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ケンブリッジ:壁の向こう側
ケンブリッジに行くとまず目につくのは、レンガや石造りの壁じゃないだろうか。カレッジの敷地を張り巡らすように、壁が延々と続く風景は、格式高さや知性に満ちた雰囲気を醸し出すものの、どこか人を寄せ付けない冷たさも感じる。こうした外界の遮断はある程度意図されているように思う。
そもそも、ケンブリッジの駅から大学街に行き着くまでが遠い。これは19世紀に、学生が俗世の影響を受けないようにと、大学がなるべく駅を遠ざけた結果らしい。そんな大学の画策も知らずに駅から大学の方へと向かうと、途中に学園都市と俗世を分ける、「現実との境界線(Reality check point)」と揶揄される鉄柱に出会す。かつての学生がつけた愛称だが、ケンブリッジの別世界感を物語っている。
特権とともに発展した大学
ケンブリッジの特別な雰囲気は、特権といった実際的な形で確認することもできる。例えば、そこそこ最近の例でいえば、卒業生に与えられた政治特権。
ケンブリッジ卒業生は、当然パンピーよりも良識があるということで、長らく選挙では2票与えられてきたという。1票は通常の地区選挙分であり、もう一方は大学選出の議員用の票。例えばニュートンはこの大学枠で議員に選出されている。
昔ならこういうこともあったかもしれないと思い過ごせるのだが、この慣行は、1600年代にジェームズ1世に与えられて以降、実に1948年まで続いた。1票の格差どころじゃない。
知の独占的供給
なんでこんな特権が与えられたかといえば、エリート階級を独占的に供給してきた経緯が関係しているように思う。
ケンブリッジ大学が設立された1209年から、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン設立の1826年まで、イングランド(≠イギリス)にはオ○クスフォード(ケンブリッジでこの名を口にすると軽蔑の眼差しを食らう)とケンブリッジの二校しか存在しなかった。
こうしてこの堅牢な壁の内側から、なんと110名(卒業生や教授等の大学関係者)のノーベル賞受賞者を輩出することになった。これは、世界どの大学よりも多い。
オ◯フォードを含めた寡占という意味では、戦後の歴代首相を単純比較すると、英国は15人中9人がオ◯クスフォード出身。一方、日本では56人中(多っ)11人が東大と、英国の歴然とした偏りがわかるだろう。
壁の内側
とはいえ、特権的階級が現代でも通用するはずもなく、最近ではより開かれた大学となっている。不意に地面に数式を書き出す天才だらけでもなければ、パブリックスクール出身の貴族階級だらけでもない、それなりに普通の大学である。このブログでは、こうした、壁の内側の日常を伝えていきたい。