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君と異界の空に落つ2 第53話
『耀、瑞波様、夜分に失礼致します』
帰宅後、山のお湯入りに来ていた時である。
『海向こうの烏の神から、山神の話を聞いてきました』
渦を巻く海の向こうには、烏の神が住んでいるらしい。情報通だというその神に、山の神に関する話を聞いてきて貰えるよう、以前、耀が頼んでいたのである。
瑞波は未だ懐疑的だが、耀は”居る”と考えていた。本当!? 助かる! と返した彼は、懐疑的な瑞波を横に置き、共に話を聞いたのだ。
空は茜に染まる前。休憩時を過ぎた頃か。そろそろ牡鹿月だろうという、七月の末の事である。
『この辺に住む神々の間では、矢張り、そのような山神は聞いた事が無いという事でした』
八咫の烏が近隣を飛び、仕入れてくれた情報ではそうらしい。此処数百年、玖珠玻璃以外の神が居るという話は無い。
自信たっぷりに瑞波も語る。
『無いと思いますよ、気配がしません』
うーん……と唸った耀だった。
『例えばなんだけど……』
神々がおっしゃる事に異論は無いが、例え話だから聞いてよ、という体を取る。
『玖珠が生まれるずっと前に、此処へ来て隠れていたりしない?』
『隠れる……』
『隠れる……?』
お師匠様に少し聞いた、と。
『凪彦は昔、神々の編纂に反発しただろう?』
瑞波の方を向いて問えば、えぇ、そうです、と。
『同じように、反発した国津神達が居たよね?』
と。
『だけど、逃げた神も居たんじゃない?』
『はい?』
逃げた……と言われても、瑞波は凪彦周りしか知らない。その凪彦も天津神側からの使者をあの手この手で返していただけで、勝手に数に含まれたのを知るまでは、我関せずを貫いていただけの記憶である。
『逃げても見つかってしまいましたし……我々でもあの時代の事は……命を落とした神も多いので、そのような国津神……』
判然としない内容に、可能性はある、と耀は思った。瑞波は思い至らないようであるが、どうして凪彦程の国津神が、他に存在しないと思うのか。
『その時、見つからないように、其処に隠れたのかも知れないな』
『隠れた……いえ、山祇(やまつみ)ならば、自分の土地を荒らされて黙っている訳が無いでしょうし……他所に移るという事も……まして、隠れるなんて事……』
無い、らしい。
瑞波が知っている、神の感覚ならば。
その時、あ、という顔をした玖珠玻璃は、山祇の単語で思い出した事があるらしい。
『そういえば外(と)つ邦(くに)に、別嬪が居たという話を聞きました』
はい? と返した瑞波なれど、山祇の話です、と続くので、瑞波様はご存知ですか? という玖珠玻璃からの質問に、素直に『いいえ』と返すのを見た耀である。
『何でも、天司(あまつかさ)様という方が見惚れたそうで、連れ帰ろうとしたものの、と────』
その時、ぐぎゃっ、と潰れる声で、落ちてきた二羽の烏だった。
空の上で正面からぶつかってしまったらしく、二羽とも首をあらぬ方向に折っていた。
「うわ、吃驚した。事故かな。こんな事あるんだな」
耀は息が絶えているのを確認すると、近くの木の葉の下にそれらを埋めてやる。
黙って見ていた二柱である。
黙って、瑞波は祠を向いた。
祠を向いた瑞波を追って、玖珠玻璃もそちらを向いた。
背中を上る”冷たさ”は、久方ぶりの”畏れ”である。”そう”で無ければ良いのに……と。感じた瑞波を耀は知らない。
玖珠玻璃は『もう一度、聞いてくる』と言い置いて、何とも素っ気なく帰って行った。彼は彼なりに早急に確認したい事があったが、耀からすると来たばかりなのに帰ってしまう寂しさだ。
