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いつかあなたと花降る谷で 第2話(9)

「にっ……がぁい!」
「あはは。全部、顔に出ていたよ」
「どうしてこんなに苦いものが美味しいの?」

 人間はすごいわね、と、つぶやいた彼女である。
 二人は宿泊客ともあって、奥の仕切りに囲まれた席に案内されていた。鞄は足元の籠に入れ、帽子付きの上着も取り払った後である。
 給仕の男性が二人を見遣り、驚いた顔をしたものの、何事もなかったように去っていく。そういう意味でも良い宿だ、と思ったマァリだけれど、フィーナは気づいてはなさそうだ。口にしたエールのコップを押しやって、彼の方へと「ごめん、飲んで」と頭を下げるようにした。代わりに頼んであったジュースを取ると、口直しをするように飲んでいく。

「何度か飲むとクセになるって言うんだけどね」
「えぇぇ……無理よ……もう一度飲みたいって思えないもの」
「そう?」

 と首を傾げた彼が、臆することなく飲んでいく。
 フィーナは、マァリってばすごい、と思ったような顔をして、エールを飲んでいく彼を見た。

「ねぇ、お酒に酔うって、どんな感じかな?」
「うーん……俺も酔ったことはないから想像でしか言えないけれど、楽しい気持ちになるんじゃないのかな? ほら、そっちの人達とか、なんか楽しそうじゃない?」

 ちら、と仕切りから覗くようにマァリが体を動かしたので、フィーナも同じように体を動かした。少し傾いただけでは見えない位置だけど、向こう側からは賑やかすぎる声が響いているようだ。

「確かに楽しそう。苦くなければ飲んでみたいけど……」
「甘いお酒もあるよ? 飲んでみる?」
「え? 甘いお酒があるの?」
「うん。飲み過ぎ注意だけどね」

 最後の彼の呟きは、フィーナには届かなかったようである。
 きらきらと視線を輝かせて見えたので、料理が運ばれてきた時に、追加で頼んであげたマァリだった。程なく運ばれてきたものは、花まで飾られていて、可愛らしく仕上がった飲み物である。もうその見た目にフィーナは感激したらしく、飲む前から「絶対に美味しいわ」と彼女の顔に書いてあった。
 飲む前なのに……とマァリは苦笑するけれど、喜ぶ彼女が可愛かったので口をつける姿を見守った。

「! 美味しいわ……!」
「そ? それなら良かったけれど」
「果物の味の方が強いもの。甘酸っぱくて美味しいわ。これなら沢山飲めそうよ」

 沢山……と聞いて「程々にね」とは一応、言った。
 メインの料理も運ばれてきたので、食事に集中したこともある。
 味はどれも美味しかった。小皿を使って互いのものの交換もした二人である。堅苦しくない食堂なので、取り分けられるよう、品数ぶんの小皿を置いていってくれた宿の人だ。そうした気遣いも全て含めて、勧めてもらって良かった、と思った二人である。
 これは何を合わせているのか、この味から考えられる調味料は何だろうか、と。軽い気持ちながら家で作れないかと、話し合いもした二人である。そのうち飲み物が無くなったので、マァリは水を、フィーナはもう一度甘いお酒が飲みたいと言った。
 まぁ、二杯くらいなら。
 酔わないマァリは知らなかった。
 確かに昔の同僚に、甘い酒のことは聞いていた。王都に戻ったら、飲み屋街の奥の店で、引っ掛けた女の子に甘い酒を奢るんだ、と。意外と親切な奴だなと失礼なことを思ったマァリに、当時の親友は「酔いやすいんだよ」と教えてくれた。つまりあいつは泥酔させて、宿に連れ込むのが目的さ、と。
 王都で出される酒は小さなグラスでというし、彼の中では相応に飲ませなければならない印象だった。だから話術も大切で、女の子に悟らせず、グラスを重ねさせるスキルのようなものも要る。
 フィーナが飲んでいるものは氷の割り合いも多く見え、比率で考えればお酒の量も少なそうだった。果汁の部分も搾りたてを出してくれているようで、美味しいだろうことも察せられるし、何よりフィーナが幸せそうだ。
 だから警戒することもなく二杯目のお酒を注文し……飲み合わせの知識もなかったマァリは見事に失敗をする。
 そもそもフィーナが酔った時、どうなるのかを知らなかった。
 一見、普通に見えたから、酔っているのに気づかなかった。
 足元も確かなもので、理性的な話もできたから。美味しかったね、と微笑んでいる、酔っぱらいに気づくのが遅れたのである。

