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君と異界の空に落つ2 第71話

 はっきり言って、さえの”頭の中”は、”それ以上どうしろと言うんだい?”。
 生まれてこの方、人と和を、取り持った記憶など、ついぞ無い。
 仲良くするに越したは無いが、拝み屋と仲良く出来る人間なぞは、この世に居ない……居ても”同業”かと考えていた。
 同業と思ってみても、明日には商売敵かも知れない。さえは呪いはやらないが、それを解いてやった先、一人か二人か三人くらいは”痛い目”を見たのだろうと思う。相手が割り切れる人間ならば、自分のように恨みは抱かないだろうけど、悲しいというよりも、馬鹿馬鹿しいに近い気持ちで、出来た拝み屋なんぞというのに出会った事が無いのである。
 陰の道を行く者だ。孤独に泥沼に浸かる者。理法を知ったと驕りつつ、因果に呑まれる痴(し)れ者だ。生まれる度に魂魄を擦り切らせ、それでも昏き道から抜け出せない。何度も痛い目を見るのだろう。地獄に生まれて地獄を作る。陰の者には陰の者なりの悟りがあるが、悟れる程に生き存(ながら)える存在など一握り。そも、孤独に進む道なので、他と仲良くしようと思う心など、端から無いのでは……と思うのだ。
 さえが見てきた才ある者のうち、弟子が一番”出来ている”。人として正しい事、道を知っている風で、今は強力な”守護さん”にも守られて、だろうな、と思う程である。この子は守られるべき者で、さえとて助力をしたくなる。善持は真(まこと)に良い拾い物をした。生きているうちに道理を知る者に、出会えただけでも儲けもの。やれ金の為に呪ってやる、上手くいかぬのなら祟ってやると、同業が抱えているような、仄暗い人の念。同業のみならず、その辺の人も抱えているものだ。鬱陶しいと思いこそ、付き合いたいと思えるような、人間に会った事が無いから、弟子は光のようである。
 多分、さえがいずれは体現したいものなのだ。自分が行う仕事というのは碌なものじゃ無いのは分かっている。分かっているが足を洗うには他の才能が無さ過ぎたのだ。それならせめて分かる範囲で誰かの助けになりたいと、周りに心を砕くうち、これが仕事になってしまった。
 自分がしてきた仕事に悔いは持たぬが、全てが全て救いになったかと問われれば自信が無い。自信というのも変な話であるので、相手の為になったか、と言い換える。耀が関わった九坂の旦那が抱えたような問題は、それなりに為になったのだろうと考える。他にも思い浮かぶものはある。少しは為になったのだろう。
 ただ、中には、急誂えの屋根にしかならないだろうと思う事があった。目先の期限を長らえる為、貰った分だけ繕った。力が足りず解決出来ない仕事が偶に来る。それで良いから、それでも良いから、と依頼主は頼って来るが。あたしじゃ此処までしか出来ないよ、と、正直に説明しながらも、其処までしかしてやれない自分を、悔しく思う部分があった。
 弟子はそうじゃないらしい。さえが出来るより、思うより、ずっと凄い事をしておきながら、これで良いのか、良かったのか、と不出来な師匠を頼るのだ。それ以上どうしろと言うんだい? 呆れた声しか浮かんで来ない。
 生贄を取る山神の、脅威を取り払ってやるだけで、何十枚もの銭の受け取りが発生してもおかしくない。神の強さにも依るけれど、銭じゃ割に合わないものもある。さえの感覚からしてみれば、神様が相手なら、銭を貰うじゃ割に合わないものだらけという印象だ。触れたく無いもの。触れてはいけないものなのだ。話し合える弟子が異質で、とんだ才能を持つ者だ。教えられる事などあるのだろうか? そんな気分にもなってくる。才を持つなら困らぬように手解きをしてやろうと思っていたが……あたしの手解きはいるのかね? と、呆れも浮いてくる。
 さえが考える解決策、解決後の手助けに至るまで、其処までしてやり、してやるつもりが耀の中にあるのなら、あたしに聞く事なんてあるのかね? と逆に問うてやりたい程だ。これで良かったのか? と聞いてくる、何故か自信の無い弟子へ、半眼向けるじゃないけれど、近い顔を浮かべてしまった”お師匠様”だった。

