見出し画像

君と異界の空に落つ2 第43話

「只今、戻りました!」

 意気を込めて声を出す。
 寺はいつも通りのようでいて、何処か静かで寂し気だった。
 そこへ耀の声が響くと、吹き返すように賑やかになる。急に鶏の声が響くし、善持が走ってくる音もする。風が吹き抜けたようになり、木々のざわめきや鳥の声も。

「無事かぁ!?」

 家の後ろから現れた善持であるので、もう一度「遅くなりました。只今、戻りました」と返す。
 笠を結える紐を解き、背中の籠を下ろして見せる。自分達の為に途中で摘んできたのを知ると、善持も嬉しそうな顔をした。

「有り難ぇ。それより、何でぇ。随分とさっぱりしてきたじゃねぇか」
「髪ですか? 切ってくれるというので、切って貰ってきたんです」

 頭に手を添えた耀を見て「良いな、似合う、似合うぞ」と。善持は人の善い笑みで応えてくれた。途端、帰って来たんだな、という安心めいた気持ちが浮かび、耀は善持に甘えるように”子供”になっていく。
 
「善持さん、今日お湯入りに行っても良いですか?」
「いいぞ。何なら今から行って、早めに帰って来い」

 腹が空いただろ? 美味いものを食べさせてやるからな、と。善持も善持で”さえ”と同じような事を言うので、微笑んでしまう耀だった。

「俺も今日の仕事はやめだ! 飯を炊くぞ!」
「良いんですか?」
「いい、いい。ヨウが居なくて、やる事が無さすぎて、むしろここ数日は仕事をし過ぎちまったくらいだよ」

 つまらなくてな、と善持は言い捨てて、楽しげに井戸で手を洗いに動いていく。矢張り、この人は食事を作るのが一番好きなようである。耀は笠と籠を持ち、善持が楽に山菜を洗えるように、井戸の近くへ寄せて準備の手伝いをした。
 喉が渇いてないか? と耀の手も洗わせて、大人に近づく掌へ井戸の水を入れてやる。途中の清水よりも冷たい水を飲み、あ、こっちの方が美味しい、と思った耀だ。有り難う御座います、とお礼を言うと、いそいそと籠から山菜を取り出した。

「あ〜、いい、いい。俺がやる。ほら、早くお湯に浸かってこい」

 さえの家は埃臭くて、ごみがいっぱい付いただろう?
 心配事の行方の先が容赦無い雰囲気で、思わず吹き出し笑いをしてしまった耀だった。

「いや、流石にそこまででは……」
「遠慮すんな、此処には”さえ”は居ねぇ」
「いや、えぇ、まぁ、少しだけ吃驚しましたが」
「少しで済んだのかぁ? 今も昔も、ごみが天井まで積んであるのが”さえ”の家だ」
「ぶふっ」
「ほらな。やっぱりか。ヨウに隠さねぇんじゃ、さえもある意味、潔いじゃねぇか。そんな場所で一体、どうやって寝たんだ?」

 と。
 善持のストレートな問い掛けにも、笑ってしまった耀だった。
 腰の木刀を横に置き、山菜の土汚れなど、一緒になって洗いながら、さえの家でを話し出す。どうやって寝たのか、何を食べさせて貰ったか。善持はいちいち驚きながら笑える突っ込みを入れてきて、耀が返す言葉を聞いては逆に自分が笑い出す。
 町の雰囲気はどうだったかや、途中の集落の畑具合、熊に会ったりしなかったかと、そういう話も聞いてきた。頼まれ事の方は上手くいったか? と、それだけ聞いてきて、耀が「上手く行きました」と微笑みながら返すのを、そりゃあ良かったと呟いて一緒に笑ってくれた。
 そうして終始笑顔で過ごした二人である。一通り旅の話が終わると、やっと視線が木刀に向く。貰ったのか? 良かったな。確かにあったら便利だよな、と。善持が抱いた感想はそのくらいのものだけど、耀が「習う事になりました」とあっけらかんと語るのを、「へぇ!?」と気持ちよく驚いてくれた人である。

「それで、畠中様の方にも武術を習わせて貰える事になって……ひと月に一度程、寺を留守にしたいのですが……」
「あぁ、そのくらいなら構わねぇよ?」
「良いですか? 有り難う御座います。ついでに、その時に”さえ”さんの修行の方も、付けて貰って来ようかな、と」
「あぁ、それもその方が良いだろうな。辺鄙な集落だけど、変な奴が流れて来る事もあるかも知れねぇ。さえも女だからな。ヨウが行く方が安全だ」