「あ〜、幸せ〜。美味しいものでお腹がいっぱい。ありがとうマァリ。旅行って楽しいわね」
「そうだね、美味しかったね。明日も美味しいもの食べようね」

 俺もそう言ってもらえて嬉しいし、楽しいよ、と、心から返した彼だった。部屋へお湯を持ってきてくれるよう、宿の人に頼んで上がり、先に三階の部屋へ戻って眠る準備をする予定であった。やることと言えば鞄から部屋着を取り出すくらいである。あとは窓から夜景を眺めて、ゆっくり過ごすだけの夜だった。
 廊下に常駐している警備の人から、部屋の明かりを受け取って、それを持って中へ入るとマァリはすぐに鍵をしめた。出る時に仕掛けておいた魔法が動いていないのを、それとなく確認し、次は部屋の中を見る。あれから誰も部屋の中へ入っていない様子はあるが、まぁここまでは、と自然を装い次へ動いた彼だった。
 入口のランプに火種を移し、真ん中の机の上のランプにも火を移す。そのまま窓の方へと行って、窓の下のテーブルにそれを置く。夏に近づく陽気は夜になってもそのままで、眠るまでは夜景を楽しもう、と開けたマァリだ。開け放った窓の所にも仕掛けを施して、ご機嫌なフィーナを呼んであげるつもりだった。

「フィーナ、夜景が綺麗だよ」

 三階くらいの部屋だとしても、そんなに高い建物のない街なのでそれが楽しめる。呼ばれた彼女は部屋の中から、窓の方へと動いてきた気配があった。すぐ後ろに届いた気配を見下ろそうと半身ひねり、マァリは目に飛び込んできた肌色に気づいて前を向く。

「どれどれ〜?」

 ご機嫌な様子のフィーナは、気のせいじゃなければ薄着になっていた。
 見たものが信じられなくて、固まっていた彼である。
 念の為、確認しようと、そろりと視線を下げていき、下着姿と呼ばれるものになっている彼女を視認した。
 ぴゃっと見えない汗を飛ばすよう、勢いよく前を見た彼だった。

「フィ、フィーナ?」
「え? 夜景、綺麗ね」
「うん、綺麗だけど、違う、そうじゃない」
「?」

 もの言いたそうな雰囲気はあるが、何が「違う」のか分からなかった様子である。

「なんで、脱いでるの……?」

 問いかけた声はか細かった。
 謎に受け答えがしっかりしていたフィーナは「暑かったの」と。

「え?」
「? だから、暑いな、って」
「え? だ、だとしても、そこまで脱ぐ必要はある……?」

 人間の大人が着るようなベビードールではないけれど、きっとフィーナの母親が縫っておいてくれたのだろう、子供の下着姿である。細い肩紐に薄い生地の花柄で、下のスカートも放り投げられた形跡がある。
 ここまできてもマァリには彼女の受け答えがしっかりして見えたので、酔っているという事実に達せず、暫くその場で混乱していた。
 そこへ扉の向こうから、お湯をお持ちしました、の声だ。
 丸くて平たい木製の容器へと、大抵の宿屋は旅人のためにお湯を用意してくれるのだ。部屋へ上がる前、彼が頼んでおいた、身を清めるためのお湯である。
 肩が跳ねた彼はそれでも、最善と思われる行動に出た。暑いから脱いだと語る彼女へ自分の上着を掛けていき、扉付近にあった衝立でフィーナへの動線を遮断した。扉の向こうの宿屋の人へ、入口すぐに置いて欲しいとお願いをして、終わったら外へ出しておきます、と伝えておいた。
 お湯の入った重い容器をすぐそばに置くだけでいいわけで、仕事にあたる男は「得した」と思ったような顔をした。では、外に出されたら回収に来ます、と伝え、マァリへ頭を下げていなくなる。
 マァリは混乱が続いていたが、とりあえず温かいうちに、フィーナに水浴びをさせねば、と思ったようだ。衝立の奥に居る彼女へと、お湯が届いたよ、と見せにいく。
 フィーナはきょとんと立ち尽くしていたようで、どうして上着を掛けられたのか分かっていない顔をした。