名残惜しくする耀に頷き、また来る、と玖珠玻璃は言う。その後、耀は気のせいか口数が減っている瑞波に気付き、何となく自分も黙って山を降りていったのだ。
待っていた善持の飯は、この日も豪勢だった。
互いに居ない間の事をあれこれ話し合い、徐々に暗くなっていく空を眺めた。善持は減った濁酒(どぶろく)を作り直したと耀に語って、飲みたくなったら飲んで良いぞ、と誘いをかけていたか。
寺は丘の上にあるので集落の端しか見えないが、そこには竈の火だろうか、まばらに散った家々から小さい光が漏れる。漏れた光がぽつぽつと、動かぬ蛍のように見えた。火の灯りしか無い時代の夜だ、闇は深くて星は大きい。夏の夜の匂いが漂い、草の陰から虫が鳴く。
虫が鳴く。鳴いている筈だ。
「あれ……? 虫は……?」
うん? と酔いが回った顔で耀に反応した善持だった。
同時に、集落の家々がさざめくような気配があって、「何だぁ?」と、おぼつかない足を奮い立たせた男である。集落を見下ろせる門の方へ近付くと、耀と共に人々が戸口に出てくる様子を眺めた。
「何かあったんですかね?」
善持は直ぐに答えない。
黙ったまま、ふっと後ろを向いたのだ。
つられて、耀も後ろを向いた。
「あれ……? 誰か居る……?」
山の中に灯りが見える。
ゆらゆらと立ち上る、赤い光は動かない。
「旅人が野宿でもしているのでしょうか?」
自分もそうだった。
山賊の手を逃れては、焚き火で体を温めて、きのこを焼いて食べながら此処まで流れてきた。
善持は首を横に振るような気配を滲ませて、喉の奥から搾り出すよう「山神だ……」と呟いた。
「やまがみ……? あぁ、山神」
え? と炎を凝視する。
言われてみればあの辺りには祠があると考えた。
考えたものの、嘘だろ? と、思うくらいには、その炎は現実を帯び、其処に灯っていたのである。
「人では無く?」
確認を取る。
「山神さんだ……俺ぁ、今から山を登ってくるからよ。悪りぃが、此処を片付けといてくれるか?」
と。
善持は丸っと酔いが覚めた顔をして、井戸の方で顔を洗って水を飲んだようである。急ぎ足になる人へ「善持さん!」と声を掛け、俺が代わりに行きますよ! と伝えた耀だった。
「駄目だ!」
と聞いた事のない怒声が返る。
「山神さんは子供が好きなんだ! 取られたら敵わねぇ……! お前は此処に居ろ!」
絶対に行かせぬ、と。
善持の強い意思を見て、黙った耀だ。
家の竈から火を持つと、善持は裏山を登り始めた。それが合図でもあるのだろう。坊主が確認に行く事で、動く火を見た人々は、さざめきながら家の中へ戻ったようだった。
善持に初めて怒鳴られた事もある。呆然としてしまった時間が少し長引き、瑞波に声を掛けられるまで、漫然と山を登る火の動きを見ていた耀だった。
あのような顔もするのだな、と養い親の背を思う。
その後、黙々と食事の片付けをした耀は、瑞波が苦々しい顔で立っていたのに気付かなかった。
瑞波も薄ら気が付いたのだ。
神代(かみよ)の時代。
自分や凪彦や、少しの同胞と同じように。
自分を曲げず、天津神の階級に取り込まれずに、隠れて生き永らえた山祇(やまつみ)が居る。
それも、自分に気配を悟らせない程の国津神────。
『耀、逃げませんか?』
口をついて出た言葉。
聞いた耀は『何で?』と返して、瑞波の言葉の意味を聞く。
守れないかも知れません、と、言えなかった瑞波である。未だ彼にも若い部分があって、信じたくない気持ちが強い。