 善持は軽く返して”良し”として、お前も男だからな、習わせて貰えるならば、そういうのは習っておいた方が良いだろう、と返してくれる。

「一番は戦わねぇで逃げる事だがよ、逃げるにも難しけりゃあ、振れた方が良いもんな」

 さらりと木刀を指して言うものだから、耀の方が”きょとん”としてしまう。

「いや、あんま大っきい声じゃ言えねぇけどよ。俺ぁ、逃げるが勝ちだと思ってる。でも、普通は皆の前じゃ、そういう事は言っちゃいけねぇだろう? 逃げたら腰抜けって言われ続けるし、村で除け者にされるかも知れねぇ。坊主だから除け者にされてもそんなに今とは変わらんけれど、いつ変なのが襲って来るかも分からんからな」

 少しは生き残れる力が付くんじゃあ、お前は習った方が良いと思うぞ、と。善持の考え方は”こう”らしい。その為にひと月のうち数日を留守にしたとしても、構わないと思ってくれるのだから有り難い事である。
 採ってきた山菜を洗い終えると、善持は「もう行って良いぞ」と耀を送り出してくれた。礼を言って部屋に戻り、師匠の袖を持っていく。随分、歩いたし、汗もかいたし、そろそろ着物を洗おうと思ったからだ。興味深そうに二人の手元を眺めていた瑞波を連れて、銀杏の木の所から裏山へ踏み入った。
 途中、山神の社へ向かう別れ道を進んで行って、社とされる塚のような場所を改めて調べた耀である。人霊の気配はおろか、神の気配もしないけど、此処が何かの契約の地であるのだろう事は分かる。
 瑞波にも一応、近くに人霊は居ないか? と。聞いてはみたものの、首を横に振られただけだった。彼も少しは人霊の気配が分かるけど、耀と同様、逃げられる側で、興味も湧かぬので、普段から関わらないそうである。耀の頼みとあらば探してやるくらいはするけれど、その気になって探ってみても気配が無いらしい。

『綺麗な山ですよ。本当に……綺麗過ぎるくらいです』

 耀には言わぬが、瑞波も少しは、”妙ですね”と考えた。これ程、綺麗な山ならば、素霊くらいは湧きそうなもの。そうで無いなら居心地の良さを求めて、神やら妖怪やらが居着いても良さそうなものだから。でも瑞波も思うのだ。これだけ綺麗な山だけど、自分はこの地に居着こうとは思わない、と。
 何故、居着こうと思わないのか。その先の理由について、興味の無い瑞波であるから考える事をしなかった。
 それが”答え”であるだなど、一片も思わぬ彼である。人霊が居ないと言われた耀は、もっと理由が分からない。そっか……と呟くと、ゆっくりと踵を返し、お湯に入りに行こうかと、気持ちを切り替えた。
 暫くぶりの温泉は、緑に囲まれ絶景だった。近くの木には藤が巻き、薄紫の花を垂らしてみえる。まだ昼を迎えたばかりの明るい時間帯でもあって、山を彩る沢山の”緑”を、眼福と眺めた耀だった。
 近くで鳥の囀りも聞こえる。いそいそと着物を脱ぐと、褌も取り去って水の方から湯に入り、下に沈んだ冷たい水と、上の温水を混ぜていく。落ち葉は冬より少ないが、拾って奥の方へやる。好みの温度の場所で肩まで浸かったら、どぶん、と頭まで潜り込み、短くなった髪を洗って、ざぱぁ、と立ち上がる。
 男らしいというか、子供らしいというか、である。
 見ていた瑞波は”くすり”と笑って、耀がお湯を堪能する様を見た。
 程よい所で着物と褌を、豪快に洗って木に干した耀である。

『何処かへ出かけていたのか?』

 と、聞いた声がしてそちらを向いた。
 目鼻のきりりとした美童子が、瑞波に向かって礼をする。

『あ、玖珠。そうなんだ。ちょっと遠くの町まで出てた』

 そっちは元気だった? 微笑む童子の側に、寄ってきた美童子だ。

お洒落な本を作るのが夢です* いただいたサポートは製作費に回させていただきます**