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いつかあなたと花降る谷で 第4話(1)

「おかえり! マァリ!」

 出迎えたフィーナは陽だまりだった。
 彼の好きな癒しの色、柔らかなお日様の色である。
 少し前まで漂っていた物悲しい気分は消えて、彼女を一目見たマァリの頬に桃色がさしていく。
 ただいま、と微笑する彼は”可愛い”方が似合うだろうか。茶化す人が居ないから、思う存分微笑める。
 帰ってきた彼を歓迎するように、フィーナはいつも以上に献身的に振る舞った。そんなに尽くしてくれなくて良いのに……と、マァリが心配するほどに。
 おやつはバターを落としたガレットで、ぷっくりとした蜜花のシロップ漬けがついてきた。レシピを見て作ってみたのよ、と彼女は得意げで、彼が出発する時に見せた寂しそうな姿はない。
 マァリは安心すると同時に、益々彼女が愛しくなった。好きになって欲しいけど、たまには寂しいと思って欲しいけど、二人の関係に依存を持ち込みたい訳じゃない。
 先にライオネットの家に寄ってしまった罪悪感を、少しでも薄める為に、彼は彼女を褒めていく。初めてなのに凄いね、や、やっぱりフィーナの料理が一番だと思ったよ、と。
 フィーナは嬉しそうにしながらも、「そんなに褒めてどうするの?」と中々鋭いことを言う。うっ……と思ったマァリをよそに、そこまで貴方が言うなんて、とも。

「旅行中は何を食べてたの?」
「え。えぇと……携帯食、とか?」

 行きも帰りも飲まず食わずだし、帰りに森の中で休憩しただけだった。けれど、そんなこと言えないし、だから、適当なことを口にする。
 携帯食? と首を傾げた彼女へと「干し肉みたいなものを齧るんだ」と。

「え!? それだけ?」
「あ、えぇと、スープみたいなものも作るよ?」

 嘘ではないし、戦争に駆り出されていた時は、食事と言えば常時そのようなものだった。食べた、とはっきり言わない抜け道を使ってしまうが、マァリは不思議と苦しくなって詳しく説明してしまう。
 森で食べられそうなものを探して、だとか、薬味を工夫して、だとか。今回は宿に泊まるのも惜しんで移動にあてたから、座っていただけ、だからお腹もそんなに空かなかったよ、なんても言った。
 そういう理由もあったから、久しぶりにフィーナの料理が食べられて、本当に嬉しい気持ちなんだよ、がトドメである。
 素直なフィーナは額面通りに受け取ったようであり、街の中だけを行った筈なのに、どうして屋台じゃなかったか。座っていただけの移動にどうして野営の技術を使うのか。しっかり矛盾した説明なのに気にならなかった顔をして、「うふふ、それじゃあ夜ご飯は張り切って作るね」と微笑んだ。
 秘密を持った亭主のように説明をしすぎたマァリの方も、実は整理が出来ていなくて自分の矛盾には気付かなかった。目の前でニコニコとするフィーナが余りに眩しくて、なんて綺麗な妖精だろうか、それだけを思ったらしい。あとは、こんなに綺麗な女性(ひと)を騙そうとするなんて、自分は何て汚いんだ……と気持ちを持て余したくらいだろうか。
 いずれにせよ傷付けてはいないので、そこまで思わなくてもよかったが。マァリは大好きなフィーナに好きになってもらいたい段階だから、素直に向き合いたい気持ちもあって、その辺が引っかかる。
 彼の中では何とも調子が良くない気分になったけど、フィーナの方は本当に何も気にならなかったらしいのだ。

「あっ、でも、ねぇ、折角だから、一緒にピザでも焼いてみない?」

 貴方が出かけているうちに、薪を集めてきたのよ、と。
 おやつの皿を片付けようとキッチンへ向かったところだったから、急に振り返って語るフィーナへ、反射で「う? うん」と言っていた。

「よかった! ずっと気になっていたの。早く使ってみたいな、って」

 言うだけ言ってキッチンへ消えていくフィーナを見遣る。
 マァリは慌てて残りを食べると、お茶も一気に飲み干した。


 釜はマァリの手作りだ。ライオネットの用事に出る前、拵えたものである。確かにそろそろ土も乾いて、形も馴染んだ頃だろう。先に火を入れておこうかと、旅装を解いて普段着に戻る。
 食器洗いを手伝うつもりでフィーナに続いて行ったけど、少しだから大丈夫よ、と、追い返される形になった。ならば他のことをしようかと先に庭に出てきたが、釜の側には薪がたくさんあって、燃やすだけになっていた。
 帰ってきた時は気付かなかったが、準備万端という風だ。
 思いついて言ったというより、楽しみにされていた雰囲気だ。
 マァリは無言で薪を手にして、見えないところで微笑んだ。もう、どうしてこんなにもフィーナは可愛い人なのだろう。すぐに背後にパタパタと、駆け寄ってくる気配もあった。