「あんたが考えている事で十分過ぎると思うけどね」
「そうですか? この時代の感覚にそぐわない部分は無いですか?」

 恐らく、耀は何も考えず”さえ”にそう問うたのだ。
 さえも常人の感覚とは違う。だから素で流してしまった違和感だ。

「強いて言うなら、其処までしてやる義理も何も無いだろう、くらいかね。やりすぎだとは思うけど、まぁ、良いんじゃないかい? とは思う。あんた、あそこの集落に骨を埋めるつもりでいるんだろう? なら、そのくらい恩を売っとけば、生活しやすいだろうしね」

 さえは素のまま茶を飲んで、久しぶりに飲むと美味いね、と思った顔をした。

「やりすぎでしたか?」

 耀は少し心配そうだ。

「其処までやってやる拝み屋なんか居ないってだけの話だよ」

 そもそも神が視え、話が出来る人間が、この世に居るかというと、そうそう居ないから。驚く事が多過ぎてそのまま聞いてしまったが、そうか、ヨウは”聞こえるのか”と得心した顔だ。聞こえて、話せて、祀れて、供養も出来る。

「あれ? あんたそういえば、経が読めて、祝詞も読める?」
「はい。普通のものですが。あ、でも今は九坂様と畠中様の婚儀の為に、畠中様の家の祝詞を覚えているところです」
「はぁ。そりゃ頑張るねぇ。うぅん……弟子の方が立派そうだ」
「そんな事はないですよ。さえさんに教えて欲しい事は沢山あります。こういう事を相談出来る人だって、あんまり居ないですからね。見捨てて欲しく無いですね。ずっと面倒を見て欲しいくらいです」
「あんた……言うねぇ」

 呆れた顔を浮かべつつ、頼られたら素直に嬉しい”さえ”だ。うん、どおれ、と、重い腰を持ち上げる。

「あたしも手伝うよ」
「あぁ、それは助かります」
「それで、暗くなる前に爺の所に飯を食いに行こう。これだけ強い守護さんならば、安心して彼処に連れて行ける」

 あそこ? と思った耀に対して、さえは「うん」と爽やかな顔だ。

「あたしが修行をする霊場へ、あんたを連れて行ってあげるよ」

 と。
 それ程、遠くない、山の谷間にあるらしい。

「色々居るし、丁度良い。他の人霊も視えるのか、試しに行ってみようじゃないか」

 不謹慎とは思ったが、よく考えたら未だ盆の時期である。この町の様子を見るに、盆の行事は無いようだけど。あの世とこの世が近付く時期だ、耀が気掛かりに感じている、他の人霊、を視るには、多分に都合の良い時期だった。

「あんた、前に言ってたね? 霊(あっち)の方が逃げる、って」
「はい」
「だから視えない話だったね?」
「そう思っていましたが」

 うん、と頷く”さえ”は隣で、丈弥を顎で指して言う。

「守護さん、えぇと、ジョウ……」
「や」
「そうだった。ジョウヤ、だ、ジョウヤ。ジョウヤに頼もうか」
「え?」
「結界を張ってやってくれ。ヨウの気配が漏れないように」

 出来るかい? と問われた視線に、丈弥は『あ』という顔をした。
 彼も彼なりに瑞波を見たので、耀が人霊を視ないで済んだ理由というものを、瞬間的に察したらしかった。

「ヨウは経文を理解していて、祝詞にも通じている。神の声まで聞こえるのなら、そうしたものをあちら側が察しているんじゃないかと思うんだ。だからジョウヤに頼んで、ヨウの気配を隠して貰う」

 結界は何もあちらさんを押さえつける為だけに使われる訳じゃない。妖怪や悪鬼悪霊共から子を隠す時にも使うんだ。同じように耀自身を隠す為に使ったら、いつもは逃げてしまう人霊に、そのまま会えるだろうよ、と。
 早い頃から浄提寺で庇護されてきた丈弥には、その発想が無かったようで驚いた様子である。耀も言われたら”そりゃそうだよな”と、思える事だが至らなかった。机上で学んだ筈なのに。現役で働く人には敵わないのだと、自分の頭の固さを思い、笑いが込み上げてくるようだった。

