君と異界の空に落つ2 第12話
瑞波は『付いて行くんですか?』と心配そうな顔をしたが、耀は『あぁ言ってくれているし、行くだけ行ってみようと思う』と。まだ不安そうにする彼を宥めて、集落の坊主を追って行く。
示された獣道を降りながら、ふと向いた視線の先。連なる小さな山の上に何かが立っているのが見えた。耀の視線に気付いた瑞波が『あれは人が作った社のようなものですよ』と。社と聞けば、立派な社殿を思い浮かべる耀だけど、彼の説明を聞く限り、そればかりではないらしい。
『人が山に神性を見出すとき、それは大樹だったり、大岩だったりと、とても人の手が成せるものではないものに、想いを寄せる傾向があるようです。実際にそういうものは霊性を宿していたり、力を倍増してくれる良い素材だったりと。そうでない場合……そうですね』
瑞波は斜面を降りていく耀の後ろを行きながら、色々と説明をしてくれる。
『耀が今、見ていたものも、此方の場合だと思いますが、一瞬見えた霊性を人が誤解した時に、あぁいった目印や、小さい社、鳥居に準じるものを建ててしまう時があるのですよね……』
それは貴方がたの言う怨霊だったり、力を持った妖怪や稀に神(ほんもの)も居りますが、私から見れば粗霊(それい)に等しく……『拝む程のものじゃない?』急な耀の質問に、瑞波は苦笑する。
『それでも人は有り難がって気持ちを向ける訳なので、私も良い霊であれば否定したいとは思いませんし、清い祈りはその者の正気を導いてくれるので、全く無駄な事ばかりでは無いのです。それに、大きいものではないにしろ、霊性も強くさせるので、人々の行いに”けち”をつけるつもりも御座いません。ただ……』
ふと、同じ方を見て。
『あの場所に何かが眠る訳でも無ければ、非常な力を感じたりもしませんし……そうであるならあれは一つの目印で、人々が何かの祭事を行う際に、使用している場所である……としか考えられません』
『神様の気配が無いから?』
『えぇ。でも、もしかしたら……彼等が言う神というのは流れの妖怪かも知れないですし……』
『え? 妖怪?』
『ありますよ。何も悪い者ばかりでは御座いません。土地によったら神に代わって地鎮をしてくれている場合もありますし』
『へぇ。そりゃ凄い』
『当然、倫理観は違うので……定期的な生贄を欲したりはしますけど』
え。それは嫌だなぁ。正直な感想を顔に浮かべた耀に対して、もう瑞波は声を掛ける事はしなかった。こっちだ、と彼を呼ぶ人間の男が居るので、彼が困ってしまわぬように黙るのだ。
「お待たせしました」
「おう。中々足腰も強いじゃないか。俺は一度か二度くらいは転ぶかと思っていたぞ。都から歩いて来たって言うのは、どうやら嘘じゃないみたいだな?」
ははは、と愛想笑いを浮かべた耀を、まるで気にしないように、男は山を降りて行く。
「そういや小僧の名前は何てんだ?」
「耀です」
「ヨウ、か。覚えやすくて助かるな」
「有り難う御座います。私も名前を聞いて良いですか?」
「か〜っ、堅っ苦しくて敵わんな。善持(ぜんじ)だよ。善い気持ちを持つように、って”おかか”がな」
「あぁ、それで善持さん」
「ヨウは何だ、おかかの記憶はあるのか?」
「いえ……その、気付いたら、寺に預けられていた感じです」
「そりゃ気の毒としか言えねぇな」
「あ……いえ、別に……居なければ居ないで気にならないものですよ」
「ほ〜ん。そんなもんか?」
そんなものです、と耀は言う。母親が恋しいか恋しくないかは、その人の性格、特性だろう。それに耀は体だけ譲って貰った身。元の持ち主の母親の事をどうこう言うのは憚られた。