「どうかな? 使えそう?」

 わくわくとした雰囲気で、もし耳と尻尾があったなら、振り切れていそうな様子である。
 マァリは無性に彼女の頭を撫でたくなったけど、ぐっと堪えて「使えるよ」と控えめな反応に留めておいた。数日離れて過ごしたことで彼の心に距離が開き、余り気安くするのも……と、遠慮と理性が戻ったらしい。
 ほんの些細なことだけど、フィーナは”何か”に気がついた。気が付いたけど無意識だから、すぐに忘れてしまうけど。

「何か手伝うことはある?」
「んー……今のところは無いかなぁ?」

 あっさり返した彼の方へ、ぐい、と距離をつめ。

「火をつけるんでしょう? 薪を半分に割ったり、何でも手伝うわよ、私」

 機嫌が良さそうに言ってくる。
 言いながら、ぐいぐいと距離をつめ、フィーナはマァリへと体を触れさせる勢いだ。

「ちょっ、ちょっとフィーナさん……!?」

 どんどん春も更けていくから、段々薄着になる訳で、出かけているうち首元が開いた薄手の服に変わっていたり。だから、彼女の鎖骨とか、ささやかな胸の膨らみに、視線を落としてしまいそうになる彼は、必死に耐えていた。

「なぁに?」

 当の彼女は本気で分からない顔をして、だぁぁ! もう! これだから純粋な妖精は……! と、困った彼が自分から、そっと距離を取っていくことに、どことなく不満な気持ちになっていた。

「よ、良さそうになったら教えるよ……っ」
「え」
「火傷したら大変だしさ。色々やってもらったし、フィーナは少し休憩してて」
「…………そう?」

 全く女心の分からない彼だけど、男心の分からない彼女でもある。

「じゃあ、お言葉に甘えてそうするわ」

 一旦、家へ戻っていくのを、安堵する気持ちで見つめた彼だ。すぐ側に積み上げられた薪を一本取りながら、縦に構えて、ナイフで半分にしようと刃を入れた。
 カチャ、と控えめに閉じたドアの音、彼が刃を入れた薪を持ち、余ったレンガに打ち付けて、割裂を入れる音を立てた後、すぐにドアが開く音がして、ふとそちらへ視線をやれば。
 彼女は小さな手に本を持ち、機嫌が良さそうにこちらへやってくる。

「…………」
「…………」

 言葉を交わさずに、フィーナはあっさりと、彼の隣に腰を下ろした。
 彼は庭にある彼女のための踏み台に座っていたから、彼女はそのまま地面に座り、踏み台の足と彼の背に自分の背中を預けるように、ぴったりとくっついた。くっついたまま読書を始めるようだった。
 小さな体から体温がすぐに伝わって、わぁぁっ、と焦った彼が手を止める。マァリは刃物を持ったまま固まって、ナイフを使っているから……と、注意をしようと後ろを向いた。

「うふふ。マァリの背中、あったかい」
「っ……!?」
「丁度良くなったら教えてね? 静かにしてるから、それまでここに居させて?」
「う……うん、わかったよ……」

 果たして、そんなことを請われてダメと言える男など、この世にいるのだろうか……? とマァリは思う。だって好きな子なんだぞ……? と、名も知らぬ誰かへと、今の気持ちを釈明するように。
 離れていた分、自分だけが理性を取り戻し、女性に対する遠慮の気持ちを思い出していただけに。フィーナの方から来られたらどうすれば良いんだ……? と、されるがままになるしかない悲しい性(さが)を知りながら、恥ずかしさで震える手元を間違えないように、彼は超集中で薪を割る。
 それらをくべながら、魔法で火を入れて、釜を高温に保ちつつ、良い感じに炭になったなぁ、と。そろそろ生地でも作ろうか、と後ろを振り向いて、「フィー……」と声をかけた時。
 触れ合う背中に慣れたおかげか、小さく灯る温もりに、すう、すう、と立てられる寝息を聞きながら。彼は自分の背中にくっついたまま、いつの間にか寝ていたらしい彼女に気づくのだ。

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ちかい
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