「思いつかなかったです。さえさん凄い」
『しかも俺の修行にもなる。是非連れて行って下さい』

 耀へと目配せをした丈弥の顔も、興奮気味で嬉し気だ。
 さえは二人の反応を見て何か言いかけた様子だったが、余計な言葉を飲んだ顔で、黙って頷いた。自分に子は無いけれど、何となく”可愛い”と思った顔だ。子の面倒は見られないけれど、このくらいの年頃ならば、相手をするのに苦労は無い。

「じゃあ、飯を食って、暗くなる前に出発だ」

 さえが積み上げた箱の中身を、早々に裏で燃やしてしまう。
 古い箱も一緒に燃やす。黴(かび)が生えたものは容赦無く。
 札も何も無い箱だけど、さえの力の残滓(ざんし)を感じる。
 箱というのはそれだけで封印の力があるらしい。安くないだろうに、さえは、それを何処かから手に入れて、因縁の宿ったものをしまって、重ねる癖があるようだ。
 枯れ草で出来た人形のようなもの。木の枝に着物の切れ端が巻き付けられたもの。人毛に、何かの札に、子供のおもちゃ、器や、簪、憑形(つきかた)も。
 憑形は”さえ”が使う形代(かたしろ)のようなものであり、客から力尽くで引き剥がした”良くないもの”を入れ、それが干からびる……というか、力尽きるのを待つのに使う。
 念のようなものもきっと、本体から切り離されたとしたら、あとは空気に溶けるように消えて無くなる定めと思う。どんなに強い念だとしても、移ろわぬものが無いように。その手伝い……というか、消失を早める為に、使えるものは使うという姿勢の元、色々だ。
 器用というよりも、さえの才能なのだろう。この紙切れならこのくらいは保つだろう、この彫り仏ならこのくらいは保つだろう、と。面倒だったり強いものは石ころに封じてしまうそうで、管理が手間と思えば人の手が入りそうにない崖の下、轟々と水が流れ落ちる滝壺に捨ててしまうらしいのだ。
 聞いた時は何とも……と。さえの効率の良さというか、剛気さ、或いは雑さを思うが、時と大自然に勝る浄化方法は無いように、祓えの神でも居ない限りは頼る先がそれしか無い。矢張り合理的か、と思い、人の手に渡ってしまわぬうちは、さえが選んだ方法が安全で手っ取り早いと感じた弟子だ。
 二人目のお師匠様は出来る事は少ないが、少ないなりに知恵を働かせ、拝み屋の生を生きて見えた。無理な仕事は無理と言う、そういう意味では驕らない。何とも謙虚な人であり、頼り甲斐のある人である。
 夕飯に訪れた飯屋の爺さんは、この日も耀を歓迎してくれた。さえといつもの掛け合いをして、元気そうな様子を見せる。切ってしまった手前と言って、瓜を貰った耀だった。もう注文は無さそうだから坊主にやるよ、と。
 偶々、人の出入りが少なく、店主が他所を向いている時に、耀は小声で丈弥を呼んで、もらった瓜を分けてやる。神々に奉納した際に、彼だけ口にしていないのを思い出したからである。丈弥はひょいと眉を上げたが、耀の気持ちを酌んだらしい。いつか瑞波がしたように、透明な瓜を抜き取って、口に運ぶと、人と同じく味わうような素振りを見せた。
 夜の光は月光と、燃やした火しか無い時代である。暗くなる前に向かうよ、と、さえと共に歩み立つ。耀の集落の方向とも、九坂家へ向かう方向とも違う、道を歩んで段々細く、ひとけが無くなる山へ入る。
 少し登って、下草が、こざっぱりとした辺りで逸れた。道無き道を進むうち、寂しさを感じた耀だった。その頃には夕焼け空も藍色が増してきて、まさに逢魔時、魔に出会い易い時になった。古神道では大禍時。読んで字の如くの黄昏時だ。人で無いあちらの者が、よく見える時間になる。
 さえは山の斜面を下り、沢が流れる谷へ来た。沢まで降りる手前の斜面に丁度良い岩が顔を出し、懐紙(かいし)のようなもので折った何かを、岩の四隅に埋めていく。
 岩を四角く区切った”さえ”は、耀を手招き、腰を下ろさせた。不思議そうにする弟子と二人、余裕で座った大岩だ。

「あれは塩だよ」
「塩……ですか」
「結界を作る。そんなに強く無いからね、大物が来たら逃げられないが。此処にはそれなりの者しか居ない。それでも十分、怖い思いが出来るだろうし、ヨウの感覚を呼び覚ますのに丁度良いと思うんだ」