話を振ってきたものの、実は善持も気にならないらしい。子供といえば母恋しさ、だから聞いてみただけだった。耀はさっぱりとした性格で、想像よりも大人らしい。通りで聞き分けが良い、と感心しただけだった。当然、彼だって、子供に寝首を掻かれるのは嫌だから。互いに協力出来れば良くて、賢い子ならより嬉しい。
飄々として裏表が無さそうな善持の後ろを歩きながら、耀は耀で新しい場所での仕事の事を考えた。
瑞波が昨日語った通り、集落は大分、下の方にあるらしい。下るのは足元に気をつければ良いだけだけど、これを登るとなると根性が試されそうだ。それでもあの湯に浸かれるならば登りたいと思うけど……下ってきた道を振り返り、恋しそうな顔をする。
所でどうしてあそこに来たんですか? 途中の清水で喉を潤していた時に、耀が聞けば善持は単純に「夜に火が灯るのが見えたんだよ」と。こんな田舎、山賊も興味を持たん、との事で、山の中に火が灯るのは奇妙だなと思ったと。それで朝食を食べてから山に登る事にして、支度を済ませて様子を見にきたという事だ。
「あの温泉、気に入ったんですが、また入る事は出来ますか?」
「お? 別にいつでも良いぞ。ただ、登るまでが大変だがな」
「いつでも良いんですか?」
「今の時期は寒いから勧めんがな。湯冷めすると悪いし、夜の山は危ない。でも、お前が平気だったんなら好きな時に入れば良いさ」
「好きな時に……」
「出かける時、俺に声を掛けてくれたら良い」
でも、仕事は? と耀が聞けば、やって欲しい事は寺の雑務くらいで、善持の料理が嫌でなければそちらもしなくて良いと言う。法要に来る集落の客にお茶を出したりするだけで、暫くは自分の後ろで経を覚える努力だけしてくれれば良いから、と。
破格の待遇で、驚いた耀だった。
「まぁ、ゆくゆくは、土に埋めるのを手伝えるようになってくれたら助かるけれど」
「あぁ、はい。鍛えておきます」
「鍛える……? うん。まぁ。死んだ人間に慣れてくれたら良いって話なだけなんだがな……」
そういや小坊主をやっていたのか。じゃあ人の死体には慣れているのか。ぶつぶつと善持が言うので「慣れてはいませんが、全ての人が辿る道です、どうして嫌と言えましょう」完璧な返答だ。
「は……へぇぇ……随分立派な寺に居たんだな? それともあれか? 凄い師匠にでもついていたのか?」
「え? えぇと、比較するものがないので私には何ともですが……お師匠様は確かに厳しい人でした」
きっちりとそこだけは伝えていく耀である。
「そうか。じゃあ俺ん事はそんなに期待しないでくれよ?」
「えっ……でも私は、色々と教えて欲しいです」
「そりゃあ罠の掛け方とか、畑なら教えてやれそうだがよ」
「わな……?」
「あぁ、俺、罠師でもあるんだわ。美味い肉食わしちゃる。そこは期待して貰って良い」
え……精進料理……? と思った耀だけど、場を乱すのもアレなので黙っておいた。
「あの、善持さん」
「何だ?」
「魚獲り……出来ますか?」
「何だお前ぇ、やった事ないのか?」
「ないんです……出来ればそれも教えて欲しいです」
了解、了解、と善持は心なしか嬉しそうで、「和尚様とお呼びした方が良いですか?」という真面目な問いに、そんなもんどっちでも良いがな、とガハハと笑う。
「ヨウは文字は読めるか?」
「習った分なら読めます」
「そりゃあ良い! 俺にも分からない文字は教えてやれないが、困ったら偉い人の所に行って教えて貰えば済むからな。貰った本もそれなりにあるし、好きなら適当に読んで良い」
じゃあ経文もすぐに覚えられるな、善持は鼻歌を歌い出しそうな雰囲気で、耀の子供らしからぬ優秀さを喜んだ。果たして、この時代、こうした才能を認められる大人が、どれだけ居たか、という事だ。耀は、この人はこういう人か、と得心しただけだけど、警戒だけは緩めぬように終始真面目な顔をした。
