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君と異界の空に落つ2 第52話

 その時、辺りに響いた栄次の「俺の勝ちー!!」で、人の子らの勝負がついた事を知る。話を区切るのに丁度良く、玖珠玻璃は、ほっとしたような気持ちになった。

「いや、それは無いだろ。俺の方が多いだろ」
「違うね。俺が獲った方が全体的にでかいだろ? だから一匹で二匹分な。そうすると二匹分、俺の勝ちだから俺の勝ち」
「えぇ。何だその屁理屈は……」
「屁理屈じゃねぇ。俺の勝ち」

 違うだろ、と思った耀だが、いつもの事なので話を流す。別に負けても悔しくないし、栄次が悔しそうだから。
 一番の湧き水で喉を潤し休憩をして、昼にはまだ早いから、さてどうしようと辺りを見回した。

「栄次、次、何で遊ぶ?」
「そうだなー。じゃあ、こっちの山を探検しようぜ! 俺、あんまこっちの山は歩き回った事、無ぇんだよ」
「分かった。探検な。玖珠、どっちの方から回ったら良い?」

 次は自分も一緒に遊ぶのか、と悟った彼は、人の子が遊べそうな場所……と、記憶を巡らした。

『虫が多い所が良いか?』
「蝉か! 兜でも良いぞ! 捕まえて戦わせよう!」
「そうするか。蟹は此処に置いて行っても良いか? 玖珠」
『構わぬ。逃げぬように蓋をしておけ』

 山の斜面から大きな葉をそれぞれ取ると、枝に掛かった烏瓜を千切って巻いた。程よく清水が湧き出る沢に底を付け、盗る者も居ないから置いていく。
 玖珠玻璃は二人の準備が整ったのを見計らうと、こっちだ、と先を歩いて二人を誘(いざな)った。
 それにしても此の山、涼しいな、と。喜ぶ栄次には「そうだな」と返す。

「杉の木が多いから?」
「何だそれ」
「高い木が多いと、陽が遠くなる気がするだろう」

 栄次はもう一度「何だそれ」と素っ気ないが、聞いていた瑞波は笑ってくれたようである。

『体毛だそうですよ』

 ふと、視線だけで会話する。

『素戔嗚尊の体毛が杉になったと、書いている者が居りました』

 ほんの数秒待ってから、「ぶはっ」と吹いてしまった耀だ。

「何だ?」
「何でもない」
「変な奴。そんで、クスはいつなら遊べんの?」

 新しい”友達”に興味津々な栄次を任せ、耀は体毛の話の続きを瑞波に聞いていく。

『流石に素戔嗚様の体毛は、杉ほど太くは無いでしょうけど。杉は木々の中でもとりわけ高く、太く、真っ直ぐ伸びますね。香りも良いし、成長も早い。冬も枯れない。建材としても使い易い』

 これは人目線になりますでしょうが、そもそも杉とは霊木であるのです。
 霊木? と思っていそうな耀の後ろ姿へと、瑞波は『貴方の勘は当たっていますよ』、まるで褒めるように言う。

『杉とは霊木。神々が降りてくる場所です。そして此の山は水が多い。玖珠玻璃が居るからです。言わば、玖珠玻璃の神力で成長しているも同然ですから、此の山の杉達は玖珠玻璃の望むまま……まぁ、彼の好みの通り”涼しい土地”を造る為、此処に顕現している訳ですね』

