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引っ越し準備で見せられた「モノに対する執着」

 引っ越し先は、気にかけてくださる方がいてご縁を繋いでくれた。通常ならペットが可能な物件は、絶対数が少ないから探すのは相当苦労するはずだ。しかも他の諸条件を加えると、更に納得できる物件の発掘は困難を極めるだろう。そこがすんなりクリア出来たことは、本当に有り難かったし、感謝しかなかった。しかし問題はそれからだった。

 新築宅に引っ越す時に、かなり仕分け処分したので荷物は少ないと思っていた。そこが勘違いの始まりだった。一旦引っ越しの荷造りを始めると、「今」使っていないモノ、一度も使った事がないモノが結構あって、どうにも収集がつかないのだ。よくある「もったいない」「いつか使うかも」「思い出の品だから」と言う考えが、手放そうとするのを邪魔するのだ。そこに物持ちがよく、手入れしながら使いたいタチが加われば、手放しが相当困難を極めたのは理解して頂けるだろうか?

 モノを大事にするのは良いことと思うのだが、わたしの「物持ちの良さ」はかなりのレベルだと思う。専門学校の寮に入る時に使い始めた爪切りは、まだ現役で手元にある。そんな状況のわたしが、通常より1/3の制限時間で手放すのか、否かの仕分けをする様は、物の中で溺れているような感じだった。結局モノを仕分け切れず、引っ越し翌日に掃除がてら片付けに行く羽目になってしまった。

  「手放す」には、自分が手放すことを納得しないとできない。いや、納得しなくても手放すことはできる。でも必ずと言っていいほど、後々未練や後悔が頭をもたげ、スッキリした気持ちで過ごす事ができない。だから、必ずものとの訣別をしっかりと納得する必要があるのだ。そうすると手放したモノを思い出しても、良いことしか思い浮かばない。いつもそれが不思議でならない。
 もちろん、そこまで気持ちが整ってくるのにかなり時間がかかる時もある。でもある時、「あぁ、もういいな。さようならできるな。」と感じる日が来る。その時に手放せば良いのだ。

 おかげさまでこの時の仕分けにより、今では家にあって、揃っていて「当たり前」になっている家具やモノを相当手放す事ができた。テレビ台、衣服用のチェイスト、ダイニングテーブル、スライド式の本棚、着物用の桐箱など大物がなくなっても意外に困らなかった。壊れていたワインクーラーやそろそろ替え時なベッドは捨てて身軽になった。この引っ越しの半年前にダイニングのソファーはご縁があった方に差し上げたので、その頃から密かに「手放し」の序章は始まっていたのかもしれない。

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