君と異界の空に落つ2 第30話
「物音がするのです……誰も居ない筈の部屋の中から。誰も居ない場所から見られているような気配もします。書き物をしようとすると筆が折れたり、草履の鼻緒が外れたり……前の日に生けたばかりの花が枯れてしまっていたりして……折角、九坂(くさか)様とご縁を頂けそうなのに、このように呪われた家の女では、申し訳無いような気がしてしまい……」
「これまでならな、そのような事、全く気にせぬ私だが……否、私はそうであっても気にせぬのだが、桜媛(おうひめ)殿が気にされるので。先の狸の事があったので、もしや、おさえさんならどうにか出来るのではないか、と」
こうして参った次第よ、と。
ヨウ殿にも会いたかったし、視線をくれる武士(もののふ)だ。
耀は”会いたかった”と言われて少し嬉しいような気がして、照れるように小さく笑い、会釈した。それから「それが神様から呪われているという、えぇと、オウヒメ様が思われる理由とは?」と。話を見失わないように、質問を投げていく。
「はい。先に申し上げました通り、なにぶん古い家なので、祀っている神様が居るのですが、私の家系はずっとその神様に呪われているのだ、と。呪われているから祀って怒りを鎮めて頂いていて、私の身に起きる事は、呪い封じをしていても現れ出てしまうものであり、どうしようもないのだ、と」
父も母も女房も、九坂様が立派な家の方なので、其の呪いを持って嫁いではならない、と。ご迷惑を掛けてしまうといけないから、と、婚姻には消極的でして、私も「それならば……」と身を引こうとしたのですけれど。
聞いていた男の方は、阿呆な話、と言いたげで、ただ、好きな女が本心で悩んでいる事を、無碍に切り捨てられずにもいて、助けが欲しい顔をする。同じ男としての意見の方は、どうか安心させてやってくれ、気にせず嫁いできて貰えるように、其方からも言い含めてはくれないか? だが、耀は男の言いたい事が分かった上で、一つ一つ確認しようと考えた。
「物音に視線、物損に花枯れですか……どれも害意に欠けるというか、不吉な予感しかしませんね」
「あはははは! ヨウ、あんた、案外、言うねぇ!」
笑いのツボに入ったらしい”さえ”である。
「不吉な予感しかしないところが問題なんじゃないのか? え?」
「いえ、そうでしょうけど……そのくらいなら生きている人間にも出来そうですし……どれも”予感”でしかないですからね。実際に怪我をしたり、命に関わる事象が起きてはいないので……呪いとは、そんな”ささやかなもの”で済むのでしょうか? と思って」
「うん。うん。成る程ね。このお嬢さんの気の所為では、と?」
「気の所為とするには少々、頻発しているようなので……何かしら原因があるのだと思うのですが……」
一度さえとの会話を止めて、小指を確認した耀だった。
異界にはマリッジブルーという言葉も出ていたし、男の家を”立派な家”と評価した女性の事だ。不満というよりは不安があって、それが無意識に出てきているのかな? と。
「もしや貴女様は、嫁ぐにあたり、何か不安な事がありますか?」
「いいえ……! 九坂様はこのようにお優しい方ですし、町での評判も良く、先代様も、門弟様も揃って評判が良ろしいので、お声を掛けて頂いた折は年甲斐もなく、舞い上がった程で御座います」
女が言うのに合わせ、照れたらしい横の男だ。
より一層この女性(ひと)を大事にしようと思ったようで、目の輝きが良い方向に強くなって見えていた。
「では、実はご両親に、婚姻を反対されておられます?」
「いいえ、それも全く。我が家とは比べ物にならないくらい良い家に迎えられるので、むしろ申し訳無いくらいだと……」
「そうした”ふり”ではなくて?」
「え?」
「うん?」
はっと顔を上げた女と男に、不躾になるやも知れませんが、と。耀は前置きをして、居住まいを正して向いた。
「女房方も共に”身を引け”と、貴女様に匂わせるのでありますね?」
