驚いた耀は”さえ”に言う。
「さえさん……使い物になるかどうかも分からないのに、そんな事を言ってはまずいです」
「大丈夫、ちゃんと育てる。視えているだけで十分だけど、あんたは恐れが無いからね。使い物になるし、あたしより真面目だし……何よりこういうものは体力勝負な仕事だ、元々男の方が向いている」
そういう訳だから、と”さえ”は客人に向き直り、それじゃあ悪いけど弟子も同席させて貰うよ、と。
客人は”もう何でも良いから怪異から解放されたい”ようで、うむ、と頷いただけ、虚ろに弟子を眺め遣る。疲れているんだろうなぁ、と目の下の隈(くま)を見て、耀は失礼にならないように、その人に頭を下げた。
さえは客人の前では行儀が良いようで、背筋を正したまま”背後”を視たようだ。正しくは、背後を見るように焦点をずらす訳だが、不意に「ヨウ、視えるかい?」と振ってくるので、ここでも”ぎくり”とした耀だった。
「すみません、さえさん。私は人霊は視えないのです」
「なら平気さね。人じゃないから」
「え?」
「頭のこの辺で視るようにしてごらん」
長くなった前髪を上げ、さえは”ぺちん”と額を叩く。我ながら良い音、と思った耀だけど、さえの叩き方が良かったか、それで”調整”されたのか。
「良いかい? 腰、肩、頭、肩」
「あ……す、凄い……」
たんぽぽの綿毛のような”ぼやぼや”とした靄の塊が、さえの語る通りの場所を移動する。小さい? 丸い? と自分で額を触りながら、指の隙間から動きを追った耀だった。
「さえさん、もう少し……よく視える方法は無いですか?」
「うん。じゃあ煙を焚いてやろうか」
背負ってきた籠の中から乾燥させた葉っぱを取り出して、皿の上に乗せたなら、火打ちをしていく”さえ”である。飛び散った火の粉が小さい穴を開けていき、焦げた匂いがしてきたら、細い煙が立っていく。
煙から広がる匂いは枯れ草を焼いた時のものだ。そこに少しだけ独特な匂いが混ざり、臭い訳ではないけれど鼻を摘みたいような。
失礼しますよ、と、さえはその煙を持って、客人の肩から背中、腰へと煙を塗(まぶ)す。何をしているんだろう? と耀は訝しむけれど、客人がいぶ臭さに咳き込むのと同じようにして、ぼやけて視える丸いものも咳き込むような声がした。
口がある場所で”けほけほ”と咳き込む訳で、反対側の部分が丸く膨らんで視えてくる。あれは尻尾か? と見立てがついたら、口細の顔に、小さな手があって、透き通る全体が視えてきた。
「あ……可愛い……」
綻んだ耀の顔である。
可愛いとは何だ? と、客人の顔が怖くなる。
あ、いえ、と誤解を解こうとした所、あんたに憑いて悪さしてるのは、怖い奴じゃないって事だよ、と。さえが説明してくれて、武人の怖い顔が少し戻る。
「どうにか出来そうか?」
男は語気を強めて聞いた。
さえは「出来ますよ。けれど、もう少し待って貰えます?」と。
「ヨウ、何が視えた?」
「はい。恐らく狸かと」
「狸……心当たりはありますか?」
「そんなものある訳ないだろう」
ふん、と窶れた顔で悪態をつく武士(もののふ)だ。耀の目には相変わらず”けほけほ”と咳き込みながら、涙目を手で押さえ、それでも男に戯れつこうとする健気な狸の姿が視える。
健気だ……と感じたら、取り憑かれているというよりも……と。
「さえさん、この子、悪さをしようとしている訳ではなくて……」
「ほう! 分かるかい?」
「この方にお礼がしたいというか、この方をお守りしたいのでは……」
「そう!」
膝をパーンと打つように、さえは笑顔でヨウを見た。
「流石! 流石あたしの見込んだ通り! この子はこの人に恩義を感じて、近くをうろちょろしているだけなんだ」
「は?」
「だけどね、お役人さんにはそれが邪魔になっちまってる。毎晩、枕の辺りで、がさがさと音がするんだろう?」
「……あぁ。何も居ない筈なのに不気味な音がしてきたり、急に机の上のものが落ちたり、倒されたりと」
おっかなくて敵わない……役職柄言えないが、窶(やつ)れた男の気持ちとしては凡そ”こう”なのだろう。
透き通った狸はやっと目元が晴れたようで、煙をまぶした”さえ”を見ると、さっと男の背後に逃げる。この人間は怖い奴だ、と認識したような顔をして、ちらちらと顔を覗かせるから、いじらしさが倍になる。
「人と動物とじゃね。言葉が通じないからね。この子には可哀想だけど、この人から離れて貰おうか」
さえが籠から取り出したのは、木製の数珠である。坊主がするように数珠を手に掛けて合掌をする。経文を読んだり、真言を唱えたりするかと思えば、さえは目を閉じて無言になって、力で狸を掴んだようだ。
ようだ、と思うのは、さえの体から出た”力”の端が、右手の形を取って狸の体を掴むから。え、こんな風になるの……? と唖然とした耀の目に、確かに”さえ”の力の”形態”が視えたのだ。
まるで力尽く。経文も真言も、神の力も頼らない。
瑞波が口にしていた直接的な力を以て、引き剥がしに出ているように視えたのだ。
こ、怖ぇぇ……と、耀は慄く。
顔には出さないが、そんな理不尽があるのか、と。
理不尽というよりは単なるパワーだが、ぴぎゅい、と鳴いている小さな狸を視ると、どうも”さえ”の方が悪者に見えてくる。
持ち上げられる狸の体には、細い糸が繋がっていた。何処から伸びるとも知れない糸に意識が動いたら、耀の頭の中に糸の先が視えてきて、まるで走馬灯のように景色が舞い込んでくる。
目を見開いたまま、肉体が先に反応し、乾いた眼球を潤すように涙液を滲ませた。
額を押さえながら、たらたらと涙を零す子供に、先に気付いた武士(もののふ)が”さえ”に視線で伝えようとした。
が、さえは”さえ”という人間であって、仕事中は他の物事へ気を散らしたりしないのだ。中々しつこい狸だね、と眉を強く顰(しか)めながら、もう少し力を入れるか、と、算段している所だった。
怖い顔をした拝み屋の女と、その横で泣き続けている童子の組み合わせ。しかも二人とも無言である。童子は瞬きもしていない。武士が段々と怖くなり、逃げてしまおうかと思った所で、袖で目を拭き取った童子が「さえさん」と。隣の師匠に声を掛けた。