 だから、杉が多いから、は、当たりですよ、と耀に言う。
 玖珠玻璃は栄次の相手をしながらも、そうなのか、と聞いていた。沢蟹と同様に、意識した事など無い相手だから。降りてくる、と言われても降りてくる所を見た事は無いし……此の場合”降りてくる神”は俺なのだろうか? と。そうした詮無い事も考えた。
 栄次から見た玖珠玻璃の落ち着き様は、耀と似て異なるもの。栄次は別の意味で落ち着いている玖珠玻璃を弄りたかった。どうせお前も兄貴と同じ、真面目一辺倒な奴なんだろう? と。どうにかしてボロを引き出したいし、同じ”程度”で付き合いたい。
 蝿のように騒がしく、玖珠玻璃の横をうろちょろと。玖珠玻璃は意に介さないけど、栄次との落差が面白く、耀はそんな二人を追いかけ、成程なぁ、と木々を見た。
 栄次は落ちている枝を拾って、下草を払いながら先へ進む。寺の裏山の方は勝手知ったるものだけど、知らぬ場所ならそれなりに注意して進むらしい。後ろの瑞波のおかげで獣にも虫にも無縁だが、気付いていない栄次であるし教えるつもりもない耀である。
 連れてきて貰った櫟(くぬぎ)の樹群は見事なものだった。虚(うろ)がある木が多く、樹液も豊富なようである。誰も来た事が無いからだろうが黒々とした兜に鍬形に、栄次は目を輝かせ一切を忘れた顔をした。
 当然、蝉は鳴き止むが、近付かなければ止ったままだ。耀は四方の枝を見上げて、色々居るな、と考えた。勝負は兜虫で決めるので、自分も大きなものを探す。玖珠玻璃も分からぬなりに二人の様子を眺めたようで、一本角の大きなものを捕まえれば良いのだな、と。そのうち「決めたー!」と栄次が叫んできたので、互いのものを持ち寄って戦いを始める男児達だった。
 勝負は白熱した。どの個体も大きいからだ。相手が強そうだからと逃げ出すものが居なかった。まずは栄次と耀が戦い、勝った方が玖珠玻璃と戦った。玖珠玻璃が選んだ兜は強い。栄次も耀も敵わない。
 どういう事だよ、ずりぃよ、と。栄次は”ぼやく”が、挑むのを辞めない。そいつが強すぎる、と言っては虫を変えさせて、なのに負けない玖珠玻璃に地団駄を踏むのである。
 きっと玖珠玻璃の山の生き物だ。彼の神気が移るのだろう。親方様の為ならば! と角を振り上げる虫を見て、可愛いなぁ、と和んで見ていた耀である。対する栄次は最終的に、やめだやめ! くっっそ暑ちぃ! 水遊びに行こうぜ! と勝負を放棄した。
 水遊び……と言われて滝壺が浮かんだが、深みに嵌ったら危ないだろうか、幼い竜神は考える。気遣うなんて感覚は持ち合わせていないけど、自分の友の友であるので、見てやらねばならぬか、と。
 二人はまた玖珠玻璃に連れられて、細い滝が落ちる滝壺へやってきた。耀は以前に見せて貰った場所である。昼に近付き、日向と日陰が丁度良く出来ていて、滝壺から舞う飛沫が涼しく、清涼感に満ちていた。
 此処でも先の事など忘れて飛び込んだ栄次である。着物と草履を河原に捨てて、ばしゃりと行った。
 後ろで耀が『蛭とか居ない?』と念の為に聞いていたが、瑞波も玖珠玻璃も『居ない』と言うので着物を畳んで水に入った。濡れた褌をして帰りたくないので、栄次のように素っ裸。様子を見た玖珠玻璃も、同じように水に入った。
 瑞波だけは河原の木陰でゆっくりとする。男児達は次第にはしゃぎ、楽しそうな声をあげた。一番煩いのは栄次だが、耀もそれなり、玖珠玻璃も聞いた事の無い声を出す。驚かされた時の声だが、少し見もののような気がした。威厳のある竜神の、気さくな部分を見た気がしたのだ。
 まだまだ子供なのですね、と、可愛らしいものを見る目に変わる。自分を手に入れたいと思わなければ良いのである。初めのような色目さえ向けられ無ければ、瑞波は玖珠玻璃に優しく出来る。優しく出来るから、可愛らしいと感じられるのだ。瑞波は神は嫌いだが、凪彦も場合によっては嫌いだが、その凪彦の次くらいには玖珠玻璃に向ける視線が柔らかく、何も知らない玖珠玻璃だけが恩恵を受けている状態だ。
 日陰に静かに咲く花を、耀は視界の隅に捉えた。機嫌は良いらしい。遊び相手が増えた事で、栄次の気が散ったからだろう。耀は随分傷付けられたし、理不尽は無くならないけれど、栄次を見捨てる気分にならない理由はちゃんとある。