「フィーナ?」

 と確認するように声をかけた間の「間」から、彼はようやく「もしや?」と思い、「酔ってる……?」と聞いていた。

「酔って……? うん? 分からないわ。ただ、体が暑いな、って」
「それで脱いだの? 流石に脱ぎすぎだと思うんだけど……大丈夫? 一人で洗える?」
「洗えると思うわ」

 マァリが抱えたお湯を、フィーナ側のベッドの下へ置いたのを見て、フィーナは無頓着に彼の上着を取り払ってみせた。

「わぁぁ!? ちょ、待った待った!」
「?」
「フィーナ……恥ずかしくないの?」
「?」
「うわぁ……酔うとこんななのか……」

 まさかの脱衣テロ……変なところで男前なんだから……と。
 頭を抱えつつ、なるべく見ないようにして、さっと衝立を引っ張って自分の陣地に隠れたマァリだ。
 男を見せろと言われても、それは男なんじゃなく、ただの獣という話だと、降りかかる人災を見て思う。

「…………」

 ぱちゃ、ぱしゃ、と衝立の奥で鳴る水音に、だぁぁ!! と頭を抱え続けた彼だった。
 程なく服を着直す衣擦れの音がして、「終わったわよ」と素面(しらふ)のように言ってくる酔っぱらいへと、「ちゃんと服、着たよね? まだ夜は冷えるから、ちゃんと着ないと風邪ひくよ」と忠告をした彼である。少し間が空いてから再び立った衣擦れなので、念入りに言ってよかった……と、無を浮かべた彼である。
 結局、ちゃんと着ていてくれたフィーナは大人しくなっていき、その隙に新しいお湯で体を清めたマァリだった。後片付けをするうちに、眠そうな顔をしたフィーナを見ると、先に寝ていいよ、と伝えて就寝を促した。
 お酒を飲むと夜中に水が飲みたくなると言うし、フィーナ側の机の上に水差しとコップを置いておく。まだ眠くない彼だから、ランプの火が漏れないように、頭側に衝立を置いて読書などを始めていた。
 人間と違い妖精は、食べたものを完全に吸収するので、トイレに立つという習慣がなく、密かにそれに乗っているマァリである。当然、フィーナの家にもトイレがないし、旅をしている最中(さなか)において、そういう休憩は取らずに済んでいる。トイレ休憩でフィーナから目を離す隙ができないために、そういう意味での安堵感は大いにあった。
 だから、夜半に目を覚ましたらしいフィーナを知ると、水を飲んだ気配があって、そこから動いた気配があって。眩しくないように頭の位置には衝立があるから、その端から顔を覗かせた彼女へと、彼は「目が覚めちゃった?」と。

「明るかった? ごめん。もう俺も寝るし、消すからね」

 枕元に置いたランプを引き寄せて、ふっと息を吹きかけた少し後。
 おやすみ、と囁いた彼のベッドへと、ぎしり、と乗っかってきた小さな塊だった。

「…………え。フィーナ?」
「…………」

 一緒に寝るの。
 フィーナはぼんやり伝えたつもりになって、実は寝落ちした後だった。

「フィー……嘘だろ……?」

 Zzz……と。
 穏やかな寝息を聞いて、絶望した彼である。

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ちかい
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