凪彦程の力は無いが、瑞波とて、天津神の階級において”別格”の持ち主だ。祓えの三神、女神の三柱(みはしら)に劣らない、穢れなき白純の男神である。そんな自分が山祇に……いかに知恵のある山祇だとて、”負ける”のだろうか? という疑いが捨てきれない。結局、瑞波も程々に、男神、という訳である。愛する耀を守れずに、何が未来の伴侶か、と。
先の人間の話では、贄になるのは集落の子供達である。ただ、交渉したそうにしていた耀だから……選ばれた子供と共に、神に相対するつもりなのでは、と。
そうなると耀を守るのは自分の役目。妖怪なら負けぬだろうが、神ならどうだろう。守れるだろうか。守れない筈は無いのだが。
結局、貴方が嫌な思いをしたら嫌です、と、無難な事を返した瑞波である。だから耀も『平気だよ』と笑って返す。守れないかも知れないと思われている事を知らぬから。瑞波にもプライドがある事を知らぬから。
耀は片付けが済んだら寝る準備をし、善持が登った山を見上げて、待たずに眠りについた。きっと起きている方が不安になる人だろうから、と。一応、気を遣い、善持の心配を取り除く。習い事から帰った疲れもあるし、有り難く先に寝た。
翌日、目を覚ました耀は善持が戻った事を知る。それまで通りの風景である。朝飯の匂いが漂った。小用を済ませ、顔を洗って挨拶を済ませると、瑞波に祝詞を読んでやり、腹の穢れを祓って貰う。続けて鶏の世話、お堂の掃除、読経と熟(こな)したか。
善持の様子は暗いものだが、日々の仕事はやるらしい。それは集落の皆も同じで、ただならぬ空気を纏い、それでも黙して作業を熟す様子が見られたか。村の様子がそのようだから、栄次も人の目を気にしたのだろう。暫く山に入るなと善持に言われているから、来られても返すしか無かっただろうけど。それなりに耀は気にしたようで、いつも栄次が誘いに来る場所へ、何度か目を向けていた。
口数が減っていた善持は夕方、早い時間に、耀に飯を食わせると「部屋に篭っていろ」と伝えた。集落の男達がお堂に集まって、誰を神様にくれてやるか話し合いを持つらしい。
誰を神にくれてやるか────言い伝えの感覚だったものが、急に形を成して目の前に現れたようだった。
瑞波からしてみれば、口数が減っていたのは耀も同じ事。いつ”自分も行く”と言い出すか。難しい顔をしながら気をもんでいた時間である。
部屋に篭って筋トレをしながら書物を読んでいた耀の耳に、続々と集まってきた男達のさざめきが届く。お堂の雨戸を閉め切っているから、くぐもったような音になるが。熱も籠るし風も通らず話し合いには向かないだろうが、その”熱気”が理性を削いで、決定を早めてくれるのかも知れない。
篭ってから、どれ程、経ったか。
ボソボソと誰か一人が話し続けた気配があって、しん、としてから善持の声で怒号が響いた。
昨日、怒鳴られた時よりも激しい怒りの声だった。
耀はこれには”びくり”となって、思わずお堂に目を向けた。
何でそうなる!? お前らは、この寺をどうしたい!? 誰もやりたくないものをやってくれる子供だぞ!? どうして俺の息子をくれてやらねばならんのか!! と。
もうそれを聞いたなら、どうなったか、など筒抜けだ。
耀は素早く部屋を出た。
部屋を出てお堂の雨戸を開く。
「善持さん!」
と伝えた耀を、驚いた顔で見ていた男達。
「俺が行きます……! 元々は、そういうつもりで居たんです……!」
少し前、無言になった男達の惣領が、いち早く反応し、「そのつもりだったなら行かせろ」と。
「駄目だ!!」
「いえ、そうじゃないです。選ばれた子供と一緒に行くつもりだったんです。俺には神が視えるから。もう子供を取らないでくれと、交渉しに行くつもりだったんです」
「ヨウ!」
