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君と異界の空に落つ2 第69話
翌日は朝早く集落の中を通り抜けた。そこまで呆けた男じゃないから、女児との会話を厭うてだ。嫌っている訳ではないが、面倒だと思う気持ちがあった。悪いとは思いつつ、自分には不要なものだから。
後ろの瑞波は人の子ならば、女児だろうと優しいようだ。優しいというよりは、興味が無いのかも知れない。栄次のように耀に害成す事が無ければ、只黙って成り行きを見守る”つもり”があるらしい。
耀がその身に受け入れた、子供達の事もある。瑞波がいちいち睨んでいては、軽くなるものも成らぬから。彼もまた未来の伴侶と付き合うようになり、少しずつ人の世へ、人同士の関係へ、理解を示し始めた段階だろう。全く成り立ちが異なる存在へ、思い遣りのようなものを見せ始めた段階だ。それは過去、瑞波が受けた人からの”想い”に通じるものだ。理解出来なかったものが、分かっていく兆しに近い。
瑞波は仏の道の事は知らぬけど、昔に奉納された、袈裟(けさ)を羽織る事がある。何を思ってか人間が、見えぬ瑞波に祈った”対価”だ。まさか彼を天の並びと感じたのかは知れないが、幸運にもその人間は、瑞波の目に適ったらしい。特に何を思うでもなく、単純な”気まぐれ”なれど、瑞波は願いを聞いてやり、その”礼”として袈裟を貰った。
別に何も……と思っていても、素直に礼を受け取るあたり、瑞波は心の何処かを動かされた訳だけど、それに特別な思い入れがある訳も無く、そういえば、くらいの感覚だった。
今なら少しは”有難い”と思うのかも知れない。それは耀が僧の役目を担う時、お揃いになれる、ような気がするからだ。未来の伴侶を待ち続けた瑞波にしてみれば、たかが身に羽織るものだとしても十分甘く、嬉しい気持ちになれるものである。時と場合で着飾れて、それに気付いて貰えるならば、瑞波の中の女心がそれなりに満たされる。
耀は口で言う時と言わない時があるけれど、その日によって飾りを変える瑞波に気付いているようで、何処か満足そうな顔で見上げる姿を捉えると、瑞波は褒められたような気がして嬉しく思うのだ。
久しぶりに出かけると聞いた瑞波は、朝から桔梗を頭に飾った。夏の暑い時期は涼やかさを求めてそれにする。桔梗の花はくっきりとした線形で、色も鮮やかな青紫で冴えるから。気付いた耀が瑞波を見上げ、”にこり”としたのもあったから。前の日の小さな苛々は、消えてしまったのかも知れない。
耀は誰にでも優しいが、特別に接するのは瑞波だけ。それが分かっているだけで、小さな事など気にならない。耀が自分にだけ見せてくる柔らかい笑顔を知ると、その他の殆どがどうでも良いものに変わるのだ。女児を相手にする時も、女性を相手にする時も、耀の態度は自分に向けるものより固いから。僅かだが圧倒的に違うものに気付いたら、瑞波は人の子が耀に向ける大抵の”誘い”を目にしても、苛々を向けずに済む自分の心を知るのである。
自己への理解が他者への理解に通じていくのである。彼は耀と関わる事で沢山の気持ちを貰い、気付きを得ながら”理解する事”を知っていく。玖珠玻璃ほど若くは無いが、若い彼の事である。気付きを得て順応し、神の威を増す過程において、それらの循環は素早く起こる。耀が”らしい”、”ようだ”などと彼を観察するうちに、全く違う、異なる次元へ、到達している事もある。互いに互いを刺激しながら共に成長する様は、耀をこの国と縁繋ぎにした大神が見ていても、実に気持ちの良いもので微笑ましいものである。自分に通じる祝詞を練習する声を聞く度に、つい”観て”しまうのは老婆心か。
おや、そんな所に咎根(とがね)が居たのか、と。思っても言わずに居るのは好意から。自分も天津神には思う所があるからで、言わずに居る方が面白いと感じてしまうものもある。鴨脚(かもあし)も可愛いものだ。稚児は須く愛おしい。竜神も幼いうちはあのように愛らしいものなのだな、と、誰かの幼い頃を思って口元が緩むのもあった。機嫌の良い大神に奥方は気付いたろうか。澄み渡る幽冥界の御社で、この国の神の行く末を、微笑みながら見守る神があるのを誰も知らない時である。
