君と異界の空に落つ2 第19話
『え……ど、どうして……?』
どうやって此処へ来た、と。耀が人並みに動揺するのを、静かに見遣った童子である。それから『矢張り、分かるのですね』と探るような顔をされ、だから好いているのですか? と瑞波の方に問いかける。
耀は瑞波に柿を分け、銀杏(いちょう)の下で胡座をかいていた。瑞波も近くに鎮座して、夜の逢瀬の最中だ。途端に黙った瑞波であるので、邪魔されたからなのかな、と。何も言わずにじっと見る、未来の伴侶を見た耀だ。
幼い竜神、童子も”じっ”と瑞波の事を見続ける。二人きりで話をするより、単に黙っているだけだ。それが耀には理解出来、微妙な距離感、と。
そこまで恐ろしい神じゃ無し、理性の無い神じゃ無し。声くらい掛けてやれば良いのに……それは耀の軽率だろうか。
そのうち”つん”と澄ました顔でそっぽを向いてしまった伴侶(ひと)だ。貴方と話す事はありません、と、保身も合わせて袖を引く。右手で左腕を押さえていたので彼に”去ね”と言うよりは、何か不安があるのだと察した耀だった。
丁度、相手も困ったようで自分の方を向いてきたから、神と神の仲を執り持つ意味で、どのような用件でしょう? と。幼い竜神、男児はそれで『話せるとは驚いた』と。瑞波が心を開かない為、耀と話す事にしたようだ。
『客人、どちらから?』
『都の近くから』
『この方とは長いのか?』
『短いですが、永くなる予定です』
耀の返事を聞いてから、ふむ、と動いた竜神だ。自然と二人の間に座り、瑞波と距離を詰めようとした。どうしても顔がそちらを向くので、興味があるのが窺える。
耀は”あぁ”と分かったようで、瑞波が嫌がる理由に勘付いた。
すっと立つと瑞波を下がらせ、竜神の前に来る。
『ご容赦下さい。此れは私の連れです』
『……人が神を娶ると言うか』
『未だ修行中の身ゆえ、神々には劣るでしょうが、いずれ瑞(しるし)を頂けたらと考えておりますよ』
それに、と耀は大きく出る。
どうも目の前の御仁は言葉を鼻で笑う調子で、人に揶揄われているというか、信じてはいなさそうだったから。
『それに、此れは私に心底惚れていますので、貴方様の付け入る隙など御座いません』
と。
竜神の目の前で、人の子は”にこり”と笑う。
本気を口にしたので、腹から力も出たようだ。
じわりと滲む神の気配だ。瑞波が持つはずの太刀からも、怖い気配が出たようだった。
『お前……』
端正な童子は呟く。
何か言われてしまう前、加えて、と畳み掛けた耀である。
『此れは見目麗しい神ですが、男でありますよ。貴方様に男神を抱く気概はありますか?』
にこりと笑うより、強い視線で問うた耀だ。
む、としていた竜神は、はた、と動きを止めた後、うん? と目を凝らすようにして耀の奥の瑞波を見遣る。
瑞波は耀に庇われてから、どきどきと胸を押さえていたが、心底惚れているという言葉に真っ赤になった。その通りだが、その通りだが、他神(たにん)に言わなくても良いではないですか、と。心底惚れているけれど、そこまで断言しなくとも、と。
つまりは耀の”自信”である。彼は瑞波が自分の事を、本気で好きだと言っているのを信じてくれている訳である。す、好き、ですけども……と、胸が一杯になった瑞波は、信じてくれている耀の背中に、抱きついてしまいたい気分になっていた。
庇ってくれたのも”そう”だけど、信じていてくれた事。そして相手の誤解を正し、俺は抱けるよ、と滲ませた事。この際、数多の神がしたように、自分を”御し易い女神”と間違えた事、許してやろうという気になったというより、全て忘れて流してやれる境地である。
一筋縄ではいかない性格。竜神は頑固な者が多いのだ。それだけ個が強いから、半端な脅しでは怯まない。だから瑞波も腹を括って全力でいったけど、姿を見せてきた時に”失敗した”事を悟って、あまつさえ秋波の類を視線に乗せてきた事に、忌々しさを感じて過ごした昼だった。
水は火を克するのである。カグツチ様やホムスヒ様の炎じゃあるまいし。人が焚いた小さな火種を”嫌だ”などと口にする、水神などその辺に居るものか。
瑞波が耀の後ろで有頂天になる間、耀の言葉を噛み砕き、受け取った竜神だ。男神……と小さく口が動くので、誤解していた事が見て取れる。
『そう……ですか。これは失礼な事を考えました。一目見て、美しいヒメがいらっしゃった……と。そうですか……貴方様は男神でしたか』
