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君と異界の空に落つ2 第32話

 寺を降り、集落を抜ける時、再び微妙な空気を感じた耀だった。玖珠玻璃の山へ向かった時のような、何処となく閉塞的で優しくない空気のそれだ。
 素知らぬ顔で畑仕事をする人や、ちらちらと見てくるものの、目が合いそうになると逃げる人、好奇心のある子供、それを叱る大人の姿。構える訳ではないけれど、変な緊張感があり、妙な気を遣うように耀は”さえ”に続いていく。
 気にしなければ良いのだし、それほど気にはならないが、あちらで構えられると少しは構えてしまう。これが”人は鏡”ってやつか、と、被り慣れない笠に触れ、こちらもまた緊張した風の瑞波の気配を読んで進む。
 あと少しで抜けるという時、さえに声を掛けてきた村人だ。

「あんたぁ、そりゃあ善持んとこの坊主だろうが?」

 と。
 さえもこれには気付いたようで「二、三日借りてくよ!」と。

「借りる、ってぇ?」
「何だい!? 文句でもあるのかい!? 子供の手が必要なんだよ! ちゃんと返す約束さ!」

 畑の中程に居る人とであるから、近くで聞いている耀には怒鳴り声。
 村人は「へぇ?」と訝しむ声を上げただけで、ぴたりと止まった女達の手も元通りになっていく。
 集落を抜けると、玖珠玻璃の山へ通じる道に出た。そこから山道ではなくて、川へ向かって逸れていく。川幅が一番狭い場所まで歩いたら、丸太を三本ばかり掛けた橋を伝ってその先へ。此処から先は初めてだ、と辺りを見渡す耀を見て「全く、この集落は息苦しくていけないね」と、さえも漸く声を出した。

「息苦しいですか?」
「何処も似たようなもんだけど、此処は特に息が詰まる」

 へぇ、と、此処しか知らない耀が零せば、子供を生贄なんかに出すからいけないんだよ、と。

「あぁ……それ、善持さんからも聞いたのですが、山の神様に生贄を出す? 習慣があるそうですね?」

 うん、と頷くものの、辺りをきょろきょろやりながら、小声に落とした”さえ”が”近くに寄れ”と指示を出す。それに従い、並んで歩けば、大きな声じゃ言えないけどね、と。

「おかげで暗い。結束も強い。余所もんに対して疑いも強い。豊かな土地を持っているくせに、ぎすぎすした雰囲気さ。どうせ生贄をやるんなら、神さんのように祀ってやれば良いのに。まぁ、そこが”人”なんだろうね。悪くはなりきれない人の良さがあるから、あぁいう風に捻くれていくんだろう」

 他所も他所なりに感じの悪い人間は多いけど、その集落、集落で、独特なもんだね、と。

「さえさんはあの山で子供の霊を視たりします?」
「視ないね。だから何だかんだで、山神に大事にされているんだと思ってる」
「山神……」
「何だい? あんた。神が視えるのに疑っているのかい?」

 視えるとは伝えていない筈だが、さえの中ではそういう事になっているらしい。別に嘘ではないのでそのままで良いかと思ったが、俺にもよく分からないんですよね……と、呟いた。