耀も守られている事を、知らずに過ごす日常だ。初めて丈弥を伴って村を出る。薄暗い中、仕事を始める集落の人はほぼ居ない。まだ寝起きの段階で、目を擦っている頃だろう。そこを敢えて選んだ耀はそそくさと道を通り抜け、玖珠玻璃の山から降りてくる水へ、出かけてくる、と触れて行く。
何度目かになる山道の、夏の模様を眺めつつ。木々の枝葉や下草が、自分に迫る様子を見遣る。春より道が狭くなり、圧迫される気配を感じた。皆、大きくなろうと懸命だ。
山菜も夏の姿を取って、見違えるように生い茂る。山椒の膨らむ実を見ると、鰻を思い出した耀である。蒲焼なんてあろうか、と、楽しい思いを馳せながら。善持に言えば作ってくれるか。それとも自分で頑張るべきか、と。
初夏から何度か歩いたが、歩く度、自分の成長を感じるようだ。かく汗も少なくなった。体も大分、引き締まる。重いものは持たないが、腕立てや懸垂のおかげだろう。強くなる足腰に負けない位には、腕の方にも筋がある。
穢れは増したが体力も同時に増している。辛いというより気怠い位で済む事が、耀にとったら自信に繋がるものだから。逸る気持ちで九坂の家へ技を習いに行きたいものを、良識を持って止められるのは、こうした自信のおかげである。
そもそも畠中の家からは、仕事を貰った身でもある。高名な大神を祝す祝詞を覚えねば。一つずつ積み上げるのが大事だったりするものだ。地道に積み上げたものは崩れにくい。そうして、空音と”遊んで貰った”自分の体の未熟さを、なるべく焦らないように作り上げていけるよう、改めて日々を大切に過ごそうと思った耀である。涼しい顔をして見えるので内心は漏れないが、見た目の華に反するように内側は真面目そのものだ。
それでも後ろの先輩の真面目さには敵わぬが、と、好きに歩いてくるようで、あちこち気を向けている、丈弥(じょうや)の歩みを感じつつ、さえを思った耀だった。さえさんには丈弥が見えるだろうか。少し、楽しみな気もするな、と。
そのうち見えてくる隣の集落だ。時期は自分の集落と同じ頃。田植えや畑が整って、草を毟る段階だ。こちらはあちらの集落よりも川が多いが一つが細い。二、三本はあるようだけど、水路としては弱く見えた。水はどちらから来るのだろうと辿ってみても、玖珠玻璃の山とは違う場所。友神を贔屓目に見るではないけれど、田畑に流れる水の力が弱いな……と、感じてしまった耀だった。
その集落を越えると林道に入り、山のような丘に差し掛かる。二度目の給水所、清水が流れる場所がある。早く”さえ”の家に着いてしまいたいと思った耀は、喉を潤すだけで先へ進んだ。峠を下り始めると、見晴らしの良い景色が広がっている。遠くには滑らかな稜線が。目下には夥しい数の田畑が見える。歪な市松模様のように敷き詰められた田畑を見ると、人が大地に描いたものを”尊い”と思えるような。土地の勾配をそのままに、整地も未だな営みを、貴重なものとして目に納めた耀だった。
異界のこの頃は、検地はされていただろうかと。口分田としたのは”もっと前”だと考えた。戦国の世は未だ来ない。今は貴族の文化が花開いている頃だろう。地方はまだまだ未開の地。乞食も素寒貧(すかんぴん)もざらに居る。山賊に人買いに、聖職者の形(なり)をした、詐欺師や追い剥ぎも沢山だ。情念が人を鬼にする時代の事である。衣食の足りない日々においては、礼節など夢の夢。今、関係を持っている人々のように、良い人間に恵まれる方が稀なのだ。
峠を下(お)りながら、耀は色々考えた。今は未だ子供であるから、相手も油断してくれる。侮ってくる奴も居るけれど、子供に対する侮りだから。大人になってからの方が大変だ。瑞波を置いて死なぬよう、気をつけて生きなければならない、と。
そんな事を考えていた所為だろうか。おい、耀、あいつ気を付けろ、と。町の入り口に居る、項垂れた老人を示される。
『刺されそう?』
『刺しはしないが……』
そもそも金属が貴重な時代だ。良い着物を着ていても、老いさらばえた人間が、懐に隠し持っているとは考え難い。
『嫌な気配がするだけなんだがな……』
得心した瑞波が聞いて、成る程、と。
丈弥の声に説明を入れてやる。
『祟られているようですからね。それが丈弥には嫌な気配と映るのでしょう』
『祟られている……あぁ、これが……』
