「好きなものが見つからない」にはいいこともあるらしい
好きなものが見つからない。
「好きな歌手は?」「趣味は?」「好きな映画は?」
会話の中によく出てくる質問ではあるけれど、「好き」を聞かれるのが苦手だ。
「そのことを知り尽くしていないと好きっていっちゃいけないんじゃないか」
「わたしよりもこれを好きな人なんてもっといるし」
「好きは好きだけど大好きってわけじゃないし」
「好き」への固定概念が、「好き」と声を上げるのを邪魔をしているように感じる。
こういった「好き」に関するトピックに対しては好きなnoteがいろいろあって、わたしの「好き」への固定観念を少しづつとかしてくれているのだけれど。
「好きなものを見つける」のではなく「好きなものが見つからないままでいる」のも悪くないなと思った出来事があったので、ここに記しておこうと思う。
「好きなものが見つからない」にも実はいい面があるのかもという話。
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ある日twitterで見つけた記事を読んでいて、本筋とはずれるのだけど目にとまったのはこの部分だった。
ぷるこ そうですね。意識し始めると意外と「このアイスクリームブランドって100%オーガニックだったんだ!」みたいな発見があって。フォロワーのみんなもとてもポジティブに受け止めてくれて、「大学でこんな授業を受けたよ」とか私の知らない情報も教えてくれるので、同世代で話し合っている感じで楽しいし、勉強になっています。
エコは「好きなもの」や「趣味」ではないので例としては微妙かもしれないが、ここで感じたのは「ひとからの情報を素直に吸収して勉強になるって言えるのって、かっこいいな」だった。
わたしの「好き」への固定観念のひとつに、「よく知っていないと好きって言っちゃいけない」がある。
知っている度と好き度は比例しなくてもよいのだけれど、この固定観念を溶かすのは未だ苦戦している。むずかしい。
「好き!もっと知りたい!」が「好きだからもっと知らなきゃ」になっていたり。自分が好きと自負するものに関してほかの人から知らなかったことを教わると「わたしの方が好きなはずなのに」と焦ったり。
そんな「好き」のプライドが「知らなかった、ありがとう!」と素直になるのの邪魔をする。
好きなものがない組は、そんなプライドを持たなくて済む。
いい意味で執着がないので、何に対しても「そうなんだ知らなかった!」と素直に伝えられる気がするのだ。
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「一生の悩み」は、ない。
悩みの渦中にいるとそれが一生続くように感じるけれど、永遠に正座をしてはいられないように、心もそんなにずっと苦しくはいられない。
悩み自体は解決していなくても、それに対しての考え方が変わったり。心はいつか軽くなる、絶対に。
「好きが見つからない悩み」も、こうやってちょっとづつほどけていくんだなあと嬉しくなった出来事でした。