「ヨウに分からないんじゃ、あたしはもっと分からんね」

 さえはそれで良いようで、この話は流れていく。
 耀は”さえ”の話を聞いて自然と考察に入っていくので、そのまま景色に溶け込むように無言で歩いた二人である。
 神が視えない”さえ”は、山の”もの”が分からない。分からないけど、子供の霊は居ないと言う。
 生贄は子供であるので、居るなら子供の筈だけど、人霊の視えない自分はまだしも、本職の”さえ”も視ないと言うのなら……納得して”渡っている”? 山神に大事にされるとはどういう事? と。分からない事が多い耀は、妖怪が持っていくのかな? と。
 一番嫌だけど、一番筋が通った話で、玖珠玻璃も数年に一度気配がすると語っていたし……うぅん……と悩んだ耀である。山が豊かな事と、生贄は別なんじゃないのかな? と。思ったところでその慣習を止められる権限などもなく、まだ神様でいてくれた方が、交渉の余地がありそうなのに、とも。
 穢れに塗れた”もの”が神である可能性は低い上、通りすがりの妖怪ならば、もっと厄介そうだよな、と。妖怪……妖怪か……風雅(ふうが)……と思い出した彼だった。
 そうか。大人になって、自分の身を守れるようになったなら、彼等を訪ねても良い訳だ。お師匠様と亮凱様を訪ねた後に、都へ寄っても良いのか、と。瑞波が居るから、いざとなったら山の中へ逃げれば良いが、これから訪ねていくクサカ様の門弟に、自分も入れて貰えれば良いのでは。
 はた、と足が止まりそうになるものの、思いつきは明るいものである。そのまま歩を進め、駄目元でお願いしてみよう、と。目元も明るくなった耀だった。
 林のような、浅い木の峠を越えて、別の水流が見えてきたなら隣の集落だった。どん詰まりにある自分達の集落とは違い、そこは集落へ入る道と、別の方に伸びていく道がある。さえは別の方に伸びる道を行き、付いて行く耀はその集落を遠目に見遣る。幾人かは人が通るのに気付いたようだけど、どこも畑仕事をしている長閑(のどか)な風景だ。
 一刻三十分、一時を二時間として、自分の居る集落から隣の集落まで掛かる時間は、五刻から一時半、それだけの距離らしい。中々に遠い……と思うがそこから”さえ”の家までも、同じくらいの距離があり、一日仕事という風だ。途中の清水で昼食をとり、夕方にはまだ早い時間に、ちょっとした町へ到着出来た二人であった。
 時代劇で見ただろうか。江戸の町より疎(まば)らだが、家々が集まっている町である。善持の家は近代的なのだろう、それより簡素な掘っ立て小屋が多く見えた。地方では竪穴住居が主流の時代であるので、基礎を用いない掘っ立てだろうが、小屋形態を持っているだけ”都会”である。この辺りの時代から家の中の空間が、土間と床座に分かれていくが、さえの家もそうだった。
 拝み屋という職業である、耀はぼんやり頭の中で、町外れにでも住んでいると考えていた節がある。けれど、意外にも彼女の家は町の中心に近い場所にあり、あえて言うなら裏通り、人の往来が少ない方の、辻の近くにあったのだ。
 さえが家の戸を開けて、耀を中へ招き入れ、雨具やら何やらを物陰に隠させると、軽くなった体で近くの井戸まで案内し、共用らしいその井戸の使い方を伝授する。声と音を聞いて顔を出した家々の面々へ「しばらく預かる子供だから、顔を覚えておいとくれ」と、さえは簡潔に述べていき、彼等も頷いたようである。
 耀はいちいち頭を下げたが、よろしく等とは返らなかった。さえも別段気にした様子も無くて、そうか、これが拝み屋と町人との距離感か、と。新しい事を覚えるように吸収していった。
 家へ戻った”さえ”は戸を開けて、明るいうちに耀の寝場所を確保してくれようとしたようだ。土間にも床座にも物が溢れかえって見えて、さえはその隙間で寝起きをしているらしい。そこへ耀の隙間を作ろうとしてくれるのだけど、片付け方が積み上げる一択なので、耀は苦笑しながら、地震が来たらアウトだな、と。むしろ隙間で生きられるだろうか、前向きな妄想を広げていく。

「さえさん、無理なら外で寝るので」
「大丈夫、思ったよりも簡単そうだ」

 全く大丈夫そうでない上に、思ったよりも酷いのだけど、さえの中ではそうなのだから、笑うしかない耀である。

「じゃあ、この辺の雑巾を借りていっても良いですか? 濡らしてきます」

 床を拭くのは手伝います、と。
 さえは振り向かず「そうしてくれると助かる」と言い、言われた耀は井戸の方へ戻るのだ。使った水を流してやる堀のある方向で、井戸から汲んだ水を掛け、布の塊を絞って戻る。耀が家へ帰る頃には一人分の床が見えていて、おぉぉ、やるなぁ”さえ”さん、と感心をした耀である。掘り起こされた荷物は上じゃ足りずに土間に降ろされ、怪しげな札や、箱に入った人形諸々、呪いはやらないって言っていたのにな、と、何気無く考えた耀だった。
 その声を聞いたようにして「全部、預かり物だよ」と。

「まぁ、もう魂抜(たまぬ)きは済んでいるから、只のガラクタだけれどね」

 と。

「たまぬき……?」
「そう。思念抜きさね。物は只の入れ物だから、魂抜きが済んだら無害なもんさ」
「では、捨てたら良いのでは?」
「逆に魂込めをすればお守りに出来たりするし、勿体無いだろう? 捨てるのは忍びないさね」

