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運命から解放された主人公、愛城華恋について

まえがき

 本日(2022年10月10日)通販予約が始まり、満を持して刊行される劇場版スタァライト考察合同誌『舞台創造科3年B組 卒業論文集』(@starlight_paper)に私も寄稿させていただいている。何について書くかは相当迷ったのだが、結局色々書きたいというわがままを優先する形とし、レヴューを横断的に見ていくテーマの文章になった。
 しかし、劇場版をはじめて観たときから今までずっと唸り続けているのが、他ならぬ愛城華恋についての描写である。というわけで今このタイミングで自分の中の劇場版と愛城華恋についての思いを書いておきたい。(寄稿文とあわせ論文調で書かせてもらう)
 本稿の主たるテーマは「愛城華恋はいかにしてスタァライトという運命から解放されたか」になる。

イントロダクション

今回の映画ではレヴューのアクション以上に、愛城華恋というキャラクターを丁寧に描いてあげかったんです。そもそも完全新作を作るにあたって、最初に考えたのがそこでした。

◆1)

 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、劇場版)は99期生たちの卒業を描く映画であると同時に、監督が語るようにTVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、TV版)で描き切れなかったキャラクター、愛城華恋を丁寧に描くことがテーマの1つとされている。また脚本の樋口達人氏は劇場版について「愛城華恋を人間にする話」◆2)と表現する。

(前掲続き)というのも、TVアニメの華恋ちゃんは完全無欠なスーパーヒーローすぎて、それゆえに共感できる人が少なかったんですよ。

 監督の発言に関連して、ここで筆者の個人的な感想を述べるが、改めてTV版の物語を観たときに、愛城華恋が何者だったか、という部分について少し「わからなさ」を感じた部分はあった。しかしこれは劇場版を見てから認知・言語化された感覚であることもまた事実であり、前掲資料で述べられるような劇場版における描写によって浮かび上がってきた感想であるともいえるだろう。

 本稿では私が感じたこのTV版の愛城華恋の「わからなさ」を端緒として、そのために何が劇場版で描かれているのか、そしてなぜ私が劇場版に魅了されてしまうのかについて考えていきたい。そのために、まずTV版の物語を振り返りつつ、愛城華恋に与えられた役割である「主人公」について、そして彼女が抱えていた「運命」について考えていく。
 なお、TV版と『劇場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』(以下、ロロロ)の物語は重複する部分が見られるが、筆者はロロロは大場ななに重点を置く物語と解釈しているため、ここでは主にTV版の物語を念頭に議論を行う。

運命の舞台へ

TV版の物語~主人公である愛城華恋~

 TV版では運命の舞台とそこに立つ永遠の主役、トップスタァを決めるオーディションが描かれた。ここで注目したいのが、TV版のオーディションの先に示されているものは「運命の舞台」と「トップスタァ」に大別することができるということである。
 天堂真矢や星見純那のように大抵の舞台少女たちは、後者の「トップスタァ」の部分に惹かれている。ひたすらに頂点を目指す、この姿勢は高校演劇界におけるトップ校である聖翔音楽学園の舞台少女としてごく自然な態度といえるだろう。
 対して異質であるのは大場なな、そして主人公である愛城華恋である。この両名はどちらかといえば(大場ななについては明確に)前者の「運命の舞台」の部分に惹かれているような描写がみられる。

 そしてTV版の物語において愛城華恋を主人公たらしめていたのはこの「運命」であろう。幼少期に愛城華恋は神楽ひかりと「運命」を交換し、約束を交わした。だからこそ愛城華恋は約束を果たすために「運命の舞台」を目指して、他の舞台少女たちとは異なる動機でオーディションに飛び込み、レヴューを行うのである。
 だがここで、この運命という動機こそが、愛城華恋のキャラクターにおける細部を見えづらくしていた側面もあったのではないか。先に述べた愛城華恋についての「わからなさ」を感じる部分、例えば、なぜ愛城華恋は戯曲 スタァライトにあれだけ執着しているのか、なぜスタァライトのためならばあれほどの力を発揮できるのか、神楽ひかりを失うと途端に脆いのか、といった視聴者の(つまりは私の)疑問に対する答えは「運命」(そして約束)といった言葉に回収され、必ずしも明確に示されたわけではなかった。

愛城華恋の抱えていた運命について

 さて、ここからは劇場版の愛城華恋の話に移る。
 「愛城華恋を人間にする」作品である劇場版で描かれるのは愛城華恋の過去であり、それは愛城華恋と神楽ひかりが交わした約束であり、つまりは愛城華恋を動かす「運命」の子細である。神楽ひかりと出会う以前の愛城華恋に始まり、神楽ひかりが渡した「お手紙」と別離がもたらした約束によって、愛城華恋の人生は劇的な変化をみせ、ついには聖翔音楽学園に至る。この過去の描写によって、TV版で「運命」に回収されていた愛城華恋のキャラクターの細部、彼女の動機が一気にリアリティを増し、愛城華恋が何者であったか、がより明確になっていくのである。

