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【PTSD】海外生活でイヤホンが欠かせなくなったお話
あけましておめでとうございます。旅する太陽です。
新年一発目は何を書こうかと考えていたら、久しぶりにパニックを起こしました。
あー私の辛くない世界へ行こう。そう思いました。
パニック障害いわゆるPTSDをカンボジアで発症してあっという間に2年近く経っていました。
治療のおかげもあって回復傾向にありますが、事件が起きる前と後ではやっぱり生活に変化があります。
事件が起きた直後
事件直後、あらゆる音が私のパニックを起こす原因になりました。
バイクの音がダメ、男性の低い声がダメ、人の話す声がダメ、笑い声がダメ、風の音がダメ、などなど。
人との関わりが出来なくなっていました。夜眠れないことが続き、毎日のように泣いていました。
そしてそこで、PTSDの症状があると診断されました。私にとってその事件はそれほどまで影響を与えてしまったらしく、もう前の自分が分からなくなっていました。
パニックを起こした時の自分なりの対処の仕方を考えたけど、自分を傷つける以外に方法が見つからなくなりました。
それがいつしか癖になり、目に見えて自分が弱いことが証明されたような気がしてさらに情けなくなりました。
もうダメだと何度も思いながら治療を続けました。
2年近く経った現在
現在はというと、だいぶ回復したと思います。
少しでもバイクの音がするとパニックを起こしていた自分はいなくなり、人が横を通ったり、後ろに誰か立ったとしてもある程度は耐えられるようになりました。
治療のため、一度日本に戻った私が、カンボジアに戻る頃には電車に乗れるようになっていました。飛行機でもパニックを起こすことなく乗れました。
自分でも知らないうちに回復傾向にあることにカウンセラーの方と定期検診をする度に気づくことが出来ます。
ただそれでも前の自分がどんなであったかは思い出せません。今でも自分に対する見方はあれ以降良くなりませんし、パニックを起こすと自分を傷つけてしまいます。いつの間にか真っ赤になっている手を見るとあれ?昔はどうしていたんだっけ?となります。
そして何より、イヤホンが欠かせなくなりました。
外に出る時は常に自分にとって落ち着く音がないとすぐパニックを起こします。
今こうしてブログを書いている時でさえイヤホンが欠かせません。
常に日常の音から自分を遠ざけておかないと急に壊れてしまいそうになるのです。
回復はしても、前の自分に戻れない歯痒さがいつも自分を襲ってくるのです。
それでもなぜカンボジアに居続けるのか
ただ単純に悔しいから。
私が恋焦がれて来た発展途上国という国でこんなに早く挫折することが苦しかった。
一時はあんなところには戻れない、何度も思いました。
なんでこんなに上手くいかないことばかり起きてしまうんだろう?
何度も何度も自分の人生を呪いました。
それでも戻りたいんです。私が一度は惹かれてしまった発展途上国にやっと行けたのに夢半ばで諦めるなんて出来ませんでした。
何度も大丈夫と自分に言い聞かせました。まるで暗示をかけるように。
そして何より、私をこんな目に合わせた奴がなんの苦労もなく生活していることが許せなかったんだと思います。
なんで私だけ?なんで私なの?
もう何回自分に聞いたか分かりません。でも、答えなんて見つからなかった。残るのは、悔しいって気持ち。
だから、私はまだカンボジアにいます。
自分がこれを乗り越えるためにも避けては通ることが出来ない課題だと思うから。
まとめ
正直いえば辛い。当たり前だけど、前に戻りたい。
けど、そんなことは出来ないし、過去のことを呪っても自分を苦しめるだけだ、と思うようにしてます。
そして回復してくると感じる理不尽さ!
なぜ私なんだ?なぜ私が苦しんでるんだ?なぜ私がこんな思いしているんだ?私を苦しめた奴は普通に暮らしているのに。
悔しい。苦しい。
だからこそ私は今でもカンボジアにいます。そして前と同じようにはいかないけど、成長できたら嬉しいです。
とういことで、新年一発目が少し重くなってしまいましたが、こんなことを乗り越えて今年は楽しんでやるぞ!という決意を胸に1年を始めようと思います。
皆さんも素敵な1年になりますように。それではまた〜
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