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生活空間を作る「手放し」開始
引っ越しをして身にしみて感じた事、それは稼働率が悪いモノが多すぎる。もらいモノや以前使っていたけど使わなくなったモノ、あまり深く考えずに連れてきだけど使い勝手が悪いモノ…色々あった。
ある時期から何かを買う時には、その収納場所や方法を考えて、モノで溢れない様に計画的に入れ替えてきた。にも関わらず、こんなにもモノに溢れているのはどうしてだろう?そこをしっかり押さえて行動を起こさないと元の木阿弥だ。
モノとの関係は人間関係にも似ている。人間関係でわたしは、バウンダリーを上手に引く事ができない。どうしても相手を優先してしまい、自分が窮地に立たされる事が多い。性分としてモノを大切に手入れして使いたいと言うのはあるのだが、縁あってわたしの元に来たモノに関して無碍にできないのだ。しかし手元に置いたからと言って、使わなければ大切にしているとは言い難い。もったいないと言う気持ちもあるが、愛着だけで使われずに手元にあるモノは多くあった。これはお互いに幸せなのか…?
モノにも人生があるなら、その「モノ」として生まれてきた使命を全うしたいはず。でも活用もされず、そのまま放置されそこに在るだけでは使命を全うできない。そうなるとそこにはモノの無念が生まれ、持ち主の重荷になっていくのではないだろうか?これではお互い不幸だ。求められるところで、どんな形でも活躍できる方がいいに決まっている。わたしの元から円満に卒業し、使命を全うし成仏する。この流れを作るためには「手放す」しかない。
まず優先したいのは、仕事が始まっても「生活」が送れる空間の確保。中でも食事と睡眠は必須だ。ありがたい事に2階の自室はプロが搬入してくれたので、布団を敷く空間は既に確保されている。あとは布団袋から出して敷くだけだ。残るは食事に関わる場所とモノの仕分けと収納である。
しかしそこは共有スペースで、今は不在の先住人のモノで溢れていた。試しにちょっと夕食時に使わせてもらったが、多分調理で大切にしている点が大きく違い、使い勝手が悪い。シンクの引き出しや棚は保存食やスパイスなどの調味料で一杯だった。先住人の調理器具が収納されず溢れている所に、わたしのモノが収納できるはずもない。しばし途方に暮れ頭も身体も動きが止まった。
ここ2日間で生活の基本パターンを作る。まずこの家で使うモノ、今は使わないけど必ず必要なモノ、手放すモノを仕分けしていくしかない。収納できない以上、今はダンボンボールが棚なり引き出し代わりとしてやっていこう。生活する内にまた微妙にシェアの状況が変化するかもしれないし、取り敢えず仕事に支障がない基盤を作ればいい。夕食後に1階共有スペースにある段ボールの中身の確認を始めたのだった。