いつかあなたと花降る谷で 第3話(7)
「ほらね? この石がマァリにはぴったりよ!」
きゃっきゃとはしゃぐフィーナへと、何も言えない時間が過ぎる。
マァリは石の内側から脈打ってくる、優しい光に魅入られた。
「大婆様の妖精石よ」
「えっ……」
「気に入られたのね? ちょっと妬けちゃうわ」
早速、ミオーネやシャンドラに、教えてもらった言葉を口にする。マァリは少し呆(ほう)けたけれど、言葉通りの気持ちなら、嫌な気にはならないことを知っていく。
妬いてくれるの? と聞こうとしたが、空気を壊すのを躊躇った。そのうちにフィーナの方が彼の手を取って握らせる。
「あげるわ。必要になったら使ってね?」
「────っ」
ありがとう、と言えたのが奇跡のような瞬間だ。
約束だから貰わない訳にはいかない。フィーナの大婆様の妖精石。どうして数奇な運命だろうか。死の妖精が、純粋な、光の妖精の石を持つなんて。
使うことはない、と断言できる。でも多分これが「思い出」になるのだ。自分の存在は継承制、次を見繕えた時にだけ解放される。前任者が言っていたのだ、きっと本当のことだろう。
ここでもフィーナは俺の光に……と、泣きそうになった彼である。
でも、もうフィーナは彼の別の手を引いて、夕飯の準備をしましょうよ、と。そんな笑顔を見ていたら、とても涙は流せなかった。
そうだね、と、いつも通りに穏やかに返した彼の声は、彼女の耳にいつも通りに聞こえたのだろうと思う。
家に戻った彼は着替えをし、先に夕食作りを始めた彼女の横で手伝いをした。必要な野菜を採りに行き、食べやすい大きさに切って彼女へ渡す。
シャンドラに貰った魚は氷漬けにされていて、必要な分から解凍をして、1日目は焼き魚。二日目はムニエルに。三日目はクリームシチューに入れて味わった。料理をしながらフィーナは皆に頼まれたことを話し、食べ慣れないかもしれないけれど、シチューを配ることにする。
マァリは飛竜を駆って近くの街まで行ったようで、ミルクを買うついでに海産物も手に入れてきた。茹でると赤くなるエビは、丸くなって可愛くて、フィーナは昼間にそれを見ながら、まだ見ぬ食材へと思いを馳せた。
一緒に旅行へ行った時、彼が街で手に入れていた、料理の本は興味深くてすぐさま彼女の愛読書に変わる。そこにはパエリアなる華やかな料理が載っていて、まだ見ぬ食材の貝類を夢想していたフィーナである。
ひとまず、作ったシチューは上手にできた。新しい卵を届けてくれたミオーネと、魚をくれたシャンドラと。ポッサンとチャールカのために小分けにしたら、もう一人の友人を思い出す。
「ねぇマァリ、ライオネットにも持っていってあげていいかしら?」
どこかで聞いたような気がして、「近所の人だったっけ?」と。
「そうよ。オーナともう一人、私には昔馴染の妖精がいるの」
ぴくっと反応するものの、少なくともオーナよりは遠い友達のようである。ライオネットというからに、男性なのだろうけど。
マァリが「一緒に挨拶に行こうかな?」と試しに聞いてみたところ、快く「それがいいかも」と返してくれたフィーナであるので、彼の読み通り、距離のある妖精のようだった。
それに安心するような、まだ警戒心を持つような、絶妙な恋心を隠して動物を狩りに出たマァリである。1日に何度も呼び出すのは悪い気もしたために、飛竜に多めに報酬を渡そうと考えた。
狩った獲物を渡すため、飛竜を召喚し、そのままフィーナの庭に降りて、共に皆の家を回る。自分の敷地に白いワイバーンが侵入してきたのを知ったミオーネは、様子を見に自ら近寄ってきた。あとは視力でマァリに抱かれたフィーナを見つけてめでたしで、しっかり操作している彼を驚く目で見つめたようだ。
「凄い……本当にワイバーンに乗れるのね……」
「人間の社会だと、割と普通な感じだよ」
「そうなんだ……この辺じゃ見かけないからさ」
「だろうね。戦争に使われるやつだから、平和なこの国なら見たことがないかもね」
戦争、と耳にして、ミオーネは「ふーん」と返事した。そういうものからは遠い幻獣族だから、まず興味がないのかも知れなかった。
フィーナは抱いた籠からミオーネ用のシチューを取り出して、温め直して食べてね、と言い添えた。
「何これ? いい香り」