「えぇと……匂わせるといいますか……人並みの心配でして、何か私に非があって離縁されるのではないのかと……その、家の女房として雇っていても、彼女達の元は親類……従姉妹(いとこ)や再従姉妹(はとこ)にあたります。そちらは既に婚姻を済ませているので、やっかんでいる訳ではなくて、純粋に離縁された先の事、私を心配してくれているのです」
「呪われているからですか?」
「はい。目出たくない家なので……九坂様にその縁を運んでしまうのではと」
「家で祀られている神様は、何神様ですか?」
「え? 特に名前などは……」
すみません、と萎んだ女性へ、「いえいえ」と返した耀だ。
「私が学んだ所によると、家神は跡取り、つまり、男性に災いを齎す事が多いので。嫁いで行く女性に災禍を齎すのも、珍しいなと考えていたのです」
女性は「あぁ」と納得したようで。
「父も母もお互いに晩婚だったので、子供は一人、跡取りは私になります。だからでしょうか?」
でも、類縁は御座いますので、私が嫁いだ後は、どこからでも血縁を持って来られる状態にあります。其の時は私がその子に身につけた”芸”を教えれば良いだけで……つらつらと語る女性を真剣に見ていた三人だ。
「待って下さい、待って下さい、えぇと、貴女様のお家は特殊な武道を嗜んでいらっしゃる?」
「はい」
「それは子供のうちからですか?」
「はい。武術に必要な鍛錬から始めます。学問も少しずつ。大きくなれば星読みも少々。とはいえ、それで門弟を募っていく訳ではなくて、あくまで子孫に引き継いでいく為にする事です。言わば、お坊様のお勤めのようなもので御座います」
私も勉強は致しますけれど、自分の事や他人様の事、占った事も無いですし、どこまで先祖を遡っても、自分の家が持つ武芸や星読みで、表に出た事は御座いませんよ、と。
地味な家なので御座います、女性は楚々と笑うけど、聞いた三人の頭の中には暗雲が立ち込めた。
子供の耀が一番、そうした機微に疎い為、思った事をするりと口にする。
「それは貴女様の事を外に出したくは無いでしょうね。嫁に出すより婿取りが理想……都の貴族のように通い婚であればまだ……」
「こら」
「ヨウ殿……」
「あ。すみません」
「呆れたね。その辺の大人より詳しいじゃないか」
辟易したような”さえ”の前で、女ばかりが耀の言う事を理解しきれない顔をした。余程素晴らしい育て方をされたのだろう、謙虚過ぎて自分の価値を分からないでいる類型の人である。
だからこそ男の見る目があったのだろうけど、これは難しい話かも知れない、と、思った男と”さえ”だった。
事情を察してしまったらしいその二人、先に”さえ”と耀が語った「何も視えない」話を信じた。側で聞いていた男の方が耀の意見に賛成で、それは人でも出来る事、呪われている割には被害が少ない事を、頭の中では一番の理由に持ってきた。
狸に憑かれた時は、もっと具体的に霊障が起きたのだ。それなりに怖い思いをしていた男にしてみると、彼女の言う事はまだ”現実の話”である。嫌われたくないので黙っているが、女房あたりだろうか、彼女の親に言いつけられて不吉を作っているのだろうか、と。
彼女の両親には歓迎されたように感じていただけ、男には喉に詰まるものがある。だが、自分も家の跡取りとして厳しく育てられた分、相手の親の気持ちも分かるような気がしたのである。流れは違えど武を修める身、一子相伝の技もあるのだろうから。
「さてねぇ……どうしようかねぇ……」
悩んだ”さえ”である。
いつもなら自分の領分でないと分かった時点で、客を家から叩き出すような女である。過去から鑑みれば、弟子の前では随分と人が出来たように振る舞う”さえ”だ。それ程この男が上客なのかも知れないが、拝み屋という人間を忌み嫌いそうな武家である、乗り込むのも悪手に思えてお手上げという風だった。
何とかしてやりたいけどねぇ……と、ぼやいた”さえ”に、男もあれこれと考える。女が「あの……それで……私は呪われてはいないのですか?」と、か細い声で聞いてくるので、耀はもう一度「俺には視えません」と。さえも「あたしにも視えないよ」と適当に言い黙ってしまうので、隣の男も静かになって困惑した女だった。
「俺が行っても意味無いですよね?」
