
おにぎりとお弁当
今、連続テレビで「おむすび」というタイトルのドラマが放映中。
通説では東日本では「おにぎり」、西日本では「おむすび」とされることが多い。小さい頃運動会や遠足といえば『おにぎり』がうちでは定番だった。ちょっとおしゃれなお母さんがいる家庭ではサンドイッチを作ってくれるところもあった。うちの母はザ・昭和な人だったので(お洒落な感じとは言えない)もちろん『おにぎり』だった。
私は母親には全く似ていない性格やセンスで…。はっきり言って無口なくせに小生意気な子供だったからそんな都会的ではない母の作る固く握ってある大きなおにぎりが好きではなかった。中身も時々鮭、殆どが酸っぱい手作りの梅干しだった。具が梅干しばっかりなのも気に食わなかった。然も小梅の時は何個も梅干しが一つのおにぎりに入っていたこともあってどうなっているのか?と思った。
お弁当もそうだ。
「もっとほかのおうちのお母さんみたいにお洒落なお弁当作ってくれればいいのに…。」と何度心からそう思ったことか…。
小学校の低学年の時に給食もあったがたまに何故かお弁当を持参することがあった。私の衝撃的な記憶では、ある時自分のお弁当を開けたらよく映画であるような「日の丸弁当」だったことがあった。白いご飯の真ん中に梅干しが一個。アルミ製のお弁当箱の中に梅干しだけだった…。(おかずが少し端っこにあったのかもしれないが)そのお弁当をクラスの意地悪な男子が覗いて、「お前の日のべんとう日の丸弁当だぁ~」と言ってバカにして虐められたことがあった。どうしてうちの母は女の子が喜びそうな可愛いお弁当を作ってくれないのだ!と恥ずかしく悲しくて母を恨んだことがあった。お弁当くらい可愛いのを作ってくれていたら虐められなかったのに!って真剣に考えていたのだ。
そして、大人になったときに母に「私が小学校低学年の時にお弁当に梅干ししか入っていなくて、日の丸弁当だ!と言われて虐められた。」と言ったら、母は「そんな、まさか、おかずを入れないで梅干しだけなんてことがあるわけない!」と言い張っていたが、虐められた本人は忘れるはずがない。
さて、こんな風に『おにぎり🍙とお弁当』には、小学校の頃の虐められたブラックな記憶が蘇ったのだが。
つい先日、ふと「そういえば、母が作ってくれたおにぎりを最後に食べたのはいつだったんだろう?」と考えてみた。
私は母が認知症の初期段階の時に、母が何か一つでも「これは私が必ずやる仕事!」として責任感を持って毎日忘れないように、しかも母が長年やってきてできることとして、私が出勤する時間までにおにぎりを二つ毎朝作ってもらっていたのだ。然し、それはある出来事が起こりぷつんと終了してしまったのだ。それをきっかけに、たぶんそれ以後母の作るおにぎりやお料理を食べることはなくなったのだ。
恥ずかしい話、私はお料理はできるのだが、何故かおにぎりを結べないのだ。おにぎりの型を買ってきてやってみたが、最後は型から外してぎゅっとやらないとならないがどうしても形がいびつになる。丸でもなければ三角にもならない。とにかく変な形になってしまい、然もすぐに崩れてしまう。
それに熱い温度の時にぎゅっとやらないとならないので手が熱くなって耐えられない。とまあ、散々母親のことをけなしておいて自分はできないんだからね。嫌な奴だよ。
大人になったら、今頃になって、「ああああ…お母さんが作ってくれた梅干しの入ったおにぎりが食べたいなぁ~。」なんて心の底から思った。
今は母が漬けた梅干しだけが残っていて、時々温かいご飯に乗せて食べてみたりしている。梅干しは漬けるときに塩をたくさん入れるので腐ることはない。まだ残っている梅干しに母の思い出を一緒に乗せて味わっている。
すべて失ってみて初めてその有難みが分かるのは、どういうことなんだろう。どうして、失う前に気が付かないのだろう。いや、大人になっているから気が付いてはいても、まさか突然自分の前から消えてしまうなんて思っていない、そんなことあるわけないって思い込んでいるから…。
母が作ってくれたおにぎり、本当はおいしかったよ、いつも作ってくれてありがとうね。ってここになら素直に言える。
どこかで見ていて「ふふん、アタシのおにぎりだって美味しいだろ~。」って呟いているかもね。