 先の虫獲り然り、今の水遊びもそうである。
 栄次は獲った虫を殺さぬし、河原で石を投げてくる事も無い。遊び始めた最初の頃に強く注意した事もあろうが、そこで学んだようであり繰り返す事はしなかった。足の付かない水場での遊びは初めてになるけれど、日頃の躾の成果だろうか、耀を沈める事も無い。
 と、いうよりも、この日、怖い思いをしたのは栄次の方だったかも知れない。昼飯には早い時間に「腹が減った」と”ぼやいた”彼だ。耀が日陰に置いていた握り飯の方を見て、くれと言うので二つともあげたのだ。流石、次男坊であり、甘え上手は初めから。耀はその辺の草でも良いし、頬を大きく張りながら、がむしゃらに食べる栄次を見たら、何だか可愛く思えて、くれてやりたくなったのだ。
 玖珠玻璃はその間、滝壺の中から頭を出した、岩の上に座って見えた。遊ぶだけ遊んだ後だから”やれやれ”という顔をしていたが、栄次はそんな玖珠玻璃を羨ましく思ったようだ。「美味かった!」と叫んだら、耀が静止する間も与えずに、走り出して滝壺に飛び込んでしまうのだ。
 待て! と叫んだ耀だった。食後は溺れ易いのでは無かったか。そうでは無かったとしても、そんなに急いだら危ないだろう。玖珠玻璃の居る岩に向かって泳いだ栄次は、不意に横っ腹が”つった”らしい。
 一応「痛ぇ!」と叫んでから沈んでいった。僅かに、コントかよ、と思ってしまった耀だった。勿論、直ぐ様、飛び込んだけど、真水で歪む目の先で、息を止めながら沈み行く栄次を、掬い上げる玖珠玻璃を見た。
 腹は痛いが水面を目指して手足を動かす栄次の事を、ぐるぐると簀巻きのように巻き上げた玖珠玻璃だ。驚いて「むがぁっ!?」と肺の空気を出してしまうが、さて、水の中に揺蕩った竜神の御姿を、目にする事が出来たのかどうなのか。
 河原に上がって背中を叩かれ、一度で戻ってきた栄次である。飲み込んだ水を吐き出して、耀と玖珠玻璃を見上げて呆(ほう)けた。耀は此処でも玖珠玻璃の力を見た気がしたのだ。吐き出したものが水だけなのは、そうであるとしか思えない。
 これで懲りたか。少しは大人しくなるのだろうか。耀と玖珠玻璃の想いは届かず栄次は”けろり”として見えて、助かった! と礼を言ったら、それで終わり、という風だった。苦笑した耀と玖珠玻璃だけど、しおらしい栄次を見るのは調子が狂う。まぁこれで良いかという事にして、昼頃解散した皆である。
 午後、栄次は来なかった。きっと兄に捕まったのだろう。明日から暫く居ないぞと伝えた後なので、来ないと思ったが善持にも伝えておく耀だ。集落の中を歩き抜ける事で栄次が見て居なくても、どこぞの子供から”みつ”の耳に入るのは間違い無いのだけれども。
 翌日、久しぶりに”さえ”の家を訪ねれば、臍を曲げた人がそこに居た。耀は気付かないふりをして、それまで通り彼女に接する。さえの可愛い所は、臍を曲げても攻撃して来ない所。内側に籠る性格らしく、構ってやりたくなるような、いじらしさが滲み出る。きっと善持さん程、付き合いが長くなったなら、明け透けな言い方をされるだろうが、と耀は思うがそれはそれ。小指の縁が繋がったままの二人であるので、露骨な言葉を使いながらも親密度は遥かに高い。自分が思うよりずっと、分かり合っている二人であるから。余計な事は口にせず、体に悪いですよと言って、いつの間にか荒れ果てた家の中を片付けた。
 拝み屋の仕事をこなしつつ、段々と綺麗になる家を見る。耀に世話を焼かれた”さえ”は気持ちが落ち着いたようであり、飯屋の爺に会う頃にはすっかり元気になっていた。
 翌日は畠中の家へ気持ちよく送り出してくれた人だ。次はそちらの家の世話になり、またずれてしまった受け身を習う。次第に正しい位置になる受け身の型は、間違い無く耀の身を守ってくれるものである。梁籖(りょうせん)も久しぶりの訪れを喜んでくれたようであり、あれやこれやともてなしてくれた印象だ。女房達は見ない間に”ぐん”と男らしくなった耀を見て、裏で楽しくはしゃいでいたが、見ていたのは瑞波だけ。
 夜は卜占(ぼくせん)のいろはを習い、この後、九坂の家にも習いに行こうと思うと言えば、そういえば、という体で教えてくれた。