「え?」
「ほら、知り合いの……クサカ様に用事がある迷子を拾った、等と適当な事を言って。それで、家で休ませて貰った俺が、神様がこう言っているって騒いでみたりして。子供の言う事ですから信じるも信じないもですけれど、神様が”お似合い”だって言っていますよと言われたら、信心深い方々なら考え直してくれるかも」
ひとりでごちた童子を見ると、そんなに上手くいくかねぇ? と怪訝そうにした”さえ”だけど、男の方を見遣れば縋りたいようだったので、行くだけ行かせてみるか? と考え直したようだった。
「やってみるかい? それなら善持に狸の文(ふみ)でも書いて貰おう。見られても狸の事だから、誰も損はしないだろうし」
「無事にあの世へ行った、程度の内容が良いですね。余計な事は書かず、律儀に報告した感じを装って」
「…………」
「…………」
「ヨウ殿は……」
「はい?」
「ヨウ殿は恐ろしい子供だな……」
「知恵が回るのは良い事だろうさ。それじゃ、あたしは早速、善持に文でも頼んでくるか」
あんたらも、もう視る事はないから、今日の所は帰りな、と。さえは二人に言い放ち、そそくさと善持が居るだろう家の方に歩いて行った。
耀は二人に、お水をもう一杯どうですか? と、勧めると、帰りの道の長さを思い出したらしい二人である。有り難く頂こう、と返事を貰った耀は、二人の為に井戸へ水を取りに行った。
その間、ちらちらと寺の門の外より、見慣れぬ顔の女と男がこちらを窺っている事を知る。それぞれ二人の付き人だろうか、そちらにも水が要るかどうかを聞きに行った耀だった。
付き人はそれぞれ、水筒があるから大丈夫だと返した。ではその水筒を水で満たしてきましょうか? と、進言すると男の方だけ「これは助かる」と申し出た。
帰りに先にそちらに寄って水筒を渡し、後ほどクサカ様の屋敷へ文を届けさせて頂きます、と、どちらに言っても通じるように頭を下げて伝えた耀だ。思った通り、男の方が「気をつけて参られよ」と、返してきたので「気をつけます」と。これで女性があの方の女房だと知れた上、そちらにも旗を立てられた、と満足した彼だった。
お堂に戻ると男と女に一杯の水を差し出して、「さえさんがお二人に協力的なのは、お二人が結ばれる運命だと分かっているからですよ」と。
「うん? それは一体……」
「視える者には視えるのです。ですのでどうぞ、お互いに、信じ合って下さいね」
どちらも相手にとって不足はないのです、良い相性をお持ちなのですよ、とトドメをさした耀である。
ぽっと、女の方が頬を桜色に染め、男も「うむ」と気持ちを新たに、この女性(ひと)を絶対に娶ろう、と心に決めたようだった。草履を履く所から仲睦まじい様子であるので、自分が何を言わずとも、結局、そのような運命の二人なのだろうな、と。
お辞儀をされたのでお辞儀を返し、出てきた善持がこの間のように昼飯を持たせたようだ。門の所でもう一度お辞儀をすると、坂を降りて行ったらしいその人達である。
耀はお堂の空気を入れ替えるようにして、気になった場所の掃除をして過ごす。瑞波がそっと近付いてきて、今日は穏やかそうでしたね、と。
『うん。多分、思い込みだったんだろうけど、人為的なものがありそうな気配だったよ。あ、そうだ。近いうちに俺、あの人達の住んでいる村か町に、用事で行く事になると思う。もし”さえ”さんと一緒なら、瑞波も大変かも知れないから……』
その時は留守番をしていても良いからね? と。
途端、付いて行きます! と強く返した瑞波だった。
『え? そう? 別に安全だと思うけど』
『そういう問題ではありません。貴方と離れるのは嫌で御座います』
『さえさんが居ても平気?』
『それくらい我慢します』
『我慢……』
『出来ます。それくらい』
少し、笑い出しそうになった耀だけど、瑞波の声が真剣なので笑わないようにした。我慢しなければならないくらいに、さえの事が怖いのに、と。それでも付いて来てくれると言うのであるから、有り難い事だ、とも微笑んだ。
数日後かな? と呑気に考えていた耀である。
果たして、さえの号令は、翌日、だった。