 あ、これは汚部屋の住人の思考回路そのものだ、と。異界の知識を浮かべた耀は、また一人で苦笑する。
 空いた場所の雑巾掛けをして、眠る床を確保すると、随分嫌そうな顔をして中を見ていた瑞波が”ぱん!”と、手を叩いて虫の類を消してくれたようである。彼の方を”ちら”と見て、ありがとう、と口を動かし、感謝を示した耀だった。
 瑞波が視えない”さえ”は、虫祓いにも気付かなかったらしい。一人でやり切った感を出し、ハクタクでも食べに行くか、と。
 人々が往来する、大きな道に店はあった。旅人の為に、弁当や食事を出す家だ。町人もちらほらと食べに来るようであり、さえと軒先に入る前にも、客が吸い込まれる姿を見ていた。
 このくらいの町になると、銭の回りもあるようだ。近くの集落からの野菜売りもあるようで、道の端で商売をする人々の姿も見える。食事処のある通りには、旅に必要なものも売られているようで、そういうものが売れるのかという勉強にもなる訳だ。
 食事所の店主は、軒先に入ってきた”さえ”の姿を認めると、付いてきた耀の姿を見遣り「お前ぇこんな大きい坊主を、どっから拾ってきた?」と。驚いたというよりは呆れたような物言いで、冷たいというよりも愛着がある絡みに見えた。だから”さえ”の物言いも冷たいというよりは、互いに理解しきった馴れ合いのそれである。
 煩いね、と一発目に発した彼女であるが、預かりもんだよ、と素っ気なく語った後は、美味いもんを食べさせてやってくれ、と素っ気ないまま続けたようで、店主の方も満更でもなく「おう、任せろ」と返すのだ。
 出された丼は汁物で、平たいものが浮かんで見えた。餺飥(はくたく)とはうどんの原型らしく、小麦粉を練って切ったものだという。味噌味で野菜と平たい小麦粉の塊が、温かい汁の中に揺蕩っていた。場所によっては”ほうとう”と言い、小麦粉を練ったものを幅のある平麺に仕上げる。この店のものは原型と言われなければ分からない、ぶつ切りにされた小麦粉の塊だ。それでも料理人が作る飯、耀は十分に感動し、汁まで飲み干して「美味しかったです」と微笑んだ。
 善持の飯も美味しいが、これはこれでまた別の美味しさがあったのだ。

「坊主……何で”さえ”なんかに世話になってんだ?」
「失礼な爺だね。知り合いの男から借りてきたんだよ」
「借りてきたぁ? あぁ、ついに、ごみ屋敷を片付けなさるんか」
「本当に失礼な爺だね。あたしの家はごみ屋敷ってほどじゃない」

 いや、十分にごみ屋敷……憐れむ視線を向けた男を見遣り、笑ってしまいそうになった耀だった。さえはそんな二人を引き離すように、お代だよ、と銭を置き、さっさと体を返してしまう。ぺこりと頭を下げた耀の後ろ姿を見送って、店主は次の客の注文を聞いていく。
 さえは道すがら後ろの耀に、余り愛想を振り撒くんじゃないよ、と、愛のある釘を刺したようだ。それは町の歩き方、拝み屋としての歩き方かと、真面目な耀は考えた。
 町の便所は共用で、あられもない姿で用を足す女達に驚かされつつも、此処に住む人達がどういう風に暮らしていくのか、知見が広がった耀だった。強いて言うなら”さえ”の家に無理矢理作られた、寝床で寝ている時に物が落ちてこないかを、心配する方が大変だった、くらいだろうか。
 翌朝も同じ店で朝食を取った二人だ。さえは”握り飯”も注文し、耀が背負う籠の中へそれを放り込んでいく。目的の場所まで繋がる道端で、次の町への道順を”さえ”は簡単に説明し、耀の着物の合わせに銭の袋を押し込んだ。

「返さなくていい。飯はこれを使いな」
「良いんですか?」
「お遣いに行くんだから、遠慮なんてするんじゃないよ」

 それからこれ、と渡されたクサカ様への手紙である。

「畠中(はたなか)様のお屋敷は、町の入り口から見て右の方にあるからね。対して、九坂(くさか)様のお屋敷は、左の奥さ」

 あんたならやれると思うけど、上手にやるんだよ。
 両手を袖口に差し込み、見送る”さえ”に視線を向けて、耀は仕事をする為にその町を後にした。さえは次の客の為に、家で仕事をするそうだ。帰りも遠慮なく寄りな、と言われているのでそうする予定だ。
 自分達の集落よりも田畑が広がる景色の中を、耀は瑞波と共に歩き始めた。

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ちかい
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