 同時に劇場版ではTV版で愛城華恋を主人公たらしめた「運命」という言葉が持つ強さの影、裏側についても示されている。
 運命とは人間の意志を超越した力と定義される、非常に「強い」言葉である。例えば運命論のように人間の行いはその運命(=結果)には影響を与えないとする考え方も存在する。このように運命には人間の努力や力を無に帰す非常に危うい言葉としての側面も存在する。

 TV版の愛城華恋が運命の舞台を掲げることでその言葉の強さを纏った存在であるとするならば、劇場版での愛城華恋はむしろ運命という言葉に揺らぐ姿も見せていた。例えば、「見ない、聞かない、調べない」である。
 それが本当に運命ならば何があろうと、調べようが調べまいが、たどり着く結末は同じはずである。運命を運命だと信じきれないからこそ、愛城華恋は自らに縛りを課し、ひたむきに努力を続けるのである(そして結局この縛りを破ったにも関わらず神楽ひかりと邂逅してしまう展開は、皮肉にもその運命性を強化しているといえるだろう)

運命の舞台から旅立つために

列車は必ず次の駅へ――
  では舞台は?
 あなたたちは?

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトより

 劇場版で示されるテーマは「次の舞台」である。劇場版で語られた過去を経てきた愛城華恋はTV版のラストで「運命の舞台」に至ってしまった。そして今彼女に突きつけられるのは運命の舞台の「その先」、愛城華恋の未来である。(ついでに言及すればこの運命の舞台の先、というテーマはTV版第9話ラストで大場なながすでに直面していたテーマである。だからこそ彼女はワイルドスクリーンバロックを開幕するに足る存在だったのかもしれない)
 ここで我々は今の愛城華恋がいかに空っぽであるかに気付くだろう。自身の原動力であった「運命」にたどり着いた今、彼女がどこへ向かうのか全くわからない。この運命を失った愛城華恋はもはや物語を動かす主人公的存在ではなく、過去の回想シーンを除いた劇場版の大半の時間、彼女は1人で砂漠を彷徨っている。そして、彼女は彷徨いながらも約束の場所、東京タワーを目指すのである。

 運命の舞台の先に向かうためには、まず運命の舞台を終わらせなければならない。ロロロの最後で予見されたように、まずはまだ終わっていないこの舞台を終わらせるのである。運命の舞台がスタァライトであったならば、そのラストも戯曲スタァライトを踏襲する悲劇の形で行われる。だからこそ愛城華恋は一度死ぬ。この主人公、愛城華恋との永遠の別れをもって運命の舞台は幕を下ろし、もはや運命を背負わない、主人公ではない愛城華恋が誕生できるのである。

 この再生産における描写にも、運命の終わりを見ることができる。運命の舞台へ向かうTV版における再生産の燃料は髪留めという約束、運命の象徴であった。しかし次の舞台へ向かうこの再生産における燃料は、もはや違うものでなければならない。よって、ここで燃やされるのは愛城華恋の過去の全てになるのである。

 今再び東京タワー内で向かい合った愛城華恋と神楽ひかりは、運命もなにも関係ない「ただの」愛城華恋と神楽ひかりである。その対等な存在であることを象徴するセリフ「私もひかりに負けたくない」によって、ついに彼女たちの運命の象徴であった東京タワーは崩壊し、彼女たちは何にも縛られない「次の舞台」に向かうことができる存在になる。ここで真に彼女たちの12年に渡る運命の舞台、スタァライトが終わるのである。

私たちはもう舞台の上

「演じきっちゃった レヴュースタァライトを」

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトより

 愛城華恋のラストのこのセリフでは「スタァライト」ではなく「レヴュースタァライト」との言葉が使われている。彼女たちが演じていたのは戯曲スタァライトであるので、若干不自然に感じるところではある。
 このセリフに対する1つの解釈としては、メタ的に愛城華恋がTV版から続く物語、アニメシリーズとしての『少女☆歌劇  レヴュースタァライト』を演じきった際のセリフだと捉えることができるだろう。するとこのセリフはさらに深い意味を持つことになる。
 そもそも物語の主人公とは、その物語を動かす中心的な存在であって、物語の作者という創造神の描く「運命」に最も左右されやすい存在であるともいえる。これを踏まえるとこのラストシーンのセリフに二重の意味での解放を見ることができるだろう。愛城華恋は作中の運命の舞台を終えただけではなく、今この時、レヴュースタァライトにおける愛城華恋役を降り、作者という運命からも解放されたのである。

 このラストこそが制作陣の述べるところの「人間にする」描写であろう。劇場版の描写と、このラストは冒頭のインタビューで述べられていたような、TV版の愛城華恋の描き方に対する心残りへのアンサーとして完璧であり、また自らが生み出したキャラクターに対して非常に真摯である。
 物語のキャラクターが物語が終わってもきちんと生きて行けると思わせてくれること。私が感じる劇場版の魅力はこのシーンに集約されており、この制作陣の誠実さに対して私は最大限の敬意を抱くのである。

1) https://febri.jp/topics/starlight_director_interwiew_3/「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 監督・古川知宏インタビュー③」(2022/10/9閲覧)
2) パンフレット「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」鼎談インタビュー 監督=古川知宏 脚本=樋口達人 劇中歌歌詞=中村彼方



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