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「聞こえません」の伝え方

突発性難聴で左耳が聞こえなくなってから、自分の片耳難聴をどう伝えるか試行錯誤を重ねてきた。

基本的に自分の難聴を口に出すこと自体にはさして抵抗はないため、お店に行って座る時に「こっち聞こえないんで、ここ座っていいですか〜?」と言ったり、歩きながら立ち位置を変えて不思議な顔をされた時に、「左耳あんま聞こえないんですよ〜このポジションの方が聞こえます✨」と言ったり、さらっと伝えることが多い。

ただ、いくら伝えておいたとて人間はそもそも、他人の耳のことなど基本的に気にして生きていない。

いつもいっしょにいる友だちは、わたしが座りたい位置をわたしより先に判別してくれることもあるほど慣れてくれているが、どれだけ以前難聴の話をしていても、聞こえないことを覚えていて気にしてくれる人は絶滅危惧種レベルのレアさである。

忘れて当然だと思っているし、自分が聞き取れなくて困る時は何度だって自分から言うべきだとわかってもいる。
だから、毎回伝えるし、毎回どう伝えるかも考える。

先生が聞こえない側から解説を始めてくれた時に、話を遮って場所を交換してもらってもいいのか。
聞こえる場所が上座しか空いていない目上の人との飲み会で、何も言わずに座っていいのか、何か言って座るべきか、諦めて聞こえにくい席に座るか。
これからよく関わるであろう人に、呼ばれた時に気づかなくても無視してると思われたくないなら、先に言っておくべきか、どう言うのか。

言わなくても困らないかもしれない。
ちょっと困ってもわたしが頑張れば、なんとか聞き取れるかもしれない。
逆に言ったら相手を困らせてしまうかもしれない。場の流れを止めてしまうかもしれない。

今いうべきか、いつ言うか、どう言うか。
ただ話したいこと以外に考えることが山ほど増えた。

そうやっていつも頭をフル回転させながら誰かと話すことにもだいぶ慣れてきた。

でも、どんなに考えて頑張ってもうまく聞き取れなかったり、そのせいで失敗したり、迷惑をかけたりすることもある。

後ろから何度も呼び止めていたけれど気づかず歩き続けるわたしを走って追いかけてきた人に気づいた時。

とんちんかんな聞き違いを続けて会話を止めてしまった時。

騒がしい場所で会話をしていて、何度も何度も聞き返すわたしに相手がうんざりした顔をした時。

そういう時はちょっとだけ、聞こえてたらこんなことはなかったかなあと思うことがある。

聞き間違えは誰にだってあるよと慰めてもらうこともあるけれど、聞き返す回数の何倍も、聞き取れた言葉の断片から埋める会話があって、これ以上聞き返せないと思って愛想笑いで終わらせてしまう会話もある。

その数を自分が誰よりもわかっている。

聞こえないことをなんでもないことのように伝えられるようにはなっても、なんでもないこととはまだまだ思えない。
きっとこれからも思えないんだと思う。

思えないままでも、これからもっと伝え方も上手になって、聞こえないことにももっと慣れていくかもしれない。

聞こえるようにはならなくたって、身のこなしが上手になって聞こえなくて困る状況を減らしたり、わからなかった言葉を埋めるスキルは育っていくかもしれない。

聞こえるようになることではなく、自分の適応力に希望を託して、たまに落ち込みながら、その愚痴を誰かに聞いてもらいながら、この体を乗りこなしていきたいと思う。

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