 成程、と口ずさみつつ「どうして塩を使うんでしょうね?」と。弟子は思い出したように聞いていた。

「あぁ……うぅん……塩は”力”が強いからかねぇ」

 師匠が言うのを拾っては、「力……」と繰り返す耀である。

「塩は、海が陽で温められて出来るから、と、どっかの修験者に聞いた事がある。山型にして月の光を浴びせたら、もっと強い、とも教えて貰った。だけど勿体無いからね、あたしはケチってちまちま使う。四隅さえ結べれば、十分、結界になるからね」
「そうなのですか……俺には未だ分からない感覚です」

 耀には未(いま)だ、それらが持つ”力”を感じる才は無い。さえが塩を埋めた場所を見下ろして、ふぅん、という顔をするだけに留めたか。

『三柱(みはしら)の三貴子(うずのみこ)に通じるからですよ』

 ふ、と正面を見て、応えられない瑞波の声に、耳を傾ける仕草を見せていく。

『三柱の”うずのみこ”……? と、言いますと?』

 応えられない耀の代わりに、丈弥が彼に問い掛けた。
 ”声”は”さえ”の耳には入らぬらしい。
 瑞波は顎を引き、きりりとした顔で丈弥に語る。

『三柱の三貴子とは、天照様、素戔嗚様、月読様の事を示します。陽は太陽である天照様、海は太陰である素戔嗚様、塩は最も極まるこの方々へ通じるものとされていますので、月の光まで受けるとなりますと……つまり、月読様の力をも受け取るとなりますと、さえ殿の言う”もっと強い”という表現も、頷けるものであると思います』

 瑞波は丈弥の顔を見て、その先も説明してくれた。丈弥と耀は話を聞いて、互いに”はっ”とした顔をする。考えた事が無かったが、成程、筋が通る話だ。

『不浄のものは清いものを嫌いますので、塩を盛るという行為に清めの力を込めるなら、清めの力も増すというもの……まぁ、弱いものにしか効果はありませんけれども、ね』

 それよりも、と瑞波は真面目に丈弥の方を向くらしい。

『それよりも、丈弥』
『はい』

 思わず丈弥も背筋を伸ばさざるを得ないような、瑞波の凛とした声である。

『耀に人霊が視えるように、私を結界で囲って下さい』
『え。は、はい。えぇと……』
『私も極力気配を隠します。誤魔化せるだけで良いのです』

 と。

「さぁ、ジョウヤ、仕事だよ。耀を結界で覆ってごらん」

 奇しくも重なる”さえ”の声音だ。
 やっと耀は丈弥を見上げ、自然と目を伏せる、奥の瑞波を確認出来た。

『あ……や、やってみます』

 さえと耀の視線を受けて、慌てて丈弥が話を返す。
 耀の眷属と成る事を決めてから、内なる力に目覚めた彼だ。得意な事は”弾く”事だが、それは”面を成す”のに長けているから。線と線と線を結び、面とする。さえが結んだ塩の結界を、上から丈弥は結ぶのだ。
 起点の塩から隣の塩へ、指で空を切るように力を紡いでいった。
 耀の目には丈弥の”力”が、光り輝いて見えたらしい。光り輝く経文だ。おぉ……と感動するように、彼が紡いだ軌跡を見遣る。
 さえの目にも丈弥の力が光り輝いて見えたらしい。線は四角を描いた後に、上に登って四角を取った。四角と四角を線で繋いで、ひと繋ぎの空間が出来ていく。
 まるで背の高い箱のようだ。これは良いね、と思った顔で、さえは丈弥を讃えて見えた。

「後は暫く静かにしていようかね。日が登るまで、くれぐれも、大声を出すんじゃないよ」

 飽きたら寝て良い。二人目の師匠は”適当”だ。
 分かりました、と返した耀は不謹慎ながら楽しくなった。
 視た事の無い世界の事を眺められる僥倖だ。例えそれが暗澹たる世界を指し示しても、知らぬ世界を知るというのは、自己を広げられる機会になるからだ。
 不謹慎だが、わくわくとした。
 その奥で丈弥が動く。
 ”瑞波様”が示した通り、囲われた空間で、更にひと柱を結界で囲うのだ。

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ちかい
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