「小さな自分」に聞いてみる
お題「#自分で選んでよかったこと」への執筆です。
初っ端からこのお題と真逆のことを書きますが、私は大人になるまで「自分の意志だけで何かを選んだ」ことがほとんどありません。
家族、友達、学校の先生…
私の選択には幼少期から常に「誰かの目」がありました。
私は、元からかなり人の目を気にする性格です。
いい子に思われたい、賢く見られたい、しっかりして見られたい。
「自分が何をしたいか」より「どう見られたいか、周りにどう思ってほしいのか」。
「おかあさんが喜ぶほうにする」
これが、保育園を卒園するころにはすでに頭の中にあったような気がします。なんて打算的な子供なんでしょうか。
なぜそうだったのかは、カウンセリングを受けてようやくわかってきましたが、ここでは書かないことにします。
成長するにつれて、この「誰かの目」への意識は加速します。
小学校のころに少しいじめられていたことが原因だと思っています。
なんでもできる子だと思われたい。
幸せそうに見られたい。
強く見られたい。
「いじめてもいい」子だと思われたくない。
「雑に扱ってもいい」子だと思われたくない。
「弱い子」だと思われたくない。
幼かったころの自分を守るために
「かわいそうな自分」に見られないために
どんどん強いふりが上手になり、得意ではないこともやりました。
勉強は学年上位、運動もそれなりにできる。
音楽も、バイトも、就活も、恋愛も結婚も、全部人並み以上にする…
そうして、「表面上はなんでもできる自分」を作り上げました。
その自分を作るときに、「自分がどうしたいか」は、あまり考えていませんでした。
とにかく「人から見たら完璧に見える自分」のための選択をしていました。
そうして、昔守ろうとしていた「小さな自分」は、置き去りにしました。
そんな私が考え方を変えるきっかけになったのは、離婚したことです。
結婚するまでにいろいろな無理があったのですが、結婚してからそれが露呈する形となりました。
自分の我慢ができなくなっていたのに、それでもまだ「失敗したと思われたくない」気持ちが大きかった。
結果的に体調まで崩すことになり、別れることになりました。
もう、離婚してしまった事実は変えられません。
自分が「普通の人生」からは少し外れたことも変えられません。
(今思うと「普通の人生」ってなんなのか?とも思いますが)
それなら、「普通」じゃなくてもいいから「自分の人生」と向き合ってみよう。
「自分で選ぶ」ときに「本当は自分はどうしたいのか」で選ぶ割合を増やしてみよう。
離婚という経験を経て、やっとそう思えるようになりました。
ひとつずつ時間をさかのぼって、もう一度判断しなおしていく。
「本当にこの仕事でいいの?」
「本当にこの人と付き合っていいの?」
「本当にこれがやりたいことなの?」
「本当に今動きたいの?」
「みんなにこう言われたから…」の「みんな」は、だいたいがもう私の人生の外にいます。
このほうが親が喜ぶから…と思って決めたことも、変えたって別にいい。
両親も、地元も、もう私の人生の中心ではありません。
声が大きい人の影響を受けて、これがやりたいと言ってしまったこと。
変だな、いやだなと思うなら、別に従わなくてもいいのに。
「本当はどうしたいの?」
「本当はね…」
迷ったら、耳をすまして「小さな自分」に聞いてみる。
自分で選んで、自分で責任をとると「決めた」こと。
「どう見られたいか」より「自分はどうしたいか」「どう生きたいか」を考えると「決めた」こと。
「いじめも、離婚も、どんなネガティブ体験もすべて自分の力にする」と「決めた」こと。
これが、私が「自分で選んでよかったこと」です。
この先は全部私が決めること。
過去に「小さな自分」を置き去りにして決めてしまったことも、「あれでよかったんだ」と思えるようにする。
これが、今までの私にできたベストな、そしてこれからもできるようにしたい「選択」だと思います。