改めまして、私の過去と基本の考え方
3年ぶりにログインをしました。元心療内科通いの脱サラアロマセラピストです。大阪生まれ大阪育ち、兵庫県在住で関西外での暮らしはしたことない、生粋の関西人です。他人さんによく言われるのは、黙っていれば大人しそう、口を開けば体育会系と言われるくらい外と内とのギャップが激しすぎる人だそうです。笑
本質的な部分は大人しくて感受性の高い性質だと思います。でもそれだと色々生き辛いことが多くて、後天的に体育会系要素が備わったのかな。中学校から大学2年生まではずっとスポーツをやっていたし、小学校から中学まではいじめも経験しました。何クソ根性はそのおかげだと思っています。
人生なんでもそうだと思うのだけど、過去の経験が意外なところで役立つことってありますよね。いじめはダメだし、いじめてきた人たちのことはしっかり覚えているし、なんなら『最後に笑うのは私や!!』と今でも思っています。笑 いじめられていた時の心情だったり、両親や教員の対応もしっかり今に繋がっているなぁと体感しています。その対応が私にとって悪いものでも、反面教師としてすごく役立っています、本当にありがとう!!笑
私のことが気に入らないのであれば、とことん私が幸せになることが最大の見返しだと思っています。これについてはネガティブな原動力だという方も実際いらっしゃいました。でも私は過去を許せるほどの人間の器はまだ持っていません。笑 というか別に許す許さないとかもうどうでもいいと思っています。許すか許さないかでいわれると許さない。笑 けど許さない、呪ってでも不幸になってほしい!ということでもなくて、興味がないんですね。因果応報という言葉は真実なのでいつかどこかで何か起こるだろうと天に任せている感じでしょうか。
でも健康的だと思うんですよね、やり返したり、人を貶めて発散するのではなく、自分自身の幸せにフォーカスしているんです。その幸せの定義にもよりますけどね。
私はじぶんを大事にしてくれる新しい仲間と居場所が必ずあることを知っています。(その当時は知らなかったけど)絶対にあります。自分の幸せや成功を願ってくれる人は血縁関係も越えて必ずいるんです。いつ出会えるかはわからない。でも私は何度も見つけてこれました。そんな仲間と一緒に幸せになるのが最大の見返しだと考えているのです。
所詮いじめてくる人は他人です。他人にとやかく言われて人生邪魔されるほど腹立たしいことはないです。であれば静かにその場から離れるのが一番。よく「逃げるな」と言われるのですが、これは私も言われたフレーズだけど逃げじゃないんです、合わない服を着替えるのと同じ。『え?サイズ合ってへんのに服着替えへんタイプ?』って感じ。別に着替えたくないなら良いんですよ、自分がいいんだったら。でも人に服着替えるな!!っていうのはおかしいでしょう?そういうのと同じ話。合わない人間関係の場所に固執する必要はない。ただそれが自分の意思で突き通せるようになるのは高校生くらいからなのかな。当時の小学校、中学校は《普通》から逸脱することに大人たちはとても敏感だったと思います。
その時期にたくさんの《人間の汚い部分》も見ました。今となっては貴重な人間観察ができたなと思います。今は人を観ることも仕事上とても大事なことなので、他責にしやすい人かどうか、信頼できる人かどうか、見極めの感覚を養うには、この経験が役立っています。
どんなにマイナスな経験だったとしても、見方によって絶対に役立つ良い学びがあるものです。私もいろんな失敗をしました。就活も失敗して新卒で入った会社はたったの2ヶ月で退職しています。笑 でもそこで働き方や社会の物差し、未払い賃金の請求の仕方を経験したり、きっとエリートと言われる様な方は通らないであろうことも経験させていただきました。経験は情報収集では取りきれない生きた情報です。失敗しても良い風に捉えようとすればなんとでも解釈できます。どうせ事実は変わらないのであれば良いふうに解釈した方が良いですよね。
30代も半ばに入り、若々しい勢いというものはなくなってきましたが、良い意味で肩の力を抜いて自分らしく振る舞うことができるようになったと感じます。今まで以上にこれからのキャリアを楽しめる今の環境に感謝です。