「シチューって言うみたい。小麦粉とバターを合わせて、牛のお乳で伸ばすのよ。あとはチーズを入れてみたの。コクがあって美味しいと思うわ」
と。
スラスラと説明できて、自信が持てたフィーナだった。
ありがとう! というミオーネの言葉を聞いて、次に二人はシャンドラの池にやってきた。
シャンドラとマァリは初対面だったから、まずは好感を持って貰えるように、密かに張り切る彼である。
「初めましてシャンドラさん。マァリです」
フィーナにお世話になっています。これからよろしくお願いします、など。当たり障りなく礼をして、シャンドラの反応を待ってみる。
「初めまして、マァリ。シャンドラよ。こちらこそよろしくね?」
実はシャンドラも緊張をした。この森に住み着く幻獣以外で、ラーマを除けば初めての異性だったから。
それも何? と呆然ともしていた。シャンドラにとったら「人間」は、誰も彼もが地味な服装の、パッとしないけど真面目そうな、田舎の老人の印象だったから。
それは彼女が稚魚の時、川を上る過程で見た人で、その頃になって漸く暇ができる人間のことを、偏った印象で見てきた所為だった。若い男、それも美麗な顔つきとくれば、まさにマーメーナが読ませてくれた、乙女小説の王子様なのである。
「凄い王子様じゃない。フィーナ……凄いわね……」
「?」
俺は一般人ですよ、と返したマァリの声を聞き、シャンドラはピシャリと「こっちの話」とキめていく。現れたのが王子様でも、成熟したシャンドラにしてみれば、全くの対岸であり、自分には関係のない世界の住人である。
マァリは思いがけない対応に会い、困ったようにフィーナを見下ろした。フィーナは「素敵でしょう?」とサラッと凄いことを言い、彼と一緒に作ったのよ、と、シチューが入った容れ物を渡していく。
「ありがとう。美味しかったらまた頼むかも」
「お安い御用よ」
「マァリ、あなたにもありがとう。あと、この辺で採れる魚でよければ、寄ってくれたら渡せるからね?」
遠慮なく、と淡々と返してきたシャンドラは、人間の社会で目にした事務職の女性のような印象があった。浮ついた年齢を通り過ぎ、しっかり者になってしまった年齢のそれである。どうにも「頼れそう」としか浮かんでこない脳裏において、彼は素直に「助かります」と彼女へ微笑で返していた。
そんな態度が良かったのかもしれない。
「ヨシ」
「? 何が?」
「合格よ、フィーナ」
「?」
何が「合格」だったのか分からないままだけど、シャンドラの池を後にして、次はポッサンの家へ向かう。
ポッサンの家の庭は美しいので、マァリは飛竜を近くの木に止まらせた。そこからフィーナを抱いて、地面へ降りる。器用に魔法を使いこなして、衝撃もなく降り立てば、バーン! と家の扉が開いてチャールカが出迎えた。
「どうしたです?」
彼の気配を読んで出てきたらしいけど、鼻の上にチョコレートがついて、お茶の時間だったようである。ポッサンがその後ろからのっそりと現れて、やぁ元気? と微笑を浮かべてくれた場面だ。
心なしか彼の方も前より生き生きして見えて、チャールカの面倒を見ながら気力を取り戻した雰囲気だ。二人は二人に挨拶すると、お裾分けを手渡した。
「シチューを作ってみたの。良かったら夕食にどうぞ」
「温めて食べてくださいね」
「これはありがとう。楽しみだ」
しちゅー……? と首をかしげて近寄ったチャールカが、良い匂いに酔った顔をして、期待するような目を向けた。夕飯にね? とポッサンが言うと、今もお菓子を食べている最中だろうに、ワクワクと視線を外さずいるから可愛らしい。
フィーナは妹を見る目で彼女の可愛さを楽しんで、マァリは少し呆れるように彼女を見たようだ。彼の中では図々しい印象のままだから、子供らしいところを見ても、呆れた、としか映らない。
挨拶もそこそこに、家を離れた二人である。近くに待たせた飛竜に乗ると、次はライオネットなる住人の家を目指した。
「彼の家はずっとあっちの方よ」
「岩だらけで住みにくそうだけど……」
「彼は仕掛けが好きみたいで、家の周りは罠だらけなの。安全に降りられる場所を教えるわ」
えぇっとねぇ……呟いたフィーナを抱きながら、巨大な岩がごろごろと転がる一帯を見て、技術屋ってやつか……と、勝手な想像をしたマァリだった。