「耀殿のおかげでな、縁談が纏まった。十の月を待っていたのでは他所に取られるという話だったので、末広がりの八の月、縁起を担ぐ形を取って、内々に執り行う事にした」

 異界のこの時代、文化としては”妻問い”で、場所によっては露顕(とこあらわし)という婚姻の原型を持っていたとされていた。鎌倉、室町時代頃から父権が強くなり、嫁取りを行うようになったという。
 耀は”武家”という言葉を思い、偶々、武家同士、嫁取りの流れなのかな、と。どうしたって男の方が力が強いから、強い者を家長と据え置く家においては、そうなのかも知れないと思って言祝ぎをする。
 別に、役所に届け出などが必要では無かった時代の事だ。地方では男女が気ままに婚姻をして、夫婦の形を取って過ごしただけの事。あれをやらねば、これをやらねば、等という決まりは無くて、互いに良ければそれで良い時代だっただけである。
 九坂家と畠中家は”それで良い”と纏まって、夏の暑い時期に祝言をあげるらしい。

「時に耀殿。その時期は都合が付くであろうか?」

 と。
 どちらかというと、耀の頭は、習い事を休みにしても良いか? という、伺いの方じゃないのか? と思ったが。

「これも縁と思うて、祝詞をな。両家の為にあげて欲しいのだ」
「え。わ、私がですか……?」
「他から神職を連れてくるのも面倒である。此処は一つ。どうか耀殿に」
「ですが、まだ子供ですよ? 皆様、納得されないのでは?」

 むん? と黙った梁籖は、どうやら此の男(おのこ)、自分の姿が見えていないようだな、と。

「良いのだ。歳は十分である。場が和んで良かろうと思うてな」

 言われてみればそれは確かに、である。神職の真似事をするには不足としか思えない。だが、場を和ませるのが目的ならば、適役だとしか思えない。
 梁籖は心から”十分”だと思っているが、そのように誘った方が耀が請け負ってくれると考えた。思惑通り、少し悩むが、「それでしたら、はい」と微笑して、どうぞよろしくお願いします、と、耀は役目を請け負った。
 梁籖は感謝して、迎えをやるから、と。それなら耀も寺で待っているだけで良く、畠中の家で奏上している祝詞を覚えるだけで済む。
 九坂の爺様には、畠中の家で習ったように、素振りを百ずつこなすうち、ずれてしまった体の動きを、正しい位置に戻して貰って次を習った耀である。基本的な筋力を身につける日々の修練は、次に守りの型を刻むらしい。
 どちらも身を守れてこそ、攻撃に転じる道を為す。受けの型は大切で、爺様は子供の耀においても、十分大人の力を去なす姿勢を教えてくれた。
 再び礼を言い、道場を後にした彼である。打ち込みは栄次か玖珠玻璃に頼むとしよう。そう考えて足取り軽く、さえの家からも家路を急ぐ。
 また暫くは栄次と共に遊ぶ事になるだろうから。

 単純に考えていた。
 夏の暑い道を行く。
 後ろの瑞波が涼しげなのが、涼を得る手段であるように。
 耀の穏やかな日常は、少しの嵐に見舞われる。


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ちかい
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