唐手異聞 「沖縄神社での奉納演武」
第二次世界大戦前、現在の琉球大学の位置に歴代の琉球王を祀る、沖縄神社が存在した。
沖縄神社では毎年、唐手、古武術(棒、ヌンチャク、サイなど)の演武を奉納する習慣があった。
ちなみに沖縄神社の拝殿は、琉球処分後に使われなくなった首里城正殿を移築して創建されたそうなので、首里城正殿の前で奉納演武を行っていたイメージだろう。
沖縄神社で奉納演武ができるのは、各部落から推薦された達人とされる者で、花城長茂、大城朝恕、喜屋武朝徳、屋部憲通、本部朝基などだったようだ。
船越義珍、摩文仁賢和、遠山寛賢などは、技量不足で演武は認められなかった。
金城裕先生も10代の頃、沖縄神社での演武を認められ、ナイファンチ初段を奉納したそうだ。
同じ時に本部朝基もナイファンチ初段を奉納したが、観客の意見では金城のほうが上手いのではないかとのことだった。
とはいっても本部朝基はおそらく60代、10代の金城先生のほうが上手いのはあたりまえだろう。
沖縄神社では、その年の演武者と形の名前を記録して奉納していたようだが、残念ながら第二次世界大戦での米軍の砲撃により沖縄神社が焼失したため記録は残っていない。
この話は、三谷和也が師である金城裕より聞いた話を文章に起こしている。
唐手の歴史については、第二次世界でほとんどの資料が喪失している、また口伝が基本のため証拠となる資料が残っていない。
そのため、この話が真実であるかは定かではないが、このような逸話があることを残すため、ここに記載する。
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