お? と思った耀の記憶が正しいならば、瑞波が初めて丈弥の名を呼んだ時。眷属との距離感をはかりかねていると感じていたから、大丈夫そうだなと安堵する。
『祟りはうつらなかったよな?』
自然と参加して、耀は瑞波と丈弥へと確認を取っていく。
瑞波は『ものに寄ります』と言い、因果を辿れれば良いですが、と。
『それがどのような経緯だったのか因果を辿れれば、影響を受けてしまうものなのか仔細が分かるのですけれど。穢れなら祓ってしまえますが、祟りとなりますと、私にもどうにも出来かねます』
相手が”神”ならば尚の事。
遠回しに”無理”と示した瑞波を見ると、耀は逆に興味が湧いてきた。
『因果を辿るというのは、縁を辿っていくのと同じ?』
『そうですね。え? 耀、まさか……』
『やってみる』
『やめた方が……』
僅かに動揺を見せた瑞波を後ろに置いて、耀は”縁……縁を視る……狸の時と一緒だ……”と。頭の中で念じながら、項垂れた老人へ意識を向けた。
”赤い糸”なら小指に出るのだろう。空音は自分の頭の上を観ただろうか。縁を辿る練習だと思えば良いのだ。辿り方は色々だろう。この際、小指の”縁”でも良い。男に繋がる”何か”が視たい。
町の入り口を前にして、歩きながら耀はそちらを向いた。
瑞波は仕事で穢れを祓った時に、余りに強い因縁の時、それに関わる何かが頭を過ぎる事がある。多分、あれが”縁観(えんみ)”に繋がる力なのだと思うけど、そもそも穢れたものが嫌いな瑞波には、わざわざ縁を辿ってまで”汚れを観る”のは理解し難いものだ。彼には縁を辿る行為が、相手の汚濁を見るという、自分が苦手とするような、忌避的な行為に等しく思える。素質はあるのに開花しないのは、無意識にそう感じているからで、それが瑞波と大神達との違いと言える場所なのだろう。
徹底的に穢れを嫌う祓えの神は、それらが”何”から発生するか、感覚で知っているからだ。何故わざわざ自分から厄介事へ首を突っ込むのか、と。伴侶である故、口にはしないが、少し呆れて耀を見た。
そういう優しい部分は尊敬するけれど……祟られるのは祟られるだけの”悪さ”をした所為であり、庇ってやったり、仲裁をしてやったりするのは違うのでは……と。同じように口にはしないが、考えていた彼である。
耀の眷属はどうやら瑞波と同じ考えを持つようで、呆れた顔を向けた気配で瑞波は”それ”を感じ取る。心の中で”ですよね”と自然と同意して、丈弥を見ている自分を知ると、ふと力が抜けてきた。
気を張っていた、と感じた瑞波は、途端に恥を知っていく。相手は伴侶の眷属である。自分に仇成す筈が無い。考え方も同じとなると、本当に”自分の味方”のようだ。それだけ耀の眷属は自分の為に選び抜かれているのだ。耀が”選んだ”眷属は、瑞波を守る為のものでもある。
瑞波様、と自然と呼ばれ、身を固くしていたけれど。
瑞波は耀が縁観をする中、丈弥へと信を傾けた。僅かであるが、確かな変化だ、こうして少し丸くなる。若い神々に侮られぬよう、気を張ってきたけれど。耀の事を”無駄に優しい”と思っている彼こそが、本来持ち得る優しさを、外に見せ始める契機となった。
知らぬ所で瑞波の心が丸くなった事を知らず、真剣だった耀は”ぽつり”と、男へ言葉を零したようだ。
通り過ぎる瞬間に、言葉を落としたようである。
さして興味の無かった丈弥と瑞波は聞き逃す。
男は驚いて顔を上げた。上げながら耀を振り返ったが、力を失いつつあった体と心である。振り返った頃にはそこに、それらしい人が居なかった。誰が教えてくれたのか、見失った状態だった。
耀は瑞波と丈弥へと『良い練習になったかも』と。前向きな事だけ言ってその話題を終わらせていた。
さえの家は、あっという間に荷物で散らかった状態だった。
「さえさん……この短い時間に随分と散らかしましたね?」
と。
「ふん」
と悪態をつきつつも、目に見えて嬉しそうな顔をした彼女である。
「お元気そうで何よりです」
「あんたもね」
「俺、視えるようになったみたいです」
「へぇ、そうかい」
単刀直入に、淡々と笑顔を向けた耀を流して。
一拍より、二、三拍後に。
「────へぁっ!?」
と、飛び上がる、二人目の”お師匠様”なのである。
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