「いえ、聞いて下さい。皆さんにも知っておいて欲しいから。俺には人が見えないものが当たり前に視えるんです。情報が足りな過ぎるので上手くいくかは分かりませんが、何とか他の貢物に変えて貰えるよう頼んできます。だから、どちらかというと、貢物を変えられた時、協力して貰えるように此処でお願いしておきたい」
例えば”祭り”、或いは女神なら、”反物”や”収穫物”、”装飾品”。神にも色々あるけれど、それらで代替される事は多い。社を立派にしろと言われたら、出来るように大人の手を借りたいし、祀って欲しいと言われたら、神職として誰かを立てて欲しい。
「祝詞は俺が教えます。祀り方も伝えます。むしろ俺が一人で行く方が色々と都合が良い。なので俺が行きますから、その後の事を頼みたい。もし俺が帰って来られたら、それについて協力して欲しい」
頼みます、善持さん、と。
「俺が行きます。抵抗はしません。何なら逃げられないように手足を縛ってくれても良い」
『耀!?』
隣で叫んだ瑞波の事を、今だけ無視した耀だった。
「口だけ塞がないで貰えたら、交渉は出来ると思います。だから皆さんにお願いしたい。もし交渉が上手くいったら、そこから先は協力して欲しい事」
「馬鹿言うんじゃねぇ! んな事、言ったって、お前ぇ! 何が神様が見えるだ、えぇ!? 嘘をつくのも大概にしやがれ! どうせ逃げるつもりだろうが!」
「落ち着け、栄作。今から手足を縛ったら良いだろう。そもそもどうしてこんな子供が、俺達の目を掻い潜って、此処から逃げられると思うんだ?」
「行ってくれるなら行って貰ったらいいんじゃないか?」
「贄を変えるのが無理でも、これが行ってくれたなら、また数年は平穏だろう。ただそれだけの話じゃないか? お前んとこの栄次は助かるんだからよぅ」
「栄作」
「栄作……」
と。
荒れた栄作、つまり栄次の親父以外は、耀が伝えたい事を何となくでも感じ取ってくれたらしい。
だけど、耀はより具体的に、自分の力を信じて欲しかった。信じて貰えない状態で交渉を成功させたとしても、意味が無いというべきか、協力してくれる人達の心の持ちようが違うから。
だから挑むように言う。
「逃げられますよ」
と。
男達の視線がまた集まったのを確認し、挑発的に耀は言う。
「逃げられますけど、逃げないと言っているんです」
と。
よく見ればそれなりに顔の整った男(おのこ)であるのだ。そんな男児が挑戦的な視線を向けて大人に語る。
当然、大人達は不愉快な気分になるし、子供が何を言うのか、と、思い知らせたい気持ちになった。
「はぁ……?」
「お前ぇ……」
と、立ち上がろうとした男へ返す。
耀はそれらしい印を組んで、小声で『瑞波』と呟いた。
承知した瑞波は即座に仏像を飾る瓔珞(ようらく)を切った。
あの時と同じように。
違うのは怒りの度合いだろうか。
同じ”怒り”だが今の”怒り”は知らしめる為の冷静がある。
喧嘩を売った耀に対して、立ち上がろうとした男達。耀がそれらしい印を組むのを見ていたものだから、途端に背後で”もの”が落ちたのを、上手に結びつけられた。
がしゃんと響いた落下音には、皆が驚き振り向いて、視える事を知る善持も呆然、視えない世界へ想いを馳せる。
だから耀はもう一度、印象付ける為に呟いた。
「俺は逃げられますけれど、逃げずに交渉しに行くんです。無事に戻って来られたら、手伝ってくれますね────?」
黒髪の端正な童子が語る。強い強い瞳で語る。
誰も関わった事が無いから、怖い子供とは知らなんだ。
あな恐ろしや。
神が見える子供は、本当に神が見えるやも────。
空気に呑まれた大人達は、従わざるを得なかった。
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