集落の人達に挨拶は必要ですか? とも、質問してみたのだが「追い追いで良い」との言葉が返る。俺から先に伝えておくから、暫くは引っ込んでいて良いからな、と。引っ込んでいなさい、と言われたら何かを察するが、いて良い、と言われても何かを察する耀である。案外、後者の方が強い意味を含んでいたりする。暫く、と付いていたのがポイントだ。
分かりました、と頷く耀を見て、矢張り良い拾い物だ、と善持は思う。
温泉からの獣道は、寺の裏山に繋がっていたらしい。
その道が山へ入る決まった道の一つであって、途中で目にした分かれ道で神様の社へ行けるそうだ。方向的にも違和感は無く、耀は成る程と聞いていた。今は冬だから山へ行く人は少ないけれど、春になれば山菜を採りに登っていく人が居るらしい。見かけたら別に声を掛けなくても良いけれど、特徴だけ覚えていてくれたら助かる、と伝えられた。
そうそう遭難する人も居ないのだけど、戻らなかったら探しに行くから、寺の裏から山の方へ人が入ったかどうかだけ。
ふむふむ、と記憶しながら、ついに集落の寺に出る。
「これは……立派なお寺ですね」
「わはは! そうか? まぁ、掃除だけが大変だな」
昔から仏さんが出るからな、割合、皆、良くしてくれる。
呟いて善持が進む先は、柱が立派な一軒家。当然、浄提寺の方が広い本殿なのだけど、地方でこの立派さならば名主の家にも劣らない雰囲気だ。
正方形のお堂は四方を縁側に囲まれて、冬で寒いからだろう、今は雨戸で閉められている。
「住処はこっちだ」
その裏に、こじんまりとした家がある。暖かい地方だから、簡単な造りだけれど、家族で住めそうな家に今は善持一人きり。物置部屋の他に空き部屋があったから、ヨウはそこを使えば良い、と早速案内してくれた。
「俺は飯を作ってくるから、その間は掃除をしとけ」
物置部屋から桶と雑巾を出してきて、井戸はあっちだ、と彼は言う。
「食えないものは無いよな?」
質問されたので、無いです、と答えたものの、少し”どきり”とした耀だ。食べられれば何でも良いけれど、どんなものが出てくるか。それなりに緊張はするのである。
言われた通り水を汲み、空いている部屋の掃除をしたが、広さは四畳半といった所だろうか。壁と引き戸に明かり取りの小窓がある程度、閉めれば暗くなる部屋である。まだ湿った着物を錫杖に通して角に掛け、此処ではどのくらいお世話になれるのか、と、ぼんやりする時間まであった。
そのうち、飯だぞ〜! と遠くの方から聞こえてきたので、返事をしながら良い匂いがする方へ行く。じじぃの飯だが、そう悪くないと思うぞ、と。善持は”にかっ”と笑って汁物と握り飯を出してくれた。
「朝の残りもんだがな」
「いえ、十分です」
久しぶりの固いご飯に感動を覚えた耀だった。
頂きます、と合掌をして口に含めば涙が出そうだ。程よい塩気と酸味の効いた中の梅干し。酸っぱい……と口にして涙目になったのを誤魔化した。
善持は少し分かったようで、目を細めながら耀を見た。それから「夜には”だんご”食わしてやるからな」と。
一通り境内の案内をして貰ったら、布団は無いから藁で良いか? と確認されて、師匠の袖があるので大丈夫ですと耀が返せば、そうか、じゃあ必要になったら言ってくれ、と。本当に拍子抜けするくらいの対応で、警戒しただけの肩透かし。瑞波に声を掛ける事も忘れて、呆然と過ごした半日だ。
夕食はきな粉が掛かった餅のようなものを頂いた。この辺りの名物らしい。砂糖だって貴重だろうに、善持は惜しみなく使ってくれた。多分、その人なりの歓迎の印だったのだろう。
明日からは働こう、胸に誓って、久しぶりに屋根の下で目を閉じた耀だった。