お怒りになるのも尤もで御座いましょう。大変失礼を……と男児は頭を下げた。
『分かって下されば良いのです』
『!』
実際の瑞波の声音が低い事を聞き取って、それでも驚きに目を見開いた幼子(おさなご)だ。ほ、本当に男神だ……と、思った顔を浮かべて見えて、そうなると気になるのは二人の関係か。
まてまて、目の前の男(お)の子は男神を”連れ”と言ったのか、と。再認識するように、確認するように、少し心が”ひやり”とした竜神だった。
『惚れられたのか……?』
今度は恐る恐ると、耀の方に問いかける。
きょとんとした顔の人の子は、いえ、と”さも当然”に。
『惚れたのです。一途で純真……これ以上の伴侶は無いのでは、と』
お、おう……と引いた童子は、ヒメの如く美麗だが、と。瑞波を見遣り、耀を見遣って、うぅん……と腕を組んだ様。
『いけませぬか?』
『え? い、いや……』
『渡しませぬよ?』
『う、うむ。それはもう良いのだ。悪かった、とだけ言わせて欲しい』
釘を刺すなら今だろうと思った耀が、刷り込むように彼に言う。対する神は”分かったから”と、話を終えたそうにした。男神と分かれば用は無い、という潔さ。これもまた竜神が”強い”と思われる場所である。生まれたてだろうと関係無い。彼らは初めからそういうものとして、生まれてくるからである。
しかし、折角出会った神だ。自分達の意思を受け取れる人の子にも興味があった。だから続ける話の種を、探して頭を捻るのだ。
『人の子、名は何と申す? 私は玖珠玻璃(くすはり)だ。玖珠でも玻璃でも好きなように呼べ』
『耀(よう)と申します、くすはり様。字を頂ければ御身を正しく奏上する事が出来ますが』
『分かった。これで読めるか?』
と、落ちていた銀杏の枝で、神は自分の名を綴る。
耀は目の前に書かれた文字を読み、何とも美しい御名(みな)ですね、と。途端に黙った玖珠玻璃だ。
『丸く美しく透明に輝く宝玉や石の事ですね……あの清水そのものです。飲んでみれば良かった、今度伺ったら頂きます。では、少し長いので玖珠様と呼ばせて頂きます』
『…………』
『どうされました? 何か失礼でも口にしてしまいましたか?』
『いや……』
瑞波には感じる波動、そのものの感情が、耀を気に入った気配に見えて、警戒するまでもなかったが。凛とした目力の強い竜神の興味の先が、自分ではなくそちらへと移った事も理解した。気難しい類の神に、気に入られるのは才能だろう。瑞波は耀の事を、良い男でしょう? と自慢したい気分だったが、取られては嫌なので黙っている事にする。
若くても此れは竜神。強く成り上がる神である。千代も生きれば、その覇気は、濁流を齎す程になる。
『ヨウの字はどのように書く?』
『光に宿曜(しゅくよう)の曜の右。こうで御座います』
さらさらと。
覚えた、と呟いた玖珠玻璃と耀の間に、瑞波には及ばぬまでも”縁”が通じる。即ち水の神との縁。水がある場所ならば、繋がり易くなる縁である。
満足したらしい玖珠玻璃は”すくっ”と立ち上がり、また来る、と言いおいて水路へ足を浸した。
『良ければそのうち、貴方の名前もお聞きしたい』
帰る前に零した少年だ。
恐らく、それは最大限の遠慮であって、彼の性分からすると、大分下手に出た気配。一度、怒らせてしまったし、大変失礼を言ったし、と。視線が遠慮がちに”ちら”としか向かなかったから、気長に付き合おうと考えたようだった。
瑞波はそこまできつい性格ではなかったし、今はもう頼りになる耀が居る。力の部分はまだまだ頼りないけれど、それは自分が担えば良い場所だ。少しの事で揺らいでしまう心だが、耀が側に居るのなら強くなれる、というように。
ふわっと柔らかく変化した瑞波の気配。先に波長を感じ取った玖珠玻璃は、息を呑むように優しい微笑に縫い付けられた。
『瑞波(みずは)と申します。どうぞよしなに』
淡く輝く白い着物に、柔らかく揃えられた細い指。
どきりとした玖珠玻璃は、慌てて頭を下げた。
それから、自身の領分に繋がる水路を辿り、次は失礼の無いように、と心を入れ替える。
瑞波は美しい男神である。男神であるのが勿体無い程だ。自分には届かぬだろうけど、愛でたいと思うくらいには、雰囲気も何もかもが魅力的な神である。言われなければ気付かない────、自然と思った玖珠玻璃は、さて、勘が鈍いのか、鋭いか。
こうして二人に